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2014年3月30日 (日)

「平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊」 菅田さん、恐いよ

春の「仮面ライダー」シリーズの映画はもう何でもありとなっているので、少々のことでは驚きません(笑)。
「仮面ライダークウガ」によって再スタートされた「仮面ライダー」シリーズはいつしか「平成ライダー」シリーズと呼ばれるようになりました。
対して初代の「仮面ライダー」から「仮面ライダーJ」までが昭和ライダーと言われるようになりました(実際は「J」は平成になってからの公開ですが)。
「平成ライダー」は現在放映中の「鎧武」が15作目、これで昭和ライダーと本数が並んだということで、今回の作品では平成ライダーVS昭和ライダーという趣向になっています。
子供の頃、夢中になって「仮面ライダー」を観ていましたが、実際にリアルタイムで観ていたのは「V3」から「ストロンガー」くらいまで。
そこからしばらく「卒業」したわけですが、「V3」〜「ストロンガー」でも子供心にずいぶん長い間やっていると思ったものです。
その歴史ある「昭和ライダー」に「平成ライダー」も並んだわけですので、感慨深いものがあります。
ではお話はというと相変わらずネタが盛り盛りな感じですので、とっちらかっている感が相変わらずありますが、もう春の映画はお祭り作品だということで割り切って観てました。
ですのでお話がどうこうというよりは、観ていていろいろ気づいたことなどをつらつらと書いてみましょう。

少々のことでは驚ろかないと冒頭に書きましたが、この作品のCMをテレビで観ていてのけぞったのは、菅田俊さんがZX(ゼロクス)に変身しているシーンがあったこと。
「仮面ライダーZX」とは1回だけテレビで特番で放映された仮面ライダーです。
正直、このころは僕は特撮から離れていた時期だったので、観ていないのですが(どっちかというとテレビというより村枝賢一さんのマンガ「仮面ライダーSPIRITS」で知ったようなもの)。
主人公村雨良を演じていたのが菅田俊さん。
菅田さんと言えば、最近はその悪役顔で時代劇の悪代官やらヤクザなどの役が多く、すっかりそっち系の人のイメージがあります。
本作でも敵組織「バダン」の暗闇大使役でも出ていましたがそっちのほうがピッタリのイメージ。
それが実は・・・で、・・・なわけなので、菅田さんがZXに変身するのですけど、これがけっこうインパクトある。
悪役顔で恐いっす(笑)。
昭和ライダーから本郷猛(仮面ライダー1号)役で藤岡弘さん、神敬介(仮面ライダーX)役で速水亮さんも出演していますが、個人的には菅田さんのインパクトが強かった・・・。

平成ライダーで今回フューチャーされていたのは555(ファイズ)とディケイドでした。
ディケイドはこういう時に便利な役回りなので、便利に使われますよね。
さて注目したいのは「ファイズ」です。
個人的に「ファイズ」は平成ライダーの中でもベスト3に入るくらい好きな作品なのです。
こういうお祭りムービーで取り上げられるときは、オリジナルの設定とかがうやむやにされがちなのですが、「ファイズ」の作品世界を大事にしてくれている感じがしました。
オリジナルキャストの乾巧(半田健人さん)、草加雅人(村上幸平さん)が出たというのも大きい。
平成ライダーの中でも「龍騎」「ファイズ」「ブレイド」と続く3作品は、密かに「悩める主人公3部作」と呼んでいます。
主人公のライダーが戦うことに悩みながらも、戦い続けていく。
戦う意味を悩み探していくということを作品のテーマにしていました。
その中でも「ファイズ」の乾巧は最もその悩みが深い主人公でありました。
この悩める主人公は本作でも健在でした。
戦いが終わった後も、彼は戦いそして生き残った意味を悩み続けている。
彼の胸の中にあるしこりの一つが、共に戦った「仮面ライダーカイザ」こと草加のこと。
草加は草加なりの想いで戦い続け、そして散った。
想いのない自分が生き残っていいのかと巧は悩み続けてきたのですね。
草加が死ぬシーンは、本作のために再撮していましたね(さすがに衝撃的な首ポッキンは劇場では流せないか・・・)。
相変わらず草加はいけすかない感じ、懐かしかったですよ。
歴代ライダーの中でもっともねじ曲がった性格で、印象的です。
巧が助ける少女の名前がマリでしたが、これは「555」のヒロイン真理と同じ名前。
草加がひねくれた愛情を持つ相手なのですが、このあたりは知っている人には「なるほど」と思わせるとこですね。

本作では「昭和ライダー」と「平成ライダー」の勝負はネットでの投票で決めるという企画がありました。
観ましたがどっちが勝ったということなのかな?。
しかし、今時、一輪の花を救おうとしてやられたっていう話は、どうかと思ったけど。
結末を投票で決めるというのは、昔「仮面ライダー龍騎」がテレビでスペシャル番組をやったときに同様のことをやっていましたね。
あれはリアルタイムで放送しているときに電話で投票という仕組みだったと思いますけど。

スーパー戦隊シリーズからは、キョウリュウジャーとトッキュウジャーが登場していました。
「仮面ライダー電王」のデンライナーと「烈車戦隊トッキュウジャー」の共闘もありました。
これは予想通り。

これからも春のお祭りライダー映画は作られていくのでしょうね。
東映としてもこの春のライダー映画は、過去のライダーに注目させてそこでの需要の掘り起こし、そしてブランドとしての定番化という狙いがあるかと思います。
ひとつの作品ですべてのライダーにスポットを当てるのは厳しいと思うので、今回の「ファイズ」のように一つ選んで、直近のライダーとガッツリからませるというのはアリかもしれません。

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2014年3月29日 (土)

「赤×ピンク」 一昔前のVシネのよう

「仮面ライダーフォーゼ」でメイン監督を務め、特撮では最近メキメキと存在感を増している坂本浩一監督の最新作です。
坂本監督と言えば、キレキレのアクション、密度がありながらもテンポの良いストーリー展開が見所となりますが、正直なところ本作は本来の坂本監督らしさが出ていないように思えました。
坂本監督の今までの作品は尺が短くても内容が濃く、上映時間以上の密度を感じるものが多かったのですが、
本作については全体的に冗長な印象がありました。
尺があるなら、それぞれの登場人物の人物造形が深く描けそうなものですが、そのあたりもやや薄っぺらい。
登場人物の女性格闘家たちはそれぞれに曰くありな過去を持っていて、戦いのステージに立っているということなのですが、どうも感情移入しにくい。
これは脚本のせいでしょうかね。
アクションについても、時間的にはかなり使っているのですが、いつもの作品のような驚きがありません。
坂本監督のアクションシーンは、役者の素面でのアクションをうまく撮ったり、大胆にカメラワークを使ったりということで、「おっ」と思わせる名シーンのようなものがいくつかあるんですよね。
本作はそういうシーンはなかったように思います。
カット割りが細かくて、もっとしっかりとアクションを観たいのに、ちょっと曖昧にごまかされているような感じがしました。
もしかすると役者さんがそれほど動けず、そうせざるをえなかったということなのかもしれませんが。
全体的に一昔前のVシネのような安っぽさ感を感じてしまいました。

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2014年3月23日 (日)

「ワン チャンス」 信頼が自信を支える

ダメだしをされるのは本当に恐い。
それが自分が好きなことに関してのことだったら、なおさら。
自分自身が否定されるような恐さ。
ダメだしされたくない、傷つきたくない、だから挑戦したくない。
そういう気持ちに共感できる人は少なくないのではないでしょうか。
主人公ポールは歌うことが大好きで、彼の夢はオペラ歌手になること。
彼は才能はあるのですが、自信がなく、歌手になる夢は持ちつつも、携帯電話の販売員をやっています。
こうなってみたいな、こういうことをやりたいなと思いつつも、日常の生活をなんとなく続けている。
しかし、その彼をひとつの出会いが変えます。
それはその後、彼の妻となるジュルズとの出会いです。
彼女は彼の才能を彼以上に信じています。
ジュルズが無条件にポールの才能を信じてくれるからこそ、彼はチャンスをつかむために一歩踏み出します。
そのチャンスは何度となく打ち砕かれ、彼は傷つき、自分自身に失望します。
けれどその彼をまた立ち上がらせるのはジュルズの揺るぎない信頼なのですね。
彼の才能を信じてくれているのはジュルズだけでなく、彼の上司であったブラドン、母親の イヴォンヌもそうです。
ポール自身は自分に対し自信をもてない男ですが、ジュルズたちが彼の才能を信じてくれるからこそ前に踏み出す勇気をもらえるのです。
タイトルは「ワン チャンス」なのですが、ポールにはいくつかのチャンスがきます。
しかし彼はその度毎に挫折してしまう。
それでももう一度チャレンジしよう、チャンスにかけようと思う力は周囲の人の信頼によるものなのですよね。
スポーツ選手などでもインタビューで「周囲の人のサポートがあったから」と答えることがありますよね。
それはほんとにそうなんだろうなと。
人が信頼してくれる。
そのことが、崩れそうな頼りない自信を支えてくれるんですね。

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2014年3月21日 (金)

「LIFE!」 ちょっとした新しいこと

主人公ウォルター・ミティは雑誌「LIFE」の写真の管理をしています。
日々実直に仕事をしている彼ですが、空想癖があるのです。
ある日、会社のリストラで「LIFE」が休刊になることに決定になりましたが、その最後の号の表紙を飾ることになった写真が見つかりません。
ウォルターはその写真探しをはじめます。

真面目にコツコツと毎日働く。
多くの人はそのように暮らしていて、そういう生活自体にいいとか悪いとか考えたことはあまりないのではないでしょうか。
少なくとも自分はそうだったりします。
けれど、本を読んだり映画を観たりしたときに、そこに書かれていることや観たことから影響を受けて、新しいことをしてみたいと思うことあるのですよね。
でもまた2、3日経つといつもの通りの生活の中で忘れてしまう。
というより、忘れているわけではないけど、後回しになってしまうのですね。
また新しいことにチャレンジするのはとってもエネルギーがいります。
僕は臆病者だったりするので、新しいことをやろうとしたとき、尻込みする気持ちもけっこうあったりします。
新しいことをやりたい気持ちと尻込みする気持ちがせめぎあいます。
それでも年にひとつくらいは新しいことをやろうと新年に「やりたいこと」を決めたりするんです。
大仰なことではなく、ちょっとしたことなんですけれどね。
写経をやってみようとか、ポルダリングをやってみようとか。
今書いているブログもそういうことではじめました。
やる前は先ほど書いたように尻込みする気持ちもあるのでいろいろ考えるのですが、いざ初めてみると新しい発見や自分の新しい面を発見できたりすることもあります。
ウォルターの冒険は現実離れしているようにも見えますが、それは映画ならではの誇張した表現。
あれほどの冒険でなくても、日々の生活から一歩踏み出してちょっとした新しいことにチャレンジできることはあります。
ちょっとした新しいことは、自分の生き方に気づきを与えてくれるような気がします。
自分はこういうことにも興味があるだなとか。
そういう気づきは自分の「LIFE」を豊かにしてくれるような気がします。

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「ロボコップ(2014)」 怒りのエネルギーが薄い

1987年制作のポール・ヴァーホーベン監督の「ロボコップ」のリメイクです。
デトロイトの警官マーフィは瀕死の重傷を負いますが、企業オムニコープ社に改造され、半分ロボット、半分人間の”ロボコップ”として街の平穏を守るために生まれ変わります。
ロボコップのデザインは、1987年版のイメージを残しつつも、よりシャープに現代的にリデザインされていてかっこいい。
マーフィが改造されてロボコップとなること、そして彼の敵となるのが、デトロイトの犯罪組織、オムニコープ社、そして警察であるという基本設定は前作と変わりませんが、それらの物語の中での使い方は全く異なります。
ポール・ヴァーホーベンの「ロボコップ」を観た時は、かなり印象的であったと記憶しています。
ロボの警官ということでなんとなくスーパーヒーローものようなイメージで観に行ったのですが、割とハードであったため驚いたのです。
ハリウッドのこの手の映画にあるような予定調和的な気持ちの良さというのが1987年版にはなく、容赦のないバイオレンス、救いのない物語というのが、この作品の基調となっていました。
突然自らの肉体を人間性と奪われてしまった理不尽な暴力(犯罪組織による肉体への暴力、オムニコープ社による精神への暴力)、そしてロボコップとなったマーフィにとって家族の絆は失ったものであり取り戻す可能性がないという救いのなさ(そして唯一の理解者となった相棒ナンシーも殺されるという救いのなさ)。
この二つの要素はその後のヴァーホーベンの作品の特徴となっていきます。
1987年版の「ロボコップ」はこのようなヴァーホーベンのテイストによりカルト的な人気を誇りますが、今回のリメイク版についてはこのようなテイストはかなり薄味になっています。
物語に救いがあるという点で、ハリウッドらしい作品となっているかと思います(いいか悪いか別にして)。
前作といろいろ違いがあると書きましたが、一つ大きな違いはマーフィがロボコップになったときに、自らの記憶を保持しているかどうかというのがあるかと思います。
1987年版についてはロボコップとなったマーフィはマーフィとしての自我はない。
自らの受けた暴力の自覚もない中で、その相手の手足となって働くことになるわけです。
肉体だけでなく、精神すら支配されていた。
そのことに気づいた時のマーフィの怒りはとてつもないもので、そういった激しい感情に突き動かされるからこそのああいったバイオレンス描写になるわけですね。
本作は肉体へ暴力を受けましたが、精神的な支配は完全ではありません。
途中、コントロールされることはありつつも、マーフィは多くの人(オムニコープ社の関係者以外)にマーフィとして扱われます。
前作ではナンシー以外はロボコップという機械としてしか見てもらえなかったのです。
自らの立ち位置をすべて否定されている前作に比べ、本作が救いがあるというのはこういった点です。
あともう一つ違いは敵側ですね。
上で書いたように敵側は犯罪組織、オムニコープ社、警察となるのは共通です。
ただそれらの関係性はちょっと違う。
前作は最後にロボコップと戦うのは犯罪組織でした。
警察はオムニコープ社の手足のようなもので、そしてオムニコープ社はすべてを仕切っているように見えつつもあっさりと退場、結果的には最も暴力的な犯罪組織が最後にロボコップと対決するのです。
ラストの戦いはまさに暴力VS暴力という凄惨なものになるわけですが、怒りをぶつけ合う荒々しい戦いになるわけですね。
過剰ともいうべきバイオレンスは、低迷していた80年代アメリカの袋小路感がでていたのかもしれません。
本作では犯罪組織はほんとに手足のような状態であっさり退治され、警察は汚職まみれだったことは判明するも役割は薄く、真の敵はオムニコープ社となっています。
しかしオムニコープ社の役員たちも、悪を行うとかそういった強さがあるというのではなく、ただビジネスを拡大するため都合の良いようにマーフィ=ロボコップを手駒として扱ったということだけなんですよね。
彼らからするとビジネスをやってきて、その度ごとにいろいろ苦しい状況はありつつも、なんとか上手く立ち回ってきていた。
今回もそのように立ち回れるという感じだったのかもしれません。
悪を行っている自覚はさらさらなかったのではないでしょうか。
ですので、マーフィの怒りというのもなんというか暖簾に腕押し、糠に釘という感じで手応えがない感がありました。
そのため前作に比べて、爆発するような怒りのエネルギーのようなものが薄い印象なのですね。
万人ウケするような感じではありますが、ヴァーホーベンの「ロボコップ」の洗礼を受けている身としてはちょっと薄味に感じたのも確かです。

ロボコップのキメ台詞「Thank You Cooperation」があったのは嬉しかったです。
あとテーマも復活していましたね。
確か「2」「3」はあのテーマ音楽はなかったのですよね。

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2014年3月15日 (土)

「ホビット 竜に奪われた王国」 ザ・活劇

おもしろかった〜。
ピーター・ジャクソンの作品らしく、例によって2時間半以上の長尺なんですけれども、見入ってしまいました。
3部作の作品では、2作目が活劇的でおもしろかったりするものですが(「スター・ウォーズ」だと「帝国の逆襲」、「インディ・ジョーンズ」だと「魔宮の伝説」)、本作もそんな感じがしました。
1作目は導入編なので登場人物や設定の紹介に時間は取られますし、3作目は物語を収束させるための構成になっていなくてはいけません。
2作目は余計な説明はいらないですし、どちらかと言えばまだまだ話を広げていってもいいので、活劇をとことん描く余裕がある感じがするんですよね。
本作も見所たくさんあるのですが、特に観ていて好きだったシークエンスは、ドワーフたちが樽に乗ってエルフの城から脱出するところと、最後のスマウグとの対決のところですね。
さきほど「魔宮の伝説」をあげましたが、特にトロッコのシーンが大好きなんです。
もう「ザ・活劇」という感じで何度観ても飽きません。
本作の樽乗りのシーンもそういうお気に入りの一つになりそう。
息のあったドワーフたちが武器を受け渡しながらオークを倒していく小気味よさ。
変幻自在に華麗に弓と刀を使い戦う、レゴラスらエルフのスピード感。
樽でゴロゴロしながら相手に体当たりしていくドワーフたちが醸し出すユーモア。
ピーター・ジャクソンの活劇のテンポの良さやスピード感、あと活劇のなかにあるユーモアのセンスは、スピルバーグのそれにけっこう近い感じがしますね。
樽のシーンは「タンタンの冒険」でタンタンがバイクで疾走する長回しのシーンとセンスが似ているように思います。
「魔宮の伝説」のトロッコのシーンは、ミニチュアを使った特撮と巧みなカット割りでスピード感とテンポのよさを出していましたが、本作はピーター・ジャクソン得意のCGを駆使していました。
最近はCGを使うのはとてもありふれたことになりましたが、使いこなしっていう点からするとピーター・ジャクソンは他の監督と比べてもとてもレベルが高いように思います。

「ロード・オブ・ザ・リング」以降CGを使ったファンタジーものが多く作られました。
しかし、それらの作品がピーター・ジャクソンの作品とは何か違う感じがあるのは、空間感かなと思いました。
映る秒数はそれほど長くはないのですが、「ロード・オブ・ザ・リング」にせよ「ホビット」にせよ、ロケで大自然を背景にキャラクターが旅をするカットが度々でてきます。
これを彼は実際に空撮などでやるのですが、他の作品はこのようなカットがあったとしてもCGでやっていたりします。
空撮はお金もかかりますし、いろいろ段取りも大掛かりなので、やるのは大変だと思いますが、ピーター・ジャクソンはしっかりとこういうカットも力を入れて撮ります。
短い時間ですが、実景が醸し出す空間感とCGのそれとはやはり違うところがあるので、この辺が違いとなって現れている気が感じがします。
またCGを使った場面も多く登場しますが(本作だと最後の山の中での戦いのシークエンス)、ピーター・ジャクソンの作品でのこういったシーンの空間はとても立体的に構成されていることが多いです。
地下などの限定空間ではあるのですが、それがとっても広く構成されている。
これをスタジオでは実写ではできません(セットが狭くて)。
せっかくCGで構築するのであれば、実際にはできないほど広く、そして入り組んだCGでセットをつくり、そこに縦横無尽にカメラを動かす。
これによって他の作品にはない空間感、スケール感を出しているように思います。
こういった空間感を出すことができるからこそ、その世界があたかもあるように感じ、そこで活躍する登場人物の姿がイキイキと見えるようになる。
これがピーター・ジャクソンが作るファンタジーが他と一線を画しているところじゃないかなと思いました。

前作「ホビット 思いがけない冒険」の記事はこちら→

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2014年3月 9日 (日)

「魔女の宅急便(2014)」 好きなことが魔法になる

魔女は13歳になったら、魔女のいない街に行き、そこで1年間の修行をする。
そのしきたりに従って、キキはワクワクした気持ちで生まれ育った街を旅立ちます。
自分はこれからどんな人と出会うのだろう、どんな出来事があるだろうという。
キキが感じているワクワクした気持ちは、自分の未来に対する可能性。
彼女が使える魔法は、唯一空を飛ぶことです。
キキは小さい頃から飛ぶことが好きな子でした。
彼女はその力を使って、見知らぬ街で”お届け屋“をはじめます。
人から人へ、品物だけではなく、幸せな気持ちもいっしょに届けたいと思って、彼女はこの仕事に決めたのです。
しかし、魔女は品物と一緒に呪いも運んでくるという悪い噂が広まり、キキにはお届けの仕事がまったく来なくなります。
仕事が届かなくなるだけではなく、魔女であるキキにも人々の白い目が向けられてしまうのです。
そして、キキは飛べなくなってしまいました。
落ち込むキキは、街でできた友達のトンボにこう言います。
「おいしいパンを作ることも、飛行機を作ることもあたしには魔法に見える」
おソノさんやフクオさん、トンボも魔法かと思えるように素敵なことができる、あたしにはもう何にもできない、と。
これは初めてキキが感じた挫折でしょう。
みんなに喜んでもらえると思ったことが、疎まれる。
そして、自分が好きだったことが、イヤになってしまう。
キキが飛べなくなった理由は、キキが初めて空を飛べたときの気持ちを忘れてしまったからだと思います。
初めて空を飛べたとき、そうすることがとても好きになった。
好きなこととには一生懸命打ち込む。
だからだんだんと上手になって、みんなも喜んでくれて、それがうれしくてもっとがんばる。
もっとうまくなって、もっとみんな喜んでくれる。
おソノさんもトンボも魔法のように素敵なことができるのはそういう気持ちを持っているから。
キキは嵐の日を経験して、空を飛ぶことが人に喜んでもらえて、なにしろ自分が飛ぶことが好きだという気持ちを思い出しました。
初めて自転車に乗れたとき、初めて空を飛べたときの気持ちを忘れなければ、たぶんもう大丈夫。
そういう経験をするのが魔女の修行なのかもしれません。
こうやって書いてきたら、浅田真央ちゃんのことが浮かびました。
彼女もキキといっしょですよね。
いろいろ言われることもあるけれど、がんばると人に喜んでもらえて、なにしろスケートが好きってことなんだろうな。

「魔女の宅急便」と言ったら宮崎駿監督のアニメ版があるのに、なんで今さら実写化というふうに思ったりもしました(と言いつつ、アニメ版は一回くらいしか観てないけれど)。
実写ならではの映像というところもあまりなかったのも確かなんですけど。
でもストーリー的にはやはり王道な挫折と成長物語ということでグッとくるところはありました。

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2014年3月 8日 (土)

「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 狂乱の日々

レオナルド・ディカプリオが演じるジョーダン・ベルフォートは株式ブローカーとしてキャリアをスタート、その後自分で株式仲介会社を設立しました。
会社は強引な手法で数年で急成長し、ジョーダンも億万長者となります。
ジョーダンとその仲間は、夜ごとにパーティを繰り返し、湯水のように稼いだお金を使う。
会社が荒稼ぎする手法も詐欺まがいですし、ドラッグもやるわ、乱交パーティもやるわ・・・。
普通の人々の年収を1日で稼いでしまうような生活を送っていても、彼らは満足することがありません。
もっともっと、お金と、クスリと、女を。
欲望は止まらない。
そしてジョーダンは欲しいもの(金、クスリ、女)を手に入れるということだけが目的だけではなかったのかもしれません。
その過程そのもの、狂乱的で疾走する日々こそが、彼が生きがいを感じることだったのかもしれません。
ジョーダンは単にクスリのジャンキーだったということではなかったのでしょう。
クスリをキメているいるときのハイテンション、女を抱いている時の恍惚感、そういった我を忘れてしまうような高揚感のジャンキーだったのでしょう。
走り始めたら止まれない、自分でも高揚感を求める欲望を制御できなかったんでしょうね。
ジョーダンは当局に目を付けられて社長を引退しようと社員にスピーチをしますが、その最中に次第に自分自身の話す内容に酔っていくような感じになります。
彼は社員を引きつける強力なカリスマ性を持った人物ですが、その力は自分自身にも作用しているようにも思えます。
結局彼は高揚感への欲望を止められなかった。
そのため引き際が見極められず、逮捕されるに至ったわけですね。
ジョーダンという人物、その言動は鼻持ちならず、またその行動は倫理的にもいかがなものかと思わざるをえないのですが、不思議にその挙動から目をはなせられないところがあります。
自分の欲望に素直過ぎる生き方が、そして人としてダメダメなところが、逆に人間くさい感じをさせるのかもしれません。
彼は実刑となり、刑期を終えて出獄してからは、講演業などで暮らし始めました。
かつて某IT企業の社長で、証券法違反で実刑をうけた人物を思い浮かべてしまいましたよ。
彼も講演業や執筆業で暮らしてますよね。

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「キック・アス ジャスティス・フォーエバー」 スーパーヒーローの覚悟

前作「キック・アス」は、今はもうない渋谷シネセゾンで上映していたマイナーな映画でした。
しかし公開してから口コミで話題が広がり、単館系でありながらロングランの公開になったと記憶しています。
その続編「キック・アス ジャスティス・フォーエバー」は大きな映画館でも公開されるようになり、すっかりメジャーな感じになりましたね。
クロエ・グレース・モレッツも「キック・アス」のヒット・ガール役でブレイクしたのでした。

本作の主人公キック・アスことデイブは特殊能力やパワーがあるわけではないけれども、悪者から人々を守りたいという正義の心だけは人一倍持っている青年です。
前作では、ヒーローにとってクモの糸が出るとか空を飛べるといった能力が重要なのではなく、正義を守りたいという心こそがスーパーヒーローの条件であるということを描いていました。
キワモノの映画ととられがちですが、ヒーローものとしては王道のテーマを扱っていたのですよね。
さて本作では。
前作のキック・アスの活躍によって、自分の中にあった正義の心を素直に出して、平和のために戦いたいという人々が現れます。
彼らはお手製のコスチュームに身を包み、さらにはチーム(ジャスティス・フォーエバー)をつくり自警団よろしく夜の町をパトロールします。
主人公デイブも彼らの仲間に加わります。
デイブをはじめジャスティス・フォーエバーのメンバーたちの正義の心はとてもピュアでまっすぐなものです。
しかしそのピュアさは子供っぽいロマンチシズムでもあります。
そのロマンは本当の暴力を相手にしたとき、あまりに無力です。
ジャスティス・フォーエバーのリーダーである大佐やデイブの父親はほんとうの暴力に犠牲になりました。
ヒーローに限らず、子供の頃に持っている将来に対してのロマンや憧れは大人になって社会と近づいていくに従い、現実というものの厳しさに晒されます。
現実世界の中でロマンと憧れを持ち続けるには、いくつかの犠牲も辞さない揺るぎない心と努力がいるのですよね。
ありたい自分でいるには覚悟がいる。
本作はデイブがそれに気づく物語でありました。
「スパイダーマン」のピーターが叔父の死をきっかけに気づくように。

ヒット・ガールことミランダにとっても本作は成長の物語でした。
彼女は幼い頃より父親の英才教育を受けた正義を守る暗殺者。
言わば彼女は、歌舞伎の家に生まれ、その瞬間から歌舞伎役者になることを運命付けられた子供のようなもの。
彼女の人生は彼女が決めたものではありません。
父親の死によって、彼女は父の親友に引き取られて普通のティーンエイジャーのように生活するように言われます。
もう父親が決めたように生きなくてもいいのだと。
しかし、結局ミランダはヒット・ガールに戻ります。
それは父親に言われたからではなく、彼女自身がそうありたいと願ったから。
彼女自身が自分の人生を決めたのですね。

大佐役にジム・キャリーがでてましたが、意外とあっけない。
実は黒幕だった的な展開かと思っていたら、あっさりと退場でしたね・・・。

前作「キック・アス」の記事はこちら→

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「土竜の唄 潜入捜査官 REIJI」 根性決め〜れば〜

冒頭からインパクトあるシーンでスタートしましたね(予告でも映っていたシーン)。
この辺は監督の三池さん、脚本の宮藤さんらしいケレン味のあるテイストですが、このシーンを体当たりで演じた生田斗真さんの根性の決め方もいいですよね。
生田さんはあのジャニーズ事務所所属ですが、なかなかこういった思い切ったシーンというのはあの事務所のタレントさんはやらない印象があります。
本作の主人公玲二という役そのものが振り切っている感じであったからというのはもちろんあると思いますが、生田さんのこの役への入れ込みっぷりというのが、作品自体のハイテンションに貢献していると思います。
三池さんの演出は、極端に振り切る方向ですので、これについていけないと残念な感じになってしまうのですよね。
生田さんはジャニーズ事務所らしく綺麗でスマートな役柄もやりますが、「脳男」とか本作とか極端なタイプの役もやりますよね。
そういった役柄のほうがイキイキと演じてるように感じられ、ご本人もそういった思い切った役柄の方が楽しいのかなと思ったりしました。
これからも生田斗真さんには注目していきたいと思います。

本作、印象的なのはタイトルにもある「土竜の唄」です。
「根性決め〜れば〜 怖くない〜」
っていう歌詞は予告編でも暑苦しく何度も聞いたので、作品鑑賞の前にすっかり覚えてしまっていました。
玲二は暴力団への潜入捜査でいつバレて殺されてしまうかもしれないっていう究極の環境にいるわけですが、これほどまでではないにせよ日常的に仕事でも追い込まれることありますよね。
はじめてやる仕事だったり大きな仕事でビビるとか、腰が引けるとか。
そういったとき、腰が引けた感じで仕事に挑むとあまりうまくいくことってないのですよね。
逆に「根性決めて」挑んだ時の方がうまくいく。
「やるしかない!」って覚悟を決めれば、思い切りがよくなる。
僕なんかもどっちかと言えばビビリーなので、仕事の直前まで気が重かったりするのですが、ギリギリでそれこそ「バッチ来ーい!」って気分に覚悟を決めたりして挑んでます。
根性を決めているときは、言葉にせよ態度にせよ動じないという覚悟が相手にも伝わるんですよね。
半分くらいハッタリにせよ(玲二なんてほぼハッタリですからね〜)。
あと初めての相手との仕事でも当然内容は大事なのですけれど、相手がどのくらい本気なのかというのもとても大事な要素ですよね。
パートナーとして長くしっかり取り組んでいけるかどうかという視点です。
本作で描いているのはヤクザの世界ですけれど、そこでいう「兄弟」とか「相棒」っていう関係は相手の本気度を理解して信頼に足る相手とみなしたときにできるものなんですよね。
「兄弟」なんて言葉は使いませんが、普通のビジネスでも目的を一緒にする信頼できるパートナーができると強いですよね。

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2014年3月 1日 (土)

「獣電戦隊キョウリュウジャー」 最強のかけ算

最終回終了から2週間以上経ってしまいましたが、レビューを。
前作の「特命戦隊ゴーバスターズ」がクールでプロな戦隊で、こちらのシリーズとしてはかなり意欲的な取り組みを行っていましたが、本作「キョウリュウジャー」はスーパー戦隊らしいエネルギッシュで楽しいテイストの作品となっていました。
脚本は三条陸さん(全話+劇場版すべてを一人で書き上げた)、メイン監督は坂本浩一さんのコンビですので、エピソードもいつもの戦隊よりも濃度が高くなっていましたよね。
最近の戦隊、というより最近のヒーローものというのは、割と最初は未熟で徐々に戦いを通じて精神的にも成長をしていく、ということを描くことが多いのですが(現在オンエアしている「仮面ライダー鎧武」などはまさにそれ)、本作の戦隊メンバーは最初から「最強」という設定なのがユニークなところです。
それぞれがすごく強いのに、それがチームになって「戦隊」になるわけですから、さらに強い。
まさに最強のかけ算です。
戦隊のレッドというのはリーダータイプだったり、おバカタイプだったり、直情タイプだったりいろいろいますが、キョウリュウレッド=ダイゴはまたちょっと今までとは違うタイプでした。
一見直情タイプのようにも見えますが、何も考えなしというわけではないですし、どちらかというか素直でまっすぐ。
特に仲間を信じるまっすぐさというのが、他のメンバーが彼を信頼することにもつながり、それが自然と彼をリーダーのような役回りにしていっています。
使命感だったり、血のつながりであったり、今までの戦隊のメンバーの繋がりのキーはいくつかありますが、本作の戦隊はお互いの実力を認め合うところからくる信頼感でしたね。
まさに最強のチームということです。
メンバーはそれぞれが最強で成長というプロセスを描く必要がないわけですから、物語のテンションも最初の頃よりマックスな感じでしたね。
追加戦士が登場するのも早かったですし、獣電竜も10体まで登場し、いつものシリーズよりも年にいくつかあるピークを前倒し前倒しでやっていたような気がします。
三条さんはおもちゃの使い方なども非常に上手く、「出さなければいけないから出している」って感じではなく、物語の中で必然的に出してくるんですよね。
坂本監督もけっこうおもちゃのギミック感などを大事に撮るので、子供が大好きなおもちゃをガチャガチャやる楽しさのようなものがよく出ていると思います。
通常のシリーズでのラス前数話のハイテンションを年間を通じてやっている熱量の高さが本作の一番の魅力でしょうね。
あとスーパー戦隊シリーズでおもしろいと評価される作品で共通しているのが、悪役側のキャラクターが魅力的であるかどうかかなと思います。
「ハリケンジャー」のジャカンジャとか、「ゴーカイジャー」のザンギャックなど敵側のキャラクターには愛すべき者が多い。
本作ではラッキューロとかキャンデリラとか、アイガロンとかキャラが立っていて魅力的。
ラッキューロなんかは今までいないタイプの敵側(というか敵に見えない)でなんかキュートでしたよね。

さて「キョウリュウジャー」続いて「烈車戦隊トッキュウジャー」がスタートしています。
これまた今までとは雰囲気が違う感じの戦隊になっていますね。
毎度毎度いろいろなアプローチで楽しませてくれます。
これからの展開に期待したです。

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