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2014年1月26日 (日)

「ゲノムハザード ある天才科学者の5日間」 ミステリーとしての振りは魅力的

イラストレーター石神武人はある日、自宅に帰ったとき、そこに自分の妻の死体を発見する。
それ以降、石神の記憶は混乱していく。
まさに自分の知らない自分がいるかのように。

<ネタバレしてますので注意です>

予告でも触れているのでこれはいいかと思いますが、石神の正体はオ・ジヌという韓国人の天才科学者。
しかしオ・ジヌの記憶は石神という別の人物の記憶に上書きをされてしまい、ジヌは石神として1年間生きてきたのです。
記憶が上書きされてしまったのは、ジヌが行っていたアルツハイマー症候群の治療のための遺伝子研究の際の事故によるものでした。
石神となったジヌにはその記憶はありませんが、その研究の秘密を巡り、謎の男たちが石神を追います。
石神を追う男たちの首謀者が「この研究は不老不死に繋がる」といったことを言いますが、これはなるほどなと思いました。
古来より不老不死というと、いかに肉体を老いから逃れさせるかということでしたが、、精神(記憶)が肉体を乗り換えることができるのであれば、それも不老不死だなと。
コンピューターのバックアップをとっておいて、新しいハードにそれをコピーする、といった感じでしょうか。
そうやって肉体を乗り換えれれば確かに不老不死とも言えます。
それを実現したいと考える人がいてもおかしくはありませんね。

ミステリーとして本作を観てみますと、最初の事件の振りとしては魅力的でした。
自分の目の前に妻の死体がある。
そのときその妻、本人からの電話を石神は受ける。
電話をしてきたのは本当に妻なのか、それとも目の前の死体は妻ではないのか。
普通の人間が主人公であればこれはミステリーにも何にもなりはしません。
目の前の死体が妻であるかどうかということに確信がもてない人間はいないと思いますから。
しかし主人公がその確信を持ちきれない(記憶が錯綜するため)ということが、なかなかおもしろかったです。
ただ後半で謎が明らかになっていくところは、ちょっとご都合主義的なところがあって収束させていったところがあったような感じはしましたね。

<ここから先はほんとにネタバレしてますので注意です>

ちょっとずるいなと思ったのがひとつ。
石神が発見した死体の妻は、オ・ジヌの妻であるユリ(中村ゆりさん)でした。
そして石神の妻は美由紀(真木よう子さん)です。
記憶の混乱がすでに始まっていた石神は本当の妻であるユリの死体を見て「美由紀!」と呼んで駆け寄ります。
石神の記憶の中では「妻=美由紀」という関係性になっていからですね。
その直後、石神は電話をとりますが、その相手は美由紀本人でした。
しかし目の前の死体の妻=ユリ、電話の相手の妻=美由紀という記憶が錯綜し、石神=オ・ジヌにとっては「死体の妻から電話があった」という風に受け取ったのでしょう。
ただずるいところは観客の我々が聞いている電話の相手の声が真木よう子さんとは聞こえにくいのですよね(声質を処理しているような・・・)。
記憶が混乱している石神にとっては美由紀の声でもユリの声に聞こえてしまったというのはわかるのですけれど。
小説で、この部分が一人称で描かれていればそれほどずるくはないのですが、映像だとそれは客観的なものになってしまうのでここだけ一人称というのはちょっとずるい(映画で一人称もありますが、この部分だけってのがちょっとね)。
真木よう子さんの声はかなり特徴的なので、そのまま出すと目の前の死体とは別人だということが一発でわかってしまうので、ミステリーにもなんにもならないのですけれどね・・・。
原作の小説がどんな風に描いているのか、ちょっと読みたくなりました。

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2014年1月19日 (日)

「獣電戦隊キョウリュウジャーVSゴーバスターズ 恐竜大決戦!さらば永遠の友よ」 60分とは思えないほど盛りだくさん

テレビの方も最終回が近くなりテンションが上がってきている「獣電戦隊キョウリュウジャー」の劇場版です。
スーパー戦隊シリーズで恐竜をモチーフにしているのは「キョウリュウジャー」意外に2作品あり、それが「恐竜戦隊ジュウレンジャー」「爆竜戦隊アバレンジャー」です。
本作では恐竜モチーフ繋がりということで、「ジュウレンジャー」と「アバレンジャー」が登場します(もちろん前作「ゴーバスターズ」も)。
個人的には「ジュウレンジャー」は特撮から離れていた時期なので未見、「アバレンジャー」は観てはいたのですがそれほどお気に入りの作品ではありません。
スーパー戦隊の単独映画は尺が60分と短いのですが、その中に4つの戦隊のエピソードを込められるのかと一抹の不安が・・・。
しかし本作の監督はテレビシリーズでもメインを務める坂本浩一監督、脚本は「キョウリュウジャー」の前エピソードを一人で書いている三条陸さん。
坂本監督は相当にエピソードがてんこ盛りでもテンポがよく飽きさせえない演出で見せてくれる手腕が、三条さんはおもちゃのガジェット盛りだくさんでもそれを物語に活かすことができるという実績があります。
さすがお二人の手にかかると映画がキレがいいですよね。
盛りだくさんなのにそう感じさせない。
最初から最後まで飽きさせませんでした。
坂本監督なので素面でのアクションもたくさんあって見応えありましたし。
ヨーコとアミィの女の子デュオの足技コンボは坂本監督の趣味でしょうねー。
アクションは「ゴーバスターズ」はクール、「キョウリュウジャー」はやんちゃという感じで対象的でこのあたりは観ていて楽しかったですね。
「ゴーバスターズ」のアクションは今までの戦隊とは違ったものであったので、久しぶりにクールでアクロバティックなアクションが観れてよかったです。
そうそうトリンを見て、ヒロムがフリーズしそうになるのは「ナイス!」なネタでしたねー。

最後には次の戦隊「烈車戦隊トッキュウジャー」が登場!
今まで雑誌のスチールでしか見たことがなかったが、次はコメディ戦隊なのかしらん。
なんかゆるそうな感じがいいぞ。
脚本は小林靖子さんなのでなんとなく「電王」のイマジンの掛け合いのようなのが期待できそう。
電車対決で「烈車戦隊トッキュウジャーVS仮面ライダー電王」やってください(気が早い!)。
でも東映さんは本当にやりそう・・・。
戦隊のメンバーの名前が「レッド」とか「ブルー」ではなく、「1号」「2号」になっているのが不思議だったのだけれどこういうことができるからなんですね(カラーをチェンジするとは!)。
このギミックもおもしろそうですね。
追加戦士は新幹線だろうなー(またまた気が早い!!)。
期待度が上がってしまいました。

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2014年1月18日 (土)

「エンダーのゲーム」 攻撃性と共感性

原作は1978年出版のアメリカのSF小説「エンダーのゲーム」。
ヒューゴー賞・ネビュラ賞というアメリカSFの二つの賞をとっていることからタイトルは知っていたのですが、こちらの作品は未読でした。
ということで予備知識なく映画を鑑賞しましたが、うん、SF映画として優れた作品にでき上がっていると思います。
単純に宇宙や未来を舞台にしていればSFになるかというとそうではなく、真のSFというのは世界観、人間観といった哲学的なものをもっているものだというのが持論です。
SF作品というのは、見たことのない世界を構築するわけですから、そこに暮らす人々の生き方、考え方、社会のありようなどを描かなければなりません。
そこには何かしらの世界観があるべきで、そうでないと表面的にただ目新しいだけということになってしまいます。

本作の舞台は未来の地球。
地球は異星人に突如侵略を受けましたが、その攻撃を辛くも弾き返しました。
しかしその戦いにより多くの人が亡くなり、地球はその記憶をトラウマのように抱えるようになります。
いつかまた侵略者がやってくる、それから地球を守らなければならないと。
その社会では侵略者から地球を守る兵士になるのが名誉なこととされているようです。
主人公エンダーはその類いまれな戦略立案力が認められ士官候補生となります。
エンダーには兄ピーターと姉ヴァレンタインという兄弟がいます。
この社会では子供は二人までという決まりがありますが、ピーターとヴァレンタインが士官候補として優秀な才能を持っていたため、特別にウィッギン家には第三子(サード)が認められエンダーが生まれたのです。
ちなみにピーターは攻撃性が強すぎたため、ヴァレンタインは優しすぎるため、士官となることはできませんでした。
エンダーという少年は人間という存在の象徴であると言えます。
人間は時に獣のような攻撃性を持つ。
そのような攻撃性を持たなければ人間は種としての生存を勝ち得ることはできなかったと言えるでしょう。
しかしまた人間は互いに共感できる力を持っています。
攻撃性だけではやがて互いに攻撃し合い自己破滅をしてしまう。
だから共感できる力も必要なのですね。
しかし優しすぎても自分を攻撃しようとする敵と対した時に生き残れない。
人間という種はこの攻撃性と共感性との危ういバランスを常に撮り続けなくてはいけない存在なのでしょう。
このバランスというのはかちっときまったものではなく、個人レベルでも集団レベルでも状況に応じて、かなり揺れ動くものなのだと思います。
だから殺人、戦争のようなものも起こるし、自己犠牲、平和活動といったものを行われるのですよね。
主人公エンダーはこの攻撃性と共感性のバランスの不安定な状態である人間を象徴している存在です。
彼が精神的に不安定とされるローティーンであるということは意味があります。
彼は自分の中にあるおさえきれない攻撃性と、他の人よりも優れた共感性の間で揺れ動き苦しみます。
まさにこの葛藤というのは思春期で誰もが経験することで、彼が象徴する人類もまたまだ子供=幼年期であるということなのかもしれません(SF小説ではアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」という優れた作品がありますね)。

またエンダーが子供であることは別の意味もあります。
子供は前例やルールというものに犯されていない。
大人は知らず知らずのうちにそのようなものに思考を絡めとられてしまう。
しかし子供は前例に縛られず自由に発想を膨らますことができる。
その自由さの象徴がエンダーなのですね。
彼はそれまでの大人が考えない次元で「感じる」。
生まれた時から周りにデジタル機器がある子供たちをデジタル・ネイティブと言います。
また海外で生まれ海外に長く暮らす子供も増えました。
確かに子供たちが接する情報が(デジタルであろうとリアルであろうと)広くなればなるほど、ものの感じ方、考え方は変わるはず。
何百年も前であれば人の思考の範囲は自分が暮らす村のあたりのことだけ。
現代に生きる人は普通、思考の範囲は国レベル、地球レベルになっていると思うのですよね。
異星人という存在が生まれた時から存在しているエンダーの世代は、思考の範囲は宇宙の範囲になっていて、彼らの大人たちには理解できぬほどになっているでしょう。
このあたりは「ガンダム」のニュータイプにも通じるところはありますね(認識力が共感性につながっていくっていうところも似ていますよね)。
「ガンダム」と同じように、この物語の大人たちも子供たちの力を戦争に使おうとします。
本作が「ガンダム」と違うのが大人たちが子供たちを完全にコントロールできているということ。
だからこそ大人たちは尚のこと罪深い。
彼らは子供たちに真実を話さずに利用した。
エンダーには先に書いたように激しい攻撃性と優れた共感性を両方持った少年です。
大人は彼の攻撃性のみを利用し、「シミュレーション(ゲーム)」と偽り共感性に蓋をしたのです。
それは彼の一面だけしか見ないということで、彼の人間性を踏みにじっていることであるのですよね。
そういう仕打ちを受けたエンダーは気がつかぬうちに血まみれになった自分の手に愕然とするのです。
このように作品を通じて社会とか人間とか考えるトリガーになるっていうところが、優れたSF作品だと感じたところです。

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「ウォーキング with ダイナソー」 そこだけディズニー

男の子ってのは小さい頃には一度は恐竜に夢中になるもので、ご多分にもれず自分もそうでした。
恐竜図鑑を観ながら恐竜の絵を落書きしてたりしましたね。
「オルニトレステス」とか長ったらしい名前を覚えたりしたものです。
その頃の恐竜図鑑で描かれている恐竜の絵は、茶色かったり緑色っぽかったり、いかにもは虫類っていう感じでしたね。
でも最近の研究では、恐竜には羽毛があったとか、表面はカラフルな模様だったとかということもわかってきているようです。
は虫類よりは鳥類に近い風貌の恐竜もいたようですね。
本作「ウォーキング with ダイナソー」で描かれる恐竜はそういった最新の研究に基づいた風貌をしていて、僕の子供の頃のイメージとは少し違った恐竜が観れました。
制作には「アース」などネイチャードキュメンタリーを数々手がけているイギリスのBBC アースフィルムズが関わっているので、恐竜や中生代の自然を描くCGはリアリティがありました。
しかし、BBC アースフィルムズが関わっているといっても本作はドキュメンタリーではありません(あたりまえだが)。
恐竜たちのリアリティのある生態を描きながらも、パキリオサウルスのパッチという主人公の恐竜の成長物語を描くというストーリーがあります。
このストーリーを描くということと、ドキュメンタリータッチのバランスが微妙です。
中生代をイマジネーションで再現していく作品なので、観客(特に子供たち)を引き込むために物語性が必要であるということはあったのでしょう。
これはわかります。
ただそこで恐竜にキャラクターをつけてしまうことにより、リアリティを追いかけている映像が恐竜の演技が入ってしまうところだけ、「マンガ」になっちゃうんですよね。
恐竜のフォルムとか質感だけはリアリティがあるのに、動きとか目の表情とかにキャラクターがでてしまいちょっと違和感がありました。
なんというか、そこだけディズニーになってしまうという感じ?
特に日本語吹き替え版で観てしまったので余計にそういう印象を受けてしまいました。
物語性をつけるのではあれば、映像はドキュメンタリーに徹してそれにナレーション等でドラマ性を付加する(それこそネイチャードキュメンタリーであるような)というような方法の方が良かったかなと。
映像はよくできていただけにその辺がちょっと残念でしたね。

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2014年1月15日 (水)

本 「GANTZなSF映画論」

こちらの本はタイトルからもわかるようにマンガ「GANTZ」の作者である奥浩哉さんによる映画評です。
「GANTZ」と言えば2部作の映画にもなりましたよね。
僕は映画の「GANTZ」は邦画っぽくないSFセンスがあってけっこう好きなんですよね。
原作のほうは映画とはまったく違う展開で、先頃物語が終結しました。
最近の漫画家はコンピューターをうまく使って原稿を描く方も増えていますが、奥浩哉さんは中でもかなり駆使しているほうですよね。
「GANTZ」の劇中にでてくるメカなどは、もう手描きでは無理っていうくらいなディテールですものね・・・。
実際コンピューターで3Dレンダリングして描いているらしいです。
まさにこの使い方は最近の映画で3DCGを取り入れているのと同じですね。
最初っから脱線していますが、本についてです。
こちらの本では奥さんが今までに影響を受けた映画作品について描いています。
あげているのはほとんどがハリウッドで制作されたメジャーな作品。
紹介されている作品は僕もほとんど観ていて、好きな作品が多かったですね。
映画好きというと、ハリウッドの派手な映画大好き!っていう人と、ハリウッドダメでインディペンデントが好きっていう人と分かれたりしますよね。
僕はインディペンデントも観ますが、どっちかというとハリウッドの派手な作品が好きな方でしょうか。
奥浩哉さんもそういう感じらしく、バジェットをかけた映画の方がおもしろいという論を持っています。
お金をかければかけただけそれは画面に見たことのない映像を作り上げることができる。
人に驚きを与えるためには、お金をかけたほうがよいということですね。
もちろんお金をかけただけではダメで、そこにはセンス・オブ・ワンダーがないというのはもちろんです。
奥さんが影響を受けた映画として「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をあげていました。
脚本のよさ、魅力的な登場人物、センスのある映像。
こちらの作品、僕も生涯のベスト10では必ずあげる作品ですね。
あと奥さんが紹介していたのが「インデペンデンス・デイ」。
なるほど・・・。
マンガの「GANTZ」の最後のほうはこの作品に影響を受けているのですね。
あれを一人の漫画家がやってしまうというのはまたすごいことだなと思います。

「GANTZなSF映画論」奥浩哉著 集英社 新書  ISBN978-4-08-720641-8

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2014年1月13日 (月)

「トリック新作スペシャル3」 二人ともこのままで

シリーズ完結ということで現在劇場で「トリック劇場版 ラストステージ」が公開されていますが、テレビではスペシャルドラマがオンエアされました。
劇場版のほうは最後にして初の海外ロケとなっていますが、スペシャルドラマのほうはいつもの「TRICK」らしく、舞台は田舎の山の中にある村、尾古溝村が舞台となっています。
村の旧家水神家で当主が亡くなり、その遺産を巡り一族が疑い合う。
そうした中で、一族の一人が殺され、そしてまた一人・・・。
どこかで聞いたような話です(○溝○史「△神家の一族」ですね、ま、村の名前聞けばわかるか)。
殺人事件が起こったとき、相変わらず欲に駆られた山田と上田が居合せ、事件に係わり合っていくという「TRICK」の王道パターンです。
山田にしても、上田にしても、行動パターンが14年経っても変わらないという・・・。
最後って感じがしないほどに、成長がないですこの二人。
なので、最後って感じがしないのですよね。
「ほんとに最後です!」って言っても「それはなし!」って言っても「TRICK」の場合は、ファンは許してくれそうですので、また何年か経ったら復活して欲しいものです。
そのときは、二人ともやはり成長してないでこのままでいてほしい。

劇場版「トリック劇場版 ラストステージ」の記事はこちら→

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「プレーンズ」 バッタもんじゃないよ

ディズニー映画「カーズ」の世界観を飛行機に広げたのが、本作「プレーンズ」です。
そういえば「カーズ」でしゃべったりしていたのは車だけじゃなかったですもんね。
「カーズ」と言えばピクサーという印象がありますが、本作はピクサー制作じゃないんですね(ジョン・ラセターはプロデューサーとして関わってますが)。
制作しているのはディズニー・トゥーンスタジオというディズニーの系列の制作会社(ラセターが社長)です。
この会社はディズニー映画のスピンオフ(人気作品のビデオ展開とか)を担当しているということなんですね。
「プレーンズ」は「カーズ」のスピンオフ作品という扱いなのですね。
実は本作の予告を最初に観たとき、他社が作った「カーズ」のバッタもんかと思いました・・・。
でもラセターが両方とも関わっているから世界観などはしっかりと統一がとられています。
映像的にはピクサーの劇場作品と比べるとお金をかけられていない感じもしましたが(テクスチャのディテールの表現など)、他社の作品と比べてもレベル的にはもうしぶんありません。
本作は飛行機の映画なので、たくさんの飛行シーンなどがありますがスピード感があってよくできていると思います。
お話は非常にシンプルなお話で、よくある話といえばよくある話。
夢を追いかけて一途にがんばっている主人公ダスティが挫折しながらも、仲間の助けを得つつ、夢をつかむというお話です。
シンプルでありがちなストーリーであったりもするのですが、逆を言えば王道でツボをおさえた話でもあるわけで、観始めるとしっかりと観入ちゃったりします。
「カーズ」と同様に登場するキャラクターもわかりやすく、また魅力的でもありますので、楽しく観れます。
ピクサーの一連の作品よりは対象年齢が低めなストーリーですので、子供たちにもわかりやすく、親子でいっしょに観に行くにはぴったりの作品かもしれません。
「カーズ」の世界観って車が人間のように振る舞う様子のディテール描写が気が利いてたりするのですが、本作もそういうところがありましたね。
空母の艦載機たち(ブラボーとエコーという名)はパイロット用のヘルメットをかぶっていたりとかしてますし。
そうそう、僕は吹き替え版を観たのですが、エンドロールのところでブラボーの声の役でヴァル・キルマーの名前を発見。
ヴァル・キルマーと言えば「トップガン」の”アイスマン”です。
実は本作のブラボーがかぶっているヘルメットのデザインは”アイスマン”のものと同じだったんですよ。
これもスタッフの遊びですかねー。

車の次は、飛行機の作品でスピンオフでしたが、この考え方でいくといろいろできそうですね。
船を主人公にして「シップス」とか、電車を主人公にして「トレインズ」とか、宇宙船で「ロケッツ」なんてのもいいかもしれません。
あ、「トレインズ」だと「機関車トーマス」になっちゃうかも・・・。

「カーズ」の記事はこちら→

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2014年1月11日 (土)

「トリック劇場版 ラストステージ」 いい意味で変わってなーい! パート2

14年前に放映されたテレビドラマ「TRICK」、今回の劇場版で完結ということです。
僕はなんだかんだと全部観ているんですよね。
堤監督のことを知ったのは、このシリーズですし。
って書いて前回の劇場版のときはどんな記事を書いたかなと見てみたら、同じこと書いてたw。
前回の「劇場版 TRICK 霊能力者バトルロイヤル」が公開されたのは2010年ですから、もう3、4年前なんですね。
そのときの記事のタイトルが「いい意味で変わってなーい!」だったのですが、今回観て思ったのも同じこと。
「TRICK」というシリーズは物語の本筋に関係する以外のところ、映像の端っこのほうにいたるところまで様々な小ネタが仕込まれているというのが特徴なわけですね。
それがわかんなくても、物語の理解には支障がないわけなのですが、過去の作品を観ているほうがその小ネタが楽しめたりするわけです。
本作も旧作からの小ネタがそれこそ数えきれないほどに仕込まれていますので、旧作からのファンはそれに気づくかどうかという楽しみもあるわけで、物語の本筋を追いかける以外にも、別の神経を使うわけです(笑)。
相変わらず山田の家の電話はスケルトンだなーとか、大家さんとジャーミーくんは子だくさんだなーとか、さりげなくなすびもいるなぁとか、いろいろいろいろ。
物語についても今回はシリーズ完結と銘打っているので(ほんとにそうか全く信用してないけど)、今回はテレビシリーズの1回目の「母の泉」の事件についてフューチャーしていましたね。
シリーズファンの方はご存知の通り、「母の泉」事件に登場する教団の教祖様を菅井きんさんが演じてました(山田の「貧乳」の悩みもここからでていた!)。
今回訪れる山田と上田が訪れる架空の国は「赤道スンガイ共和国」。
相変わらずのだじゃれセンスです。
別にこのだじゃれに気づかなくてもストーリーには関係ないですけど(笑)。
前回の劇場版は「TRICK」の小ネタ関係が中心になっているような感じがありましたが、今回の作品の雰囲気も当初の頃に近かったような。
1作目のテレビシリーズも最後のほうは山田の運命にも関わる展開になりシリアスな面もありましたが(この展開は観ていて引き込まれたものでした)、本作もそのようなテイストを感じました。
そういう意味で原点回帰であり、集大成だったんですかね。
エンディングで過去の作品のシーンが回想されます。
仲間由紀恵さんってあまり昔から変わっていない感じがしているんですけれど、最初のほうは幼いというかカワイイ感じですね。
またシリーズ見直してみようかな(DVD全巻持っているのだ)。

前回の「劇場版 TRICK 霊能力者バトルロイヤル」の記事はこちら→

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「大脱出」 良くも悪くも80年代テイスト

シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーといえば、80年代を代表するアクションスター。
その後マッチョなアクションがだんだんと廃れていき、どちらかというとワイヤーなどを使ったスタイリッシュなアクションが流行りだした90年代以降となると二人とも映画への出演が激減(シュワちゃんは知事の仕事があったからだけど)しました。
しかし、スタローン監督のアクションスターの男祭り「エクスペンダブルズ」がヒットをすると、再び露出してきました。
一時期はシリアスやったりコメディやったり試行錯誤していた二人ですが、「やはり俺らにはこれしかないんだぜい」という覚悟を決めたのかは知りませんが、アクション映画一本に絞ってきた感じがします。
スタローンとシュワルツェネッガーが「エクスペンダブルズ」「エクスペンダブルズ2」で共演をしていますが、ダブル主役でがっつりと組むのは本作が初めてではないかな?
ということで前置きが長くなってしまいましたが、世代的には二人の洗礼を思い切り受けている僕としては観なくてはならぬと初日に観に行ってきました。

良くも悪くも80年代テイストのアクション映画って感じがしますねー。
あの頃のアクション映画というのは、あんまり複雑な筋立てでもなかったですし、言っては何だけど御都合主義満載だったりしていました。
最近のアクション映画はストーリー性とか、登場人物の人物像の深掘りとかアクション意外もしっかりと作られているものですが、本作「大脱出」は大味というかおおらかというか、あまり深く作り込んでいる感じはありません。
そのあたりスタローンやシュワルツェネッガーが活躍していた80年代のアクション映画のテイストがします(狙っているのかどうかわからないですが)。
ツッコミどころはたくさんあるのですが、そういう野暮なことをするとこの二人のアクション映画は観れないので、10代の頃の気持ちになって大らかに観ておりました。
機関銃を両腕でもってバリバリ打ちまくるシュワちゃんを観ていると「あ〜、「コマンドー」だ〜」とか思ったり。
銃撃戦になっても二人の弾は当たるのに、二人には当たらないなーとか(笑)。
このあたりは「お・や・く・そ・く」ということで。
観ている間は二人のスーパーマンぶりを堪能して、劇場出た瞬間内容を忘れるタイプの映画ではありました。

しかし予告編で、監獄が船って思いっ切り明かしていますが、そのあたりは映画的にはキモだったようなのだけれど良かったのでしょうかね?
あとシュワちゃんに対して「この男、敵か味方か」なんてことも言っていましたが、最初っから思いっきり仲間な感じで裏切る感じしなかったんですけど〜。
ミスリードで煽っていいのでしょうか?

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2014年1月 5日 (日)

「眠りの森」 人は嘘を吐く

阿部寛さんが主人公加賀恭一郎を演じる人気ドラマシリーズ「新参者」のスペシャルドラマです。
テレビシリーズに続いて、スペシャルドラマ「赤い指」、そして映画「麒麟の翼」に続く新作ですが、物語の中の時系列では一番最初でまだ加賀が捜査一課に時の物語です。

冒頭、阿部寛さんと仲間由紀恵さんのツーショットで始まったので、一瞬「TRICK」か?と思いましたが、仲間さんはただのお見合い相手役でした。
しかし、あとで調べてみると役名は「山田」でした。
明らかに狙ってますよね(笑)。
テレビ局を越えたコラボでした。

さて本題です。
東野圭吾さんのミステリーは謎そのもののトリックがおもしろいというのもあるのですが、やはり物語に登場する人々の気持ち、情というのを丁寧に描いているのがよいのですね。
東野さんの作品を映画化、ドラマ化しているものもそのあたりを大切にしているものが多いので、出来がいいものが多いです。
「新参者」シリーズでは、「人は嘘を吐く」というキーワードが使われます。
けれどこれは自分自身を守るためというよりも、他の大切な人を守るために嘘を吐くということがこのシリーズでは多く描かれます。
嘘を吐くことは良くないことですが、それでも誰かを守るために嘘を吐く。
その嘘を加賀は人の気持ちに寄り添い解きほぐしていくのです。

本作で描かれる事件に関わる人々は、自分の一生を何かに捧げている、もしくは捧げたいと思っている人々です。
そのためには何かを犠牲にするいう覚悟を持って尚、一生を捧げる。
バレエであったり、美術であったり。
この事件で容疑者になった人々も一生をバレエに捧げている。
被疑者の筆頭である人物もそう。
この人は通常の小説だったりすると思い切り嫌みなタイプとして描かれてもおかしくはないのですけれど、この人は人々の期待も背負っているのもわかっていて、まさに自分をバレエに捧げている。
それだけの覚悟を感じるのです。
バレエ劇団の他のダンサーもそうですね。
しかし、他に登場する美術家志望の男性は二人とも同じように夢を追いかけていますが、どこかでそれを見失い始めているようにみえます。
二人ともその夢を失いそうになる中で、それぞれ女性にあることを求める。
それは純粋な想いなのかもしれないですれども、なにか手前勝手な感じも受けます。
特に最初に殺されてしまった男は。
彼は夢が破れそうになり、そして彼が目標とする人も死に向かっている。
それを知り、憧れる人の希望を叶えようと、一人の女性に接触するのです。
そこで彼は自分の願いだけをまくしたてます。
そこに相手への配慮はありません。
相手はすでに自分の中でけじめをつけ、一つ上のステージに上っているにも関わらず。
これを観ると男というのは思い出に生き、女は未来に生きるという感じを受けました。
女性の方が覚悟を決めると強いのですよね。

ミステリーとしてもよくできていて、加賀がある女性のことを「最後のピース」と読んでいましたが、その人の秘密が明らかになると、それまでの出来事がまさにジグゾーパズルが完成する時のようにピタリとはまる。
計算され尽くしたミステリーだなと思いました。

加賀恭一郎のシリーズは、時折こうやってスペシャル版が放送されるといいな。

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「もらとりあむタマ子」 後ろめたいからこそ

タマ子(前田敦子さん)は始終不機嫌な表情である。
彼女は大学卒業後、就職もせず実家に入り、そこで食っちゃ寝の生活をしています。
炊事、洗濯、掃除などはすべて父親がやっていてタマ子は手伝うことがありません。
日々グータラな生活を送るタマ子に、父親は「いつから就職活動をするんだ?」と尋ねますが、タマ子は「その時が来たら動く!少なくとも今ではない!」と逆ギレをする。
そんなグータラなタマ子の様子を秋からはじまり、夏まで映画は描きます。
主人公はタマ子ではありますが、基本的にタマ子自身の心情が言葉で描かれることはありません。
彼女の気持ちは彼女の行動(といってもほぼ食ってマンガ読んでしかないですが)から想像するしかできないのです。
タマ子の行動で揺らぎのようなものが見えるのは二つくらい。
どうもタマ子は就職するのではなく、芸能界に憧れている様子。
この映画タマ子と父親の食事のシーンが多いのですが(というかこういうときしか二人の接点はないのだろう)、途中野菜しか食べていないシーンが続くところがあります。
また突然髪を切って、写真館で撮影してもらうことも。
これはオーディションでも出ようとしたのでしょうか。
でもいつしか食事は元の通りに戻り、髪も伸ばし始めたので、落ちたのだろうなあと想像できます。
あとは父親に再婚話が持ち上がっているところ。
タマ子は動揺しているようですが、思いのほか離婚した母親も姉も冷静だったりしています。
相手の人を調べますが、わりといい人で何もタマ子から反対することもできません。
タマ子が家を出たらおそらく父親はこの人と結婚するのでしょうね。
父親から観たら、タマ子は何を考えているのかわからない子なのでしょう。
でも現実的には親から観て子供って何を考えているのかわからないものなのかもしれません。
自分も正月に実家に帰っても、特別何か話をするということもないのですよね。
生活スタイルも違うし、互いに共通の話題ってあまりない。
親が期待するような生き方をしているわけでもないので、何かしら子供的には後ろめたいようなもの、遠慮のようなものもある。
自分はいい年でまだ独身だったりするので、これは後ろめたい。
でも自分がどうこうで解決するようなものでもなかったりするわけで。
このあたりタマ子も就職できないということに後ろめたさのようなものを感じていると思うんですよね。後ろめたいことに触れられても困る、しかし気を使われて話題に出さないことにも気づいちゃうから、何か不機嫌になってします。
だからタマ子のように「うん」とか「うー」とかって感じの返事になっちゃう。
この微妙な感じ、わからない人にはわからないだろうなあ。

タマ子が読んでいたマンガ「天然コケッコー」でしたね。
山下監督の繋がりかな?

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2014年1月 4日 (土)

「イップ・マン 葉問」 カンフー映画の復活

イップ・マン(葉問)とは、ブルース・リーの師匠として知られる詠春拳の武術家です。
昨年公開されたウォン・カーウァイの「グランド・マスター」ではトニー・レオンがイップ・マンを演じていました。
「グランド・マスター」はウォン・カーウァイらしい美しい映像は見所はありますが、カンフー映画好きとしてはカンフーの動きがスローモーションやアップ等で撮られていて、アクションとしては物足りないところがあったんですよね。
本作「イップ・マン 葉問」はカンフー映画の王道に回帰したような感じがしました。
イップ・マンを演じるのはドニー・イェン。
香港のカンフーアクションスターでも本格的なアクションをする方です。
映画の中でも詠春拳を見せてくれますが、早くてキレがある。
動きに無駄がない。
優れた武術家の動きはそれ自体が美しい。
カンフー映画の見所は立ち回りですが、目にも留まらぬ早さでの攻守が本作でも繰り広げられます。
もともと詠春拳は攻守が一体担った拳法ですが、それがしっかりと出ている。
カンフー映画に期待していることってこういうスピード感なのだよなぁと改めて確認しました(だから「グランド・マスター」はちょっと違うと思ったわけで)。
香港を舞台にしたカンフー映画というとこういうのを期待しちゃうんですよね。
まさにカンフー映画の復活です。
ストーリーも香港のカンフー映画の王道の作り。
基本的には大事な人間(親とか師匠とか友人とか)が殺されて、その敵を討つというもの。
本作ではイップ・マンは、香港で出会った武闘家ホンの敵を討ち、さらに中国武術の誇りを取り戻す戦いに挑みます。
ストーリーの構成は王道なのですが、往年のカンフー映画と違うのは全体的に野暮ったさがないこと。
主人公のイップ・マンは道を究めた武術家なので、かつての若かりし頃のジャッキー・チェンが演じた主人公などのようにただ熱くなるということにはならない。
静かに誇りにかけて戦いに挑むという感じです。
あと、久しぶりにサモハン・キン・ポーを観ましたよ。
重要な役回りで出演していました(アクション監督も兼任しているようですね)。
ジャッキー世代の自分としてはサモハンが観れるのは嬉しいです。
相変わらず太っているのにあの動き。
いやはやすごいですね。
劇中流れる音楽は聴いていて「川井節」っぽいなあと思って聞いていたら、ほんとに川井憲次さんの作曲だった。
香港の仕事もしているんですね。

「グランド・マスター」の記事はこちら→

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2014年1月 3日 (金)

「ゼロ・グラビティ」 無重力空間への没入感

2014年の最初の映画はこちら!「ゼロ・グラビティ」です。
昨年末の映画ブロガーさんのランキングで多くの方がこちらの作品をあげていましたので、期待して観に行きました。
しかも「初IMAX!!」。
知り合いからもこれは3Dで観た方がいい、できればIMAXでと言われていたので、満を持して行ってきましたよ。
映像に圧倒されました。
ISSが崩壊するシーンは口をあんぐり開けて観てしまいましたよ。
冒頭のスペースシャトルでの作業からデブリによる事故の発生のシークエンスはアルフォンソ・キュアロンお得意の超長回しが凄まじい。
当然のことながらほんとにすべて1カットで撮っているということではなくデジタルで処理をして1カットにしているのでしょうが、カメラが自由自在に動く動く。
しかし、この長回し、キュアロンがただ好き(「トゥモロー・ワールド」でも超長回し使ってましたよね)がからということだけで使っているのではないと思います。
カメラは引き画になったり寄り画になったり、上下や左右も関係なく動きます。
この自由なカメラの動きというのは普通の地上を舞台にした作品ではありえない。
画面上の上下というのは観る側の人間にとっての上下と合っていなければ生理的に非常に気持ちが悪いものになります。
上下というものはすなわち重力が作用する方向です。
本作の自由に動き回るカメラというのは、そのような重力から解き放たれていて、浮遊感のようなものを持っています。
映像から伝わってくる上下関係のない浮遊感により、観ている人は描かれているそこには重力がないこと(つまりゼロ・グラビティ)を感じるのです。
つまり重力がないということを感じさせるために、あたかも無重力であるかのようなカメラの動き方をさせているということですね。
また長回しであることも意味があります。
長回しであるということは、映画のそのカットは観ている自分たちの時間と物語の中の時間のスピードがいっしょということです。
観ている側はリアルタイムに出来事が進んでいるように感じる。
編集されているものを観ているわけではなく(編集された感じというのがあるとそれはすなわち過去の出来事であるように感じる)、今目の前で起こっているように感じるのです。
他の点でもこの長回し、非常に考えられています。
リアル感を出すようなドキュメンタリー的な映像というのとも違います。
一時期はやった主観映像というのとも違います。
実は本作の長回し、客観視の位置にカメラがあると思えば同一カットのなかでライアンの主観のような位置にカメラがいくこともあるのです(厳密にはカメラの位置がライアンのヘルメット中に入ってくるといった感じ)。
ドキュメンタリー的なカメラ位置はあくまで客観的な描写であって、キャラクターがどのように感じているかという心情的な描写はしにくい。
逆に主観映像はそのキャラクターが観ていないものは映すことができない。
キュアロンはこれを巧みに使いこなし、それを1カットで見せているんですよね。
なんでこのようなことをするのか。
それは観ている観客もまさにそこにいるような感じにさせるためでしょう。
さらには3Dによる立体視によって空間の広がりを感じ、さらにはIMAXの画面の大きさで観るのではなくそこに居るという感覚になります。
まさに自分が無重力空間にいるかのような没入感が味わえます。
この感覚には映画の新しい可能性を感じさせるものがありました。

しっかり顔が見えるのは、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーだけ。
でも冒頭、二人が通信しているヒューストンの職員の声はエド・ハリスでした。
「アポロ13」ですね〜。

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2014年1月 2日 (木)

「桜ほうさら(テレビドラマ)」 万人向けになって物足りない

先日読んだ宮部みゆきさんの小説「桜ほうさら」をNHKで正月時代劇として放映したので、観てみました。
原作はかなりボリュームのある作品なので、1時間半くらいの尺で納まるのかなと気になりましたが、案の定削ぎ落とされてドラマ化されていました。
宮部さんの作品というのは現代劇でも時代劇でも人の絶対的な悪意というものと、それに対する人の善良さというものを描くことが多いのですが、原作の「桜ほうさら」もまさにそう。
主人公笙之介がその善良な人なのですが、いくつもの悪意にさらされながらもその心根を変えないというのが読みどころであるかと思います。
しかしテレビドラマのほうはそういう宮部さんらしいところにはあまり触れられなくて、わかりやすい仇討ちものの時代劇になっていて、物足りない感じがしました。
まあ元旦に放送される時代劇なので、いろいろな人(お年寄りも子供も)が観るということなので、わかりやすくしたのかもしれないですけれども。
宮部さんの原作そのままドラマにすると少々ドロッとしますからね、万人が観る地上波向きではなかったということでしょうか。
それならこの原作を使わずにオリジナルでやればいいのにと思いましたが、宮部みゆきさん原作というネームバリューが欲しかったのかな。

原作「桜ほうさら」の記事はこちら→

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2014年1月 1日 (水)

本 「女子高生、リフトオフ!」

著者の野尻抱介さんという作家は全く知りませんでした。
「女子高生、リフトオフ」というタイトルがキャッチーだったので、書店で手にとってみました。
帯を見ると「宇宙開発SF」とあったので、タイトルの割りに中身はハードSF的なものかと思いました。
出版しているのも早川書房ですし。
で、読み始めてみると割と軽いタッチで宇宙開発が描かれます。
宇宙開発技術の描写はしっかりと科学的な裏付けもあり丁寧です。
本作が出版されたのは1995年でずいぶん前なのですが、今の宇宙開発の状況を予見しているようなところもありますね。
あとまだ実用化されていない技術などでもスキンスーツなんてものにも技術的な描写をしていて興味深いです。
スキンスーツていうのは、「ガンダム」に出てくるような体にぴったりとしている宇宙服のこと。
現在使われている宇宙服はダボダボでごつく服というよりは小さな宇宙船みたいなものですから、なかなか自由に動きづらいわけです。
そういうマイナス点をなくすためにNASAでもスキンスーツはけんきゅうされているようです。
技術的描写はハードめなのですが、登場人物たちの描写はけっこうライトです。
読みごこち的にはハードSFというよりはSFのラノベのような感じでしょうか。
それもそのはずでこちらの作品、早川書房の前は富士見ファンタジア文庫に収録されていたようです。
なるほど作品のタッチ的にはそちらのほうがイメージ合いますね。

「女子高生、リフトオフ!」野尻抱介著 早川書房 文庫  ISBN978-4-15-031136-0

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本 「とっぴんぱらりの風太郎」

万城目学さんの始めての時代劇作品となります。
「鴨川ホルモー」「プリンセス・トヨトミ」など一風変わったユニークな物語を描く万城目さんが時代劇をどのように扱うか興味深いところです。
時は戦国時代、豊臣家による天下統一はされたが、秀吉が死にまた天下が動きそうな予感があるそんなとき。
主人公は伊賀の忍者、風太郎(ぷうたろう)です。
彼は幼い頃より伊賀で忍者として教育されましたが、あることでそこを放逐され、流れた先の京都でその日暮らしをしていました(まさにプータロー)。
しかし、あるとき一つのひょうたんを手に入れ、そこに憑いているもののけのようなもに出会います。
また古巣の伊賀もなにやら策動を開始している様子。
風太郎は否応なしに風雲急を告げる戦乱に巻き込まれていきます。
ひょうたんに憑いているもののけなんていうのは万城目さんらしい設定ですね。
また万城目さんは今までの作品でも関西を舞台にしていて、関西人への思い入れが強く感じられますが、本作もそうですね。
本作の後半は大坂冬の陣、夏の陣が描かれますが、そこでのエピソードはもしかすると「プリンセス・トヨトミ」に繋がったりするのかなと思って読んだりもしました。
大坂冬の陣、夏の陣のあたりは物語もシリアスで、かつ忍者ものとしての活劇描写も多く、本格的な時代劇に仕上がっていると思います。
ページ数もボリュームは多く、かなり読み応えのある作品です。

「とっぴんぱらりの風太郎」万城目学著 文藝春秋 ハードカバー ISBN978-4-16-38500-7

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本 「テアトル東向島アカデミー賞」

こちらの本は小説家福井晴敏さんが連載していた映画コラムをまとめたものです。
福井さんと言えば「亡国のイージス」、最近では「人類資金」などの作品を書かれた方で、映画好きで知られています。
紹介されている映画ですが少々偏っていて(だいぶ?)、ハリウッド系エンターテイメントものが多いです。
特撮好き、その中でも爆発好きな福井さんですので少々の偏りは致し方ないでしょう。
というより僕の好きな映画と福井さんの好きな映画はかなり似通っているので楽しく読めました。
取り上げられているのが「ダイ・ハード」「エイリアン2」(エイリアンではなくて)「グレート・ブルー」(グラン・ブルーではなくて)などなど・・・。
映画のセレクトやそのポイントなども自分の視点とけっこう似ていたので、いちいち相槌を打って読んでました。
自分が福井さんの作品が好きなのも納得してしまいました。
好みが似ているんですもんね、好きになるはずです。
後半は福井さん原作の映画が立て続けに映画化された時期(「ローレライ」「戦国自衛隊1549」「亡国のイージス」)に連載されていたようで、ややその宣伝色が強いコラムでこれはちょっと残念。
このあたりは減点ポイントですが、全体的には楽しく読めました。

「テアトル東向島アカデミー賞」福井晴敏著 集英社 文庫 ISBN978-4-08-746137-4

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