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2013年7月30日 (火)

「風立ちぬ」 テクノロジーの両側面

「崖の上のポニョ」から5年ぶりの宮崎駿監督の新作です。
本作は宮崎監督としては珍しく(初めて?)実在の人物を主人公としています。
主人公は零戦の設計者として知られる堀越二郎であり、太平洋戦争の時代を舞台としています。
ただし、この物語の主人公二郎は、実際の堀越二郎と、本作と同じタイトルである「風立ちぬ」を書いた小説家堀辰雄をミックスしたような人物として描かれています。
堀辰雄の「風立ちぬ」は彼の私小説であり、彼と結核で亡くなってしまう彼の妻の物語です。
本作の二郎とその妻、菜穂子の物語は、堀辰雄の「風立ちぬ」からきているのでしょう。
ちなみに堀辰雄の小説には「菜穂子」というタイトルの作品もあります。
さて本作はファンタジーの印象が強かった今までの宮崎作品とは違い、実在の人物、実際の時代を描いています。
今までの宮崎作品の中でいくつかでは、文明というものが主人公たちと逆の立場にあるように描かれることがありました。
それは「未来少年コナン」におけるインダストリアであり、「風の谷のナウシカ」のトルメキア、「もののけ姫」でのタタラ者です。
これらの者たちはテクノロジーを進化させ人類の生活を豊かにしたものの、その技術を使い戦争をしたり、自然を破壊してしまうのです(タタラ者はその一歩手前な感じではありますが)。
彼らはテクノロジーを暴走させてしまった者たちで、物語の中では敵役的な役回りになっています。
こうなると宮崎監督が単純に文明や科学技術が「悪いもの」のように捉えているようにも思えますが、これは違うと思います。
「紅の豚」や本作にも表れているように、宮崎監督は飛行機に非常に愛情を持っています。
「空を飛びたい」という純粋な気持ち、夢を叶えるテクノロジーが飛行機であるわけで、そのテクノロジー自体を否定しているわけではありません。
おそらく宮崎監督が危惧しているのは、そのテクノロジーについてそれを作る人、使う人がその怖さに対し無自覚であるということなのではないでしょうか。
本作でも飛行機は美しい夢でもあるが、それはそのまま戦争にも使われてしまうという存在であると語られています。
二郎は飛行機を作る者であり、それは宮崎作品においてはじめて主人公がインダストリア、トルメキア、タタラ者側にたったと言えるかもしれません。
夢を追うためにテクノロジーを進化させ、しかしそれは片一方で戦争の道具となり世の中を悲惨な方向に引っ張ってしまう。
夢の実現と、その破壊を行ってしまう矛盾のある存在として飛行機=テクノロジーを描いています。
本作は太平洋戦争の時期を描いていながらも、戦争の直接的描写というのが実はありません(他の宮崎アニメでは戦闘シーンはあるのに)。
これは監督が狙ってやっているのだろうと思います。
二郎は飛行機を作っていますが、それは彼にとって「美しい飛行機」を作りたいという夢の実現なのですね。
それが戦争の道具になってしまうというのはわかっていても、彼にとっては実はそれほどリアリティがないことのように思えるのです。
それが本作には戦争の描写がないということに表れているような気がします。
二郎は純粋に真摯にまっすぐに夢を追いかける。
それは人としてとても尊いことなのだけれど。
その夢によって作られていくテクノロジーは、矛盾のあるものである。
この作品は東日本大震災の前から作業はかかっていたということですが、これは原子力発電のテクノロジーなどもイメージとして浮かんでくるんですよね。
人類の生活を良くするためクリーンなエネルギーとして開発された原子力技術、それを担っていた科学者も夢を追いかけていたんだろうと思います。
けれどどこで間違ったのかこんなことになってしまう。
間違ったというより、そもそもテクノロジーというのは輝かしい夢の部分と、恐ろしい破壊的な面という両側面を孕んでいる存在なのかもしれません。
その矛盾に自覚的でなくてはいけないのかもしれません。
科学技術を否定し昔の生活に戻ることなどできるわけがありません。
しかし科学技術を疑いもせずに信じ切ることももうできません。
テクノロジーの両側面を理解し、自覚的にうまくつき合っていくしかないのでしょう。

戦争描写がないことについてちょっと書きましたが、その点についてはもう少し別の捉え方もあるかと思います。
二郎、それ以外の登場人物にとって時代が戦争に向かっていくことというのが、あまりリアリティのないことだったのではないかということです。
なんとなく時代の雲行きが怪しくなっているというのは作品の雰囲気が全体的に暗く静かであるということからも伝わってきます。
しかし戦争にまっしぐらに向かっていくという切迫さのようなものは感じられない。
これはもしかすると時代が悪い方向に動いているとき、その時代の人々はそのことにはあまり気づけないのかもしれないということなのかもしれません。
自分だけが動く、また自分以外のものが動くときはわかります。
けれど世の中全体が静かに動いている時は、そこに乗っかっている人々は気づきにくいかもしれない。
もしかすると今もそういうときなのかもしれないぞ、と宮崎監督が言っているような感じがしなくもありません。

本作はいつもの宮崎作品に比べて粛々と物語が進んでいきます。
クライマックス的な高揚感もあるわけではありません。
ですので、少々期待したのと違うという方もいらっしゃるかもしれませんね。

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2013年7月28日 (日)

本 「ボックス!」

幼い頃からの親友同士、鏑矢と優紀。
鏑矢は中学生の頃からボクシングを始め、その負けん気と強靭さ天才的な反射神経で大会でも活躍するボクサーとなっていました。
優紀は勉強はできるものの、ひ弱であることから自信がなく、鏑矢の強さに憧れるだけでした。
しかし、優紀もあることをきっかけにボクシングを始めます。
優紀は元々こつこつと積み重ねていく、努力の天才とも言える少年で、顧問の指導を受け、着実に技を身につけ強くなっていきます。
彼はもう一つ、相手のクセを見抜くことができる目を持っていました。
その目と、努力によって身に付いた技で、相手の攻撃を見抜き、的確に技を繰り出すことができるようになっていくのです。
優紀も鏑矢とは違った点において天才だと言っていいでしょう。
ボクシングを題材にした小説や、漫画やテレビというのは以前よりたくさんあり、1対1で戦うスポーツであることから、丈VS力石のようなライバルの物語が多く描かれました。
本作も鏑矢と優紀という親友でありライバルを描く物語ですが、それぞれが相手に勝利するということがテーマではありません。
作中でも二人が戦うことはありますが、それがクライマックスではないのですね。
この物語の真髄は、この二人の少年が自分の良さというものをボクシングを通じて発見していくというところにあると思います。
鏑矢は超高校生級と言ってもいい強さですが、さらに彼の実力を越える稲村という選手に敗北します。
稲村の強さは鏑矢と比べても圧倒的であり、その敗北から鏑矢は暫くの間リングを離れます。
けれども鏑矢という少年のほんとうの強さは、単純にボクシングが強いというところでありません。
一旦は逃げたけれど、そのまま逃げ通すのではなく、戻ってくることができるというところに彼の強さがあります。
ボクシングのスタイルにも表れていますが、タフであり、そしてポジティブであることなんですね。
優紀は自分がひ弱であることが、固定観念のようにありました。
しかしボクシングを始め、そして進歩し強くなっていくに従い、自分の本当の強みというのを発見していきます。
努力し、その結果が着実に自分の身についている。
それが彼の中に自信というものを育んだのでしょう。
優紀は優秀な子でしたが、自信がない少年でした。
彼は自信を得たことにより、よりいっそう伸びていくのです。
相手を観察し的確に手を打っていくという彼のボクシングスタイルは、鏑矢と同様に彼の生き方そのものとなっていくのです。
ボクシングの物語はボクシングそのものが物語の中心になり、ボクシングの試合が終わると実は主人公の行き場がありません。
丈にしても力石にしてもボクシング以外では生きられないのです。
しかし、本作はボクシングを通して、少年の成長、すなわち彼らが自分の生き方のスタイルを見つけていく過程を描きます。
本作を映像化した映画にはありませんでしたが、小説は少し鏑矢のその後、優紀のその後が描かれます。
彼らの10年後は、ボクシングの経験を通して彼らが得たスタイルがやはり表れていて、なるほどなと思いました。

映画「ボックス!」の記事はこちら→

「ボックス!<上>」百田尚樹著 講談社 文庫 ISBN978-4-06-277535-9
「ボックス!<下>」百田尚樹著 講談社 文庫 ISBN978-4-06-277536-6

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「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」 酔っぱらいの「LOST」

現在3作目が公開中のこのシリーズ、実は観てませんでした。
最近土日に出張が多く映画館に行くことができないのですが、移動中に今更ながら観ました。
うん、確かに評判をとるだけのことはあって面白い。
下品なネタなどもそこそこあるけれど、それだから面白いわけではなくて、やはり脚本が良いのでしょうね。
アメリカでは結婚する男性とその友人たちは、結婚式直前に独身さよならパーティ(バーチェラー・パーティ)というのをやるそう。
ま、独身最後で羽目を外すばか騒ぎの飲み会というところでしょう。
フィル、スチュは友人のダグが結婚するということで、ラスベガスでバーチェラー・パーティを企画。
そこにダグの義理の弟となるアランが加わり、ばか騒ぎとなるわけですが・・・。
一夜明けると、ホテルのスイーツは観るも無惨な有様。
フィル、スチュ、アランは目が覚めますが、ひどい二日酔いで夜の記憶がまったくない。
そのうえ、翌日が結婚式だというのに、花ムコのダグの姿はどこに見当たらず・・・。
3人はダグを捜索し始めますが、次々と謎の事実が目の前に現れます。
スイートルームには誰の子かわからない赤ん坊、そしてなぜかトイレには虎が。
スチュの前歯は理由はわからないが、抜けている。
ホテルに預けていた骨董品のベンツは、いつの間にかパトカーになっている。
スイートルームのベッドは外に投げ出され、スチュはストリッパーと結婚式をあげている。
様々な事実が明らかになりますが、三人とも記憶はなく、どんどん謎は深まるばかり。
そして謎の中国人からダグを誘拐していると言われ、身代金を要求される。
結婚式は明日!ダグはどこに?身代金をどうやって手に入れる?
謎が謎を呼ぶ展開、確かにおもしろい。
そしてこの感覚はどこかで味わったことあるぞ、としばらく考えてみました。
これ、「LOST」で味わった感覚に近いかも。
あの作品では飛行機事故にあった乗客たちが、謎の島で次々と謎に遭遇します。
南の島なのになぜかシロクマが現れる。
無人島だと思っていたのに、明らかに人工物である謎のハッチ。
人々を襲う謎の黒い煙。
なんの脈絡もない(に見える)提示される不可思議な謎。
それを解き明かしても新たな謎が・・・、そして彼らにはタイムリミットが。
吸引力の高いストーリーでしたが、これと同じ感覚が「ハングオーバー!」にはありますね。
虎、赤ん坊、抜けた歯、パトカー、投げ出されたベッド・・・。
そして明日は結婚式というタイムリミット。
提示される謎、タイムリミットの理由は、バカバカしいものですが、まさに「LOST」のような吸引力があります(謎の中国人とかって「LOST」っぽくないですか?)。
いやいや楽しませていただきました。
2も3も観てみようっと。

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2013年7月15日 (月)

「怪物くん 完全新作スペシャル!!(テレビドラマ)」 やはりウタコとヒロシの存在は大きかった

テレビドラマの「怪物くん」の終了後、半年後に放映されたスペシャルドラマになります。
タイトルにあるように総集編といったものではなく、新たに撮影された新作です。
時系列としてはドラマシリーズと「映画 怪物くん」の間になりますでしょうか。
ドラマシリーズで人間界での修行が終わり、怪物界に戻り、次期王位を継ぐ準備に入っている怪物くんですが、心はまだ人間界にある様子です。
とはいえ、人間界のエビソードは区切りがついているので、ウタコとヒロシは登場するものの基本的には怪物くんとお供の3人のお話しになります。
テレビシリーズは、ウタコとヒロシと出会い、人間界の出来事を経験することにより、怪物くんが人(?)として成長していくというところ(怪物くんの勘違いも多々ありますが)が、面白みになっていたと思います。
ただ劇場版もそうですが、スペシャル版も、人間界を舞台にしているわけではなく、よってウタコとヒロシとの絡みもないので、怪物くんの成長というところもやや薄い。
そのためかドタバタコメディの要素が強くなり、ドラマ要素が薄くなって少々物足りない感じがしました。
スペシャル版ですので、仕方がないところかもしれませんが。
相変わらずベッキーさん演じる怪子ちゃんはいい味出してます。

「怪物くん(テレビドラマ)」の記事はこちら→
「映画 怪物くん」の記事はこちら→

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「モンスターズ・ユニバーシティ」 努力家VS天才

ピクサーのヒット作「モンスターズ・インク」の続編になっています。
続編と言ってもあのお話の続きではなく、本作はプリクエル(前日譚)。
マイクとサリーが、モンスターズ・インクに入社する前の、大学生時代を描いています。
彼らは「モンスターズ・インク」では息のあったコンビとなっていますが、大学時代に初めて会ったんですね。
マイクは子供の頃より「怖がらせ屋」に憧れ、モンスターズ・ユニバーシティに入ることを夢見てきました。
しかしその姿せいか、いかんせん怖くなく、「怖がらせ屋」の才能がないと周囲に言われます。
マイクはそれでも努力家で「怖がらせ」の理論を勉強し、テクニックを学ぼうとするんですね。
それに対して、サリーは親も「怖がらせ屋」というエリート出身。
そして本人も怖がらせる才能に恵まれています。
そういう正反対のマイクとサリーですが、せっかく入学した「怖がらせ学部」を最終試験で落ちてしまい、転課させられることに。
しかしひょんなことから彼らはいっしょにチームを組み、再び「怖がらせ学部」に入るため、「怖がらせ大会」に出場することになります。
マイクとサリーは、最初はよくある物語のパターンでもある「努力家VS天才」の関係だったりもあるのですが、物語が進むにつれて、そういった典型でもない感じになっていきます。
このあたりの物語の工夫はピクサーらしく、丁寧に作られている感じがしました。
「努力家」というのはよくある物語ではその努力が最後に報われたりするものですが、マイクの場合は最後までその努力は報われません。
彼は「怖がらせ屋」としての才能がないということがわかってしまいます。
けれどマイクはそれで絶望するのではなく、最後は前向きに進もうとします。
彼のその前向きさこそが彼の最も大事な才能なのでしょう。
典型的な物語では「天才」は「努力家」の努力とその才能を認め、最大のライバルとなるものです。
しかし、サリーはマイクががんばってもその努力が実らないことがわかっていて、しかし彼とそのチームとそして自分を救いたいと思い、あるズルをしてしまいます。
「天才」がズルをしてしまうというところが、普通の物語とは違っているところ。
サリーは「怖がらせ」については天才かもしれないのですが、本人が語っているとおり臆病なところが実はあるのです。
臆病だからそれを隠すために強気に出たり、ズルをしてしまったり。
ほっとくとネガティブに考えてしまうたちなのかもしれません。
努力家ですが才能がない、けれどポジティブなマイク。
天才だけど臆病で、ネガティブなサリー。
それぞれに良いところと、悪いところがある二人。
それにお互いに気づいたことによって、その後の「モンスターズ・インク」に繋がる名コンビが結成されたのですね。

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本 「食堂かたつむり」

柴咲コウさんの主演で以前に映画化された「食堂かたつむり」、その原作小説を読みました。
主人公倫子は、恋人に去られるというショックな出来事を経験し、声を失ってしまいます。
失意の中、倫子は故郷に帰り、小さな食堂を始めました。
1日に1組しか受け入れない小さな食堂ですが、その料理を食べると願いがかなうという噂が広まり、多くの人がやってくることになります。
映画もそうでしたが、小説もファンタジーな風合いを持つ作品になっています。
大きく違うのは、視点でしょう。
映画は倫子がしゃべれないということもあり、描き方は客観視点が基本でした。
倫子の内面の思いは言葉がないため直接的には観客には伝わらず、その表情、仕草、そして作る料理によって感じられます。
小説は逆に倫子の主観で物語が進みます。
彼女は出会った人々、そして出来事にいろいろな思いを感じ、それを料理で表現していきます。
言葉を発せずとも、彼女の中にある感情は豊かで、そして繊細であるということが伝わってきます。
彼女は多感で共感性が高い人で、だからこそお客さんの思いを察し、その思いを解きほぐすような料理を作っていくことができます。
その料理によって、人々は心を開き、素直になることができる。
素直になるからこそ、前向きに行動することができるようになり、そして願いを叶えらえれることができたのでしょう。
でもそんな共感性の高い倫子でも、その心がわからない人がいました。
母親のルリコです。
倫子はルリコとは子供の頃より折り合いが悪く、そのため家を飛び出したのでした。
故郷に帰り、ルリコと暮らすようになりましたが、やはり倫子は母親のことは苦手でした。
しかし映画と同様に、終盤ルリコの本当の気持ちが倫子に伝えられます。
ルリコは意地悪な母親ではなく、恋に純粋で、そして倫子にも愛情を深くもっていた女性でした。
その気持ちが伝わった倫子は、母親のために最後の料理を作ります。
彼女の母親に対する愛情をたっぷりと注ぎ込んだ料理を。
倫子は母親の最後まで言葉を発せられず、それを悔やみますが、けれどその料理によってルリコには十分に気持ちは伝わったと思います。
そして、また母親の気持ちも彼女の化身のような山鳩を倫子が食すことにより、その体の中に息づいていくのです。

映画「食堂かたつむり」の記事はこちら→

「食堂かたつむり」小川糸著 ポプラ社 文庫 ISBN978-4-591-11501-5

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2013年7月14日 (日)

「忍たま乱太郎-夏休み宿題大作戦!の段-」 健全になったなぁ

2011年に三池崇史監督で実写映画化された「忍たま乱太郎」の続編がこちらになります。
続編と言っても、監督も脚本も変わっていますし、主要な大人のキャストも大幅変更、配給会社もワーナーから東映になっています。
変わっていないのは、乱太郎の加藤清志郎くんときり丸の林遼威くんくらい。
三池監督の「忍たま」は子供向けと言っても、三池監督なので「相手が子供だろうと容赦しない」姿勢が溢れている映画で、ギャグなどもかなりやっていました(下品な方向に)。
個人的には三池さんのそういう妥協しない姿勢は好きなので楽しめたのですが、まあこれはPTAの方などからは厳しい目で見られるだろうなぁと。
そういうことがあったからかは知りませんが、今回の「忍たま乱太郎」はとっても健全になっています。
子供を連れて行っても、安心して見せられますよ。
子供を中心にした健全なファミリーを狙って作っているのだと思うので、前作のようにクセもありませんし、ストーリーもとってもわかりやすい。
なので大人から見ると、まぁ、物足りないわけですね。
夏休みに外は暑いので、子供を映画館に連れて行こうという時にセレクトする映画としては、よいのではないでしょうか。
今回観に行った理由の一つは、監督が平成仮面ライダーシリーズを多く撮っている田﨑竜太監督だから。
この方はとても器用な方なのでどんな作品でもこなせる方なのですが、今回のテーマに合わせて無難にまとめた感を感じました。
もうちょいクセが出ていてもよかったかなと。
あ、良かったのはアキバブルーのスーツアクトレス大島遙さんが素面で出ていたことかな。
素面は初めてじゃないかな。
さすがアクションはキレキレでカッコよかったです。
けっこうカワイイ。

忍術学園の敵役となるドクタケ忍者隊の首領稗田八方斎役は前作は松方弘樹さんでしたが、本作では西田健さんに変更。
西田さんは「忍風戦隊ハリケンジャー」では忍風館(忍者学校)の館長でしたが、ちょうど逆の役でしたね。
「忍風戦隊ハリケンジャー」も10周年記念作品がリリースされますし、その前フリ?(同じ東映だし)

前作「忍たま乱太郎」の記事はこちら→

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2013年7月13日 (土)

「ワイルド・スピード EURO MISSION」 チームとファミリー

熱気がむんむん、湿気がじめじめの不快指数が100%な今日は、やはり派手なエンターテイメント映画でスッキリとがいいなということで、「ワイルド・スピード EURO MISSION」に行ってきました。
このシリーズ、なんだかんだと言いつつ好きで、毎回観に行っちゃうんですよね。
前作の「MEGA MAX」は個人的にはそれほどツボではなかったのですけれど、本作はかなり楽しめました。
ここまで突き抜けているとかえって心地よく、何にも考えずに楽しめます。
もともとはややマイナーな感じもあるカーアクション映画でしたが、もうここまでくると立派なアクション大作です。
予告でも出ていた飛行場にシークエンスは登場人物が入れ乱れ生身のアクション+カーアクションのてんこ盛りでハイテンションになりました。
「いやいや、車で飛行機は止められないでしょ」とか、「滑走路、もうそろそろ途切れるだろ」とか、ツッコミを入れたくもなりますが、そんなこと言わせない勢いがありました。
戦車も出てきましたが、ここも「車で戦車は止められんだろ」と思ったら見事に止めてましたね〜、カンシン。
前回の映画でカーアクションが少ないと文句を言いましたが、本作はそんな感じはなかったですね。
たぶん分量はそれほど多くはないのですけれど、ツボをおさえていた感じがします。
このシリーズお約束のストリートレースシーンもありましたし、今回の敵側とのカーアクションもフリップカーという特殊アイテムで新鮮味がありました。
フリップカーはF1カーのような、バットモービルのような不思議な動きをしていましたね。
いつの間にやら、キャストもなにか大作の雰囲気をまとってきてます。
ヴィン・ディーゼル、ポール・ウォーカーに加え、ドゥエイン・ジョンソンもほぼレギュラーな感じで全編に登場。
うれしいことにミシェル・ロドリゲスも復活しました。
敵役はルーク・エヴァンスですし。
そしてラストにまさかのあの人が登場するし・・・。
なんかハゲだらけになってきましたが・・・。
シリーズもこれからどんどんバージョンアップしそうですね。

本作はお約束を守りつつも、マンネリにならないようにいろいろと工夫をしているなと思うところがあります。
舞台をアメリカ大陸から、ヨーロッパに映したのもそう。
走る場所の風景が違うと、同じストリートレースでも雰囲気が変わりますよね。
あとは今回はレトロなアメリカンマッスルカーがアクションの中心になります。
これが登場する設定もなかなか工夫しています。
敵方が使うのが、チップ爆弾というもの。
これは車のコンピューターを狂わせる代物のようです。
現代の車は制御系にはかなりコンピューターが使われています。
このコンピューターが狂うと車の運転ができなくなってしまうんですね。
そこでドムたちがとった大作はマイコンなどを積んでいない昔の車を使うこと。
敵はカスタマイズされたオリジナルカーやハイテク機器を使いますが、それに対してドムやブライアンがとる手法はアナログ的。
実はこれは今回のストーリーのテーマにも関わります。
今回の敵となるショウは、非常にクールで合理的な考え方の持ち主。
犯罪を行うためにチームを組みますが、そのメンバーはあくまでパーツであるという考え方を持っています。
そのメンバーに対して、情のようなものは持たないというのがショウのスタンスです。
しかし、ドムやブライアンたちのチームは幾多の出来事を経て、理屈抜きに信じ合える固い絆を持っています。
彼らは実際に血がつながっているわけではないですが、「ファミリー」なのです。
「ファミリー」の誰かが困難に遭えば、何も言わずに命をかけて救い出そうとする。
ショウの合理性とはまったく違う考え方です。
ドムやブライアンは正義のヒーローではなく、彼らの「ファミリー」を守るために戦っているのですね。
一見派手で荒唐無稽な映画ではありますが、本作は合理的でクールな考え方と、情緒的で熱い考え方が対立するように作られていて、ストーリーとしても奥深い感じがしました。

シリーズの中で、時系列もよくわからなく立ち位置が不明であった三作目の「TOKYO DRIFT」ですが、なるほどこういうふうに納まるんですね。
最初から考えていたようにはまりました。
三作目でドムも東京に来ていましたが、するっていうと次回作はドムたちとあの人が東京で対決って感じになるんでしょうか。
期待しちゃうなぁ。
しかし、このシリーズ、次回作へのひっぱりが半端ない。

前作「ワイルド・スピード MEGA MAX」の記事はこちら→

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本 「あかんべえ」

宮部みゆきさんは、現代ものから、ファンタジーなど多くのジャンルの作品を書いていますが、時代ものも多く書かれています。
ご本人が下町出身ということもあり、東京の東側の下町が舞台になることが多いですね。
宮部さんの作品は好きなものが多いのですが、純ファンタジーものは実はあまりいいと思ったものはないのです。
ファンタジーもので個性を出すところの世界設定等が意外とステレオタイプなところがあるからかもしれません。
物語は宮部さんらしいお話でもちょっと気になってしまうのですね。
僕が思うに、宮部さんはファンタジー的な要素が入る場合は本作のような時代もののほうがしっくりといきます。
宮部さんの時代ものは単純な人情ものというより、ミステリーだったりファンタジーの要素が入ってくるものが多いですよね。
本作でも幽霊が登場してきます。
こういう非現実的なものは現代とは違う世界のほうが扱いやすいのですが、宮部さんの場合は時代ものがしっくりくる感じがします。
宮部さんの作品のレビューでたびたび触れるのは、完全なる悪なる者と、純粋なる善のなる者が登場してくるということです。
彼女の作品の登場人物では、本当に救いようのないほどの悪心を持つ人物が登場します。
文字通り救いようがないほどに。
彼・彼女によって何人もの人の人生がめちゃくちゃにされたりします。
しかし、それに対するように純粋なる善のものもかならず登場します。
本作でいうと主人公のおりんです。
宮部作品ではこのような人物は少年・少女であることが多いです。
彼女らの無垢なる心が、救いようになりほどの悪にむちゃくちゃにされた人々の心を救うのです。
残念ながら完全なる悪の者は改心するなどの救いはありません。
これは宮部さん自身も完全なる悪はなくなるものではないと思っているからかもしれません。
本作では幽霊の姿は、その幽霊と同じような心情になった者しか見えないということになっています。
つまり幽霊のこの世に何か未練があるような心持ち、嫉妬などの感情と同じような心のある人がその幽霊の姿を見るというようなことですね。
完全なる悪はなくなることがなく、それほどではなくても悪心は人の心には少なからずある。
それと折り合いをつけていくのが大事なのでしょう。
その悪心は自分のことだけを考えてしまうときに芽吹くもの。
おりんのように自分の周りの人を大切に思う気持ちがそういった悪心をおさえることに繋がるのかもしれません。

「あかんべえ<上>」宮部みゆき著 新潮社 文庫 ISBN978-4-10-136929-7
「あかんべえ<下>」宮部みゆき著 新潮社 文庫 ISBN978-4-10-136930-3

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本 「寺田寅彦 -漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学-」

寺田寅彦は明治時代〜大正・昭和の物理学者です。
僕がこの人の名を知ったのは、その研究ではなく小説・映画の登場人物としてでした。
荒俣宏さんの「帝都物語」では明治から現代までの実在の人物が登場しますが、その中の一人に寺田寅彦はいました。
作品中では、式神を対峙するロボット様のものを作るという役回りでしたが(実際はそんなことしていませんが)、他の物理学者とは違うユニークなものの見方が寺田寅彦にはあり、そこから荒俣さんがヒントを得たのでしょう。
現代物理学ともなると、量子加速器などの巨大な装置を使い、スーパーコンピューターを駆使し、また高度な数学を操るようなものとなっています。
今の物理学は世界はどうしてこのような姿となっているのかという根源的な問いにチャレンジしているため、大掛かりとなり、とても一人の科学者の力では負うことができません。
超ひも理論とか、量子論とか興味を持って解説書を読んでみたりもしますが、なかなかにイメージしにくいものです。
我々が実際に手を触れて感じられる世界とは、まったく次元が違う感じのですよね。
粒子のようにも振る舞い、波のようにも振る舞うなんて言われても、なかなか実感としてはわきにくい。
寺田寅彦は最後まで、日常の周りにある疑問をテーマに物理学を研究してきました。
基本的には古典物理学の範疇です。
ちょうど寺田が研究していた頃、物理学の世界では相対性理論や量子論が登場し、大きな変化が出てきていた時期でした。
しかし寺田はそういう方向には進まず、あくまで古典物理学の世界に留まったのですね(寺田寅彦がそれらを理解していなかったわけではなく、優れた解説書を書いている)。
本著でも書かれていますが、寺田はそういった手に触れられない世界の疑問を解決するよりも、目の前にある不思議を解きたいという興味のほうが強かったのでしょう。
「ねえ君、不思議だとは思いませんか?」というのが寺田寅彦の口癖だったようです。
日常の世界に不思議を見つけ、それを解き明かしたくなるというのが寺田だったのでしょう。
彼は10代の頃より、夏目漱石と親交があったのはよく知られています。
漱石の「吾輩は猫である」に出てくる物理学者のモデルは寺田とも言われていますね。
夏目漱石の影響をうけ、寺田も詩歌にいそしんでいたようです。
「ほととぎす」などでもエッセイを書いたりしていたようで、まさに文理両方に長けた人物だったのでしょう。
歌などは、周囲の様子をただ一つを切り取ってそこを鮮やかに書き切ります。
それは日常の中にある発見をするということかと思います。
それは寺田寅彦の物理学に通じるところがあるのかもしれません。

「寺田寅彦 -漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学」小山慶太著 中央公論新社 新書 ISBN978-4-12-102147-2

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2013年7月 7日 (日)

「非公認戦隊アキバレンジャー シーズン痛」 シリーズは続くのか?

放映終わって1週間が経ってようやくアップ。
いろいろ忙しかったのだぁ。
ま、中野の遠征も終わったことですしね。
さて、昨年特撮界で大きな話題となった「非公認戦隊アキバレンジャー」、まさかの(狙い通りの)シーズン痛(ツー)が4月から放映されました。
シーズン1はまさかのメタ展開となり、後半は最後はどうなるんだかわからない怒濤の展開となっていました。
さて今回のシーズン痛はどちらかというとオンエア前がかなり話題となっていました。
メインの田口監督がいろんな作品をご担当していたりとか、主演の和田さんが舞台がかぶっているとかいったようなことが情報として出ていたので、無事にオンエアできるのか?的な。
無事にオンエアされましたが、オープニングは完成していない版(たぶん狙っていると思うが)での初回となっていましたね。
前作のメタ展開が予想もしていないことでしたが、それを経たシーズン痛はそういったメタ展開も視聴者側は折り込み済みなわけで、実際のところけっこうハードルは高かったと思います。
個人的には正直言って、シーズン1ほどの衝撃はなかったのは確かなところです。
いろいろ理由はあるかなと。
まずは先ほど書いたメタ展開が織り込み済みであったということ。
あともう一つは、前シーズンと同様に過去戦隊が出てくるのですが、このあたりについては僕がスーパー戦隊を観ていなかった時のものなので、いまひとつ思い入れできなかったということ。
あとは、オタクネタが前回よりもかなりマニアックな方向に行ってしまっていたので(行かざるをえなかった)、この点も乗り切れないところだったかもしれません。
このあたりの匙加減はなかなかに難しいですね。

脚本の荒川さんは全編書いていましたよね。
前作では香川純子さんといっしょに書いていましたが、一人でとはすごいな。
ただ香川さんは一時期「ウィザード」の脚本にほとんど登場しなかったので、後で手伝っていたのかな。
スタッフのやりくりが大変そうだというのは感じますね、シーズン痛は。

さてさてシーズン3はあるのでしょうか。
タイトルはシーズン惨(さん)はどうでしょう?
バンダイのコレクター事業部的にはやりたいところでしょうね〜。
そのときはゆめりあ改め優子には、子供をつくってオタク英才教育をしておいてほしいものです。

前作「非公認戦隊アキバレンジャー」の記事はこちら→

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2013年7月 6日 (土)

「エンド・オブ・ホワイトハウス」 きっと記憶に残らないのだろうなぁ

んー、頭の中で本作の予告編と今度公開するローランド・エメリッヒの「ホワイトハウス・ダウン」の予告編とが混じっていた。
ぶっちゃけテロリストにホワイトハウスが占拠されてドンパチというイメージは同じ。
ハリウッドの映画って同じ時期に同じような題材を扱う作品が出てくるって多いですよね?
さて、本作いたって普通というか、王道というか、「ダイ・ハード」フォーマットを忠実に守っている作品です。
ですのですごく印象に残るわけでもなく、たぶん一年後はやはり「ホワイトハウス・ダウン」と記憶が混じり合ってしまうんだろうなぁと。
監督はアントワーン・フークワで、彼の作品は今まで「キング・アーサー」「トレーニング デイ」「ザ・シューター/極大射程」を観ていますが、それほど強い印象が残っていないんですよね。
デンゼル・ワシントンの悪役で話題に話題になった「トレーニング デイ」も監督の個性の印象は残っていません。
本作もまさしくそういう感じがしました。
別にどこかが悪いというわけはないのですが、いたって普通という感じ。
ドラマパートもそれほど厚いわけではないですし、キャラクターも際立っているわけでもありません。
ストーリーも定番な展開・・・。
エメリッヒが良くも悪くも派手で大味な演出をするということでカラーがあるわけなので、おそらく「ホワイトハウス・ダウン」のほうがイメージが残る感じがします。
ジェラルド・バトラーもモーガン・フリーマンも「いつもの役」って感じでこのあたりも、記憶に残りにくい要因かもしれません。


やっぱ印象同じだわ・・・。

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本 「ブルーマーダー」

誉田哲也さんの「姫宮玲子」シリーズの最新作になります。
この前の「インビジブルレイン」は、それまでのシリーズよりも主人公姫川の人物像ににより深く掘り込んだ作品となっていました。
姫川は過去に暴行の被害にあっており、そのことが彼女の心の中には冷たい闇の感情を宿し続けています。
その炎はひとつ間違えば、まさに「復讐」という行為に繋がっていくような暗い感情ですが、それをつなぎ止めているのが、彼女が被害を受けた時に親身に世話をしてくれ、そして犯人逮捕の際に殉職してしまった女性刑事の存在でした。
ただその暗い感情はつなぎ止められているとはいえ、彼女の中に依然として救っており、皮肉にもそれが犯罪者への共感のようなものとなり、彼女の刑事としてのカンを支えるものとなっているのです。
姫川は善と悪との境界線上に危ういバランスを保っている人物だといえます。
「インビジブルレイン」ではそのバランスがもう一歩で崩れそうになるという姫川が描かれました。
本作ではタイトルにもなっている「ブルーマーダー」という謎の殺人者の存在が出てきます。
彼はある事件をきっかけとして善と悪との境界線を越えてしまいます。
というよりも境界線をないものとして行動し始めるといったほうがよいかもしれません。
善と悪との境界線というのは、倫理的なものというものはもちろんありますが、規定として明確にしているものは法律であったり社会制度だったりするわけです。
「ブルーマーダー」はそのような規定では正義を実行できないとして、その境界線を自ら無効としてしまうのです。
しかし「ブルーマーダー」という存在は一歩間違えると姫川がなってしまったかもしれない存在でもあるのですね。
だからこそその存在に姫川は肉薄できるのでしょう。

前作であまりにかわいそうな扱いであった菊田・・・。
彼と姫川の関係も本作でいったんはけりがついたということになるのでしょうか。

前作「インビジブルレイン」の記事はこちら→

「ブルーマーダー」誉田哲也著 光文社 ハードカバー ISBN978-4-334-92855-1

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