「風立ちぬ」 テクノロジーの両側面
「崖の上のポニョ」から5年ぶりの宮崎駿監督の新作です。
本作は宮崎監督としては珍しく(初めて?)実在の人物を主人公としています。
主人公は零戦の設計者として知られる堀越二郎であり、太平洋戦争の時代を舞台としています。
ただし、この物語の主人公二郎は、実際の堀越二郎と、本作と同じタイトルである「風立ちぬ」を書いた小説家堀辰雄をミックスしたような人物として描かれています。
堀辰雄の「風立ちぬ」は彼の私小説であり、彼と結核で亡くなってしまう彼の妻の物語です。
本作の二郎とその妻、菜穂子の物語は、堀辰雄の「風立ちぬ」からきているのでしょう。
ちなみに堀辰雄の小説には「菜穂子」というタイトルの作品もあります。
さて本作はファンタジーの印象が強かった今までの宮崎作品とは違い、実在の人物、実際の時代を描いています。
今までの宮崎作品の中でいくつかでは、文明というものが主人公たちと逆の立場にあるように描かれることがありました。
それは「未来少年コナン」におけるインダストリアであり、「風の谷のナウシカ」のトルメキア、「もののけ姫」でのタタラ者です。
これらの者たちはテクノロジーを進化させ人類の生活を豊かにしたものの、その技術を使い戦争をしたり、自然を破壊してしまうのです(タタラ者はその一歩手前な感じではありますが)。
彼らはテクノロジーを暴走させてしまった者たちで、物語の中では敵役的な役回りになっています。
こうなると宮崎監督が単純に文明や科学技術が「悪いもの」のように捉えているようにも思えますが、これは違うと思います。
「紅の豚」や本作にも表れているように、宮崎監督は飛行機に非常に愛情を持っています。
「空を飛びたい」という純粋な気持ち、夢を叶えるテクノロジーが飛行機であるわけで、そのテクノロジー自体を否定しているわけではありません。
おそらく宮崎監督が危惧しているのは、そのテクノロジーについてそれを作る人、使う人がその怖さに対し無自覚であるということなのではないでしょうか。
本作でも飛行機は美しい夢でもあるが、それはそのまま戦争にも使われてしまうという存在であると語られています。
二郎は飛行機を作る者であり、それは宮崎作品においてはじめて主人公がインダストリア、トルメキア、タタラ者側にたったと言えるかもしれません。
夢を追うためにテクノロジーを進化させ、しかしそれは片一方で戦争の道具となり世の中を悲惨な方向に引っ張ってしまう。
夢の実現と、その破壊を行ってしまう矛盾のある存在として飛行機=テクノロジーを描いています。
本作は太平洋戦争の時期を描いていながらも、戦争の直接的描写というのが実はありません(他の宮崎アニメでは戦闘シーンはあるのに)。
これは監督が狙ってやっているのだろうと思います。
二郎は飛行機を作っていますが、それは彼にとって「美しい飛行機」を作りたいという夢の実現なのですね。
それが戦争の道具になってしまうというのはわかっていても、彼にとっては実はそれほどリアリティがないことのように思えるのです。
それが本作には戦争の描写がないということに表れているような気がします。
二郎は純粋に真摯にまっすぐに夢を追いかける。
それは人としてとても尊いことなのだけれど。
その夢によって作られていくテクノロジーは、矛盾のあるものである。
この作品は東日本大震災の前から作業はかかっていたということですが、これは原子力発電のテクノロジーなどもイメージとして浮かんでくるんですよね。
人類の生活を良くするためクリーンなエネルギーとして開発された原子力技術、それを担っていた科学者も夢を追いかけていたんだろうと思います。
けれどどこで間違ったのかこんなことになってしまう。
間違ったというより、そもそもテクノロジーというのは輝かしい夢の部分と、恐ろしい破壊的な面という両側面を孕んでいる存在なのかもしれません。
その矛盾に自覚的でなくてはいけないのかもしれません。
科学技術を否定し昔の生活に戻ることなどできるわけがありません。
しかし科学技術を疑いもせずに信じ切ることももうできません。
テクノロジーの両側面を理解し、自覚的にうまくつき合っていくしかないのでしょう。
戦争描写がないことについてちょっと書きましたが、その点についてはもう少し別の捉え方もあるかと思います。
二郎、それ以外の登場人物にとって時代が戦争に向かっていくことというのが、あまりリアリティのないことだったのではないかということです。
なんとなく時代の雲行きが怪しくなっているというのは作品の雰囲気が全体的に暗く静かであるということからも伝わってきます。
しかし戦争にまっしぐらに向かっていくという切迫さのようなものは感じられない。
これはもしかすると時代が悪い方向に動いているとき、その時代の人々はそのことにはあまり気づけないのかもしれないということなのかもしれません。
自分だけが動く、また自分以外のものが動くときはわかります。
けれど世の中全体が静かに動いている時は、そこに乗っかっている人々は気づきにくいかもしれない。
もしかすると今もそういうときなのかもしれないぞ、と宮崎監督が言っているような感じがしなくもありません。
本作はいつもの宮崎作品に比べて粛々と物語が進んでいきます。
クライマックス的な高揚感もあるわけではありません。
ですので、少々期待したのと違うという方もいらっしゃるかもしれませんね。
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