本 「寺田寅彦 -漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学-」
寺田寅彦は明治時代〜大正・昭和の物理学者です。
僕がこの人の名を知ったのは、その研究ではなく小説・映画の登場人物としてでした。
荒俣宏さんの「帝都物語」では明治から現代までの実在の人物が登場しますが、その中の一人に寺田寅彦はいました。
作品中では、式神を対峙するロボット様のものを作るという役回りでしたが(実際はそんなことしていませんが)、他の物理学者とは違うユニークなものの見方が寺田寅彦にはあり、そこから荒俣さんがヒントを得たのでしょう。
現代物理学ともなると、量子加速器などの巨大な装置を使い、スーパーコンピューターを駆使し、また高度な数学を操るようなものとなっています。
今の物理学は世界はどうしてこのような姿となっているのかという根源的な問いにチャレンジしているため、大掛かりとなり、とても一人の科学者の力では負うことができません。
超ひも理論とか、量子論とか興味を持って解説書を読んでみたりもしますが、なかなかにイメージしにくいものです。
我々が実際に手を触れて感じられる世界とは、まったく次元が違う感じのですよね。
粒子のようにも振る舞い、波のようにも振る舞うなんて言われても、なかなか実感としてはわきにくい。
寺田寅彦は最後まで、日常の周りにある疑問をテーマに物理学を研究してきました。
基本的には古典物理学の範疇です。
ちょうど寺田が研究していた頃、物理学の世界では相対性理論や量子論が登場し、大きな変化が出てきていた時期でした。
しかし寺田はそういう方向には進まず、あくまで古典物理学の世界に留まったのですね(寺田寅彦がそれらを理解していなかったわけではなく、優れた解説書を書いている)。
本著でも書かれていますが、寺田はそういった手に触れられない世界の疑問を解決するよりも、目の前にある不思議を解きたいという興味のほうが強かったのでしょう。
「ねえ君、不思議だとは思いませんか?」というのが寺田寅彦の口癖だったようです。
日常の世界に不思議を見つけ、それを解き明かしたくなるというのが寺田だったのでしょう。
彼は10代の頃より、夏目漱石と親交があったのはよく知られています。
漱石の「吾輩は猫である」に出てくる物理学者のモデルは寺田とも言われていますね。
夏目漱石の影響をうけ、寺田も詩歌にいそしんでいたようです。
「ほととぎす」などでもエッセイを書いたりしていたようで、まさに文理両方に長けた人物だったのでしょう。
歌などは、周囲の様子をただ一つを切り取ってそこを鮮やかに書き切ります。
それは日常の中にある発見をするということかと思います。
それは寺田寅彦の物理学に通じるところがあるのかもしれません。
「寺田寅彦 -漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学」小山慶太著 中央公論新社 新書 ISBN978-4-12-102147-2
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