本 「沈まぬ太陽」
映画を観た後に原作を読み始めましたが、なんだかんだと時間がかかってしまいました。
最近では珍しくインターミッションが入るほどに長かった映画は見応えありましたが、原作も読み応えのある作品となっています。
ご存知の通り「沈まぬ太陽」は国民航空という架空の航空会社を設定していますが、これは明らかに日本航空をモデルにしています。
主人公の恩地も、実際の労働組合委員長をモデルにしているということです。
本作では国民航空は、民営化を目前とし、そして多くの死傷者を出す航空事故を経ながらも、結局は変われなかった会社として描かれます。
組織防衛、もしくは自己防衛を考える経営者、社員たち。
彼らはサービスを生業とする企業でありながら、その思考には「お客様」という視点がほとんど感じられません。
なかには主人公の恩地のようにそのような視点を持っている人物が登場しますが、結局は巨大な企業の中では少数派であり、最後まで不遇の立場のまま終わるわけです。
この小説は、外部から乞われて会長としてやってきた国見(彼はカネボウの伊藤氏がモデル)の改革も様々な邪魔が入ったため頓挫し、恩地も再びアフリカへ左遷されるというところで終わります。
結局は良心を持った人々が負けてしまうという物語で、カタルシスというものはなく、こんなことは不条理であるという想いが残ります。
しかし、その後の現実の世界をみれば、そのようなことをやって、社会や国民が許すということはないということを証明しています。
日航はその後、民営化をしますが、その後も「親方日の丸」根性はなくなることがなく、結局は債務超過となり、一旦は破綻します。
日本航空というブランドは大きく傷つき、そして経営者も社員も、リストラなどの身を切るような改革を行わなければならなくなります。
この小説が描いている時代に、何か手を打つことができればこうはならなかったかもしれません。
日航破綻のニュースが流れたときは、「たいへんなことが起こった」という気持ちと、その反面「それみたことか」という思いを多くの人が思ったのではないでしょうか。
小説では得られなかったカタルシスを現実の世界で得たというか。
破綻後、日航はやはり関西の企業京セラから稲森氏を会長としてむかえ、再建を行います。
会社がなくなるという危機をむかえ、ようやく日航は様々な手を打つようになったのですね。
逆にそうなれなければわからないほどに、「お客様」目線が欠如していたということなのでしょう。
皮肉なことに、この物語で描かれている国見会長のモデルとなった伊藤氏の会社カネボウもその後、粉飾決済により会社がなくなっております(伊藤氏の時ではないですが)。
結局は会社のトップが、「お客様」よりも我が身を大事と考え始めたとき、会社は立ち行かなくなるのです。
トップがそう考えるようになれば、社員のモラルも著しく下がり、結局はお客様が離れていくのですね。
この小説は大きな課題をつきつけた大作であり、その課題の答えはその後の歴史が出しているという面白い作品となっています。
発表当時読んだ方も、今の時代に読んでみたら、また別の感想を持つかもしれません。
「沈まぬ太陽(1) アフリカ篇(上)」山崎豊子著 新潮社 文庫 ISBN978-4-10-110426-3
「沈まぬ太陽(2) アフリカ篇(下)」山崎豊子著 新潮社 文庫 ISBN978-4-10-110427-0
「沈まぬ太陽(3) 御巣鷹山篇」山崎豊子著 新潮社 文庫 ISBN978-4-10-110428-7
「沈まぬ太陽(4) 会長室篇(上)」山崎豊子著 新潮社 文庫 ISBN978-4-10-110429-4
「沈まぬ太陽(5) 会長室篇(下)」山崎豊子著 新潮社 文庫 ISBN978-4-10-110430-0
| 固定リンク
コメント