「真夏の方程式」 未来を選ぶために
<ネタバレしてますので、注意です>
先日のドラマ「ガリレオ」の第2シーズンについての記事では、今回のドラマについては湯川の人間性といったようなものが薄く、ある種のパターンにはめられてしまったように感じたと書きました。
しかし映画の「真夏の方程式」では、ドラマで薄かった湯川の人間性について深く掘り下げられている作品だと思いました。
もともと東野圭吾さんの「ガリレオ」シリーズも短編と長編があり、「容疑者Xの献身」など長編では事件謎を解くというだけではありません。
東野さんの長編(「容疑者Xの献身」や「麒麟の翼」等)は事件の背後にあるのは、人間の憎しみというよりは実は深い愛情であり、ストーリーの軸が事件そのものを解くということよりも、絡み合った人の情を解くというところに重きをおいているように感じます。
まさに本作もその系譜に繋がっていると思います。
そして本作は今までよりも湯川が自ら事件の解決に向けて動きます。
それは劇中でも触れられているようにこの事件を解決する際(湯川は早くより事件の真相に肉薄している)に、ちょっと間違うとある人物の人生をねじ曲げてしまうということになるからです。
その人物とは事件に自分が知らないうちに関わってしまう少年、恭平です。
湯川は科学というものは人類の行く末を考えるのに、なくてはならないものと考えています。
行く末を考えるためには、真実は何かということをできうる限り知らなくてはいけない。
その真実にたどり着くための方法が科学だと湯川は考えています。
本作では美しい海を持つ玻璃ヶ浦を舞台としています。
そこでは開発か保護かということで住民が二つに割れていました。
湯川は右か左かという二元論で語るのはナンセンスだと考えています。
どちらの可能性も考え、どれが人にとってより良いのかということを選択することが必要だと。
その選択のための知識を得なくてはいけない。
知識=真実が未来を選ぶための材料になるということですね。
湯川は科学バカの変人ではありますが、科学というものが人類の未来を考えるにあたり欠くべからざるものであると考えています。
湯川は人類の未来といったもの、と恭平という少年の将来というものを重ね合わせて見ていたように感じます。
恭平には自分の将来を選ぶにあたり、事実をしっかりと受け止める勇気を持ってもらいたい。
そしてその事実を元に、自分の生き方を自分で決めるようになってもらいたいと考えたのでしょう。
それは湯川が理想とする科学者の像なのでしょう。
科学者の中には科学そのものが目的化し、それがどのような未来につながるか想像しない人もいます。
しかし湯川は科学はとどのつまりは人類が未来を決めるための手助けになるものと捉えているのでしょう。
本作は、湯川の考え方、または人の将来についての想いのようなものを感じる作品となっており、湯川の人間性について深く描いた作品であったと思います。
その点についてはテレビシリーズで少々物足りなく感じた部分が、この劇場版で満たされた感じがします。
もともと前回のテレビシリーズと、映画「容疑者Xの献身」も同じような関係性であったので、これは制作サイドのしっかりとした計算であったと思います。
事件の舞台となる緑岩荘を経営する川畑家の家族はそれぞれに秘密を抱えています。
その秘密は、それぞれの家族がそれぞれに対し深い愛情を持っているが故の秘密です。
その秘密により、事件は起こってしまいます。
父親は妻と娘への深い愛情を持っているが故に気づかないように振る舞い、妻も夫の深い愛情を感じながら秘密を胸の奥にしまっている。
そして娘は自らの罪を心の中に秘めつつ、二人の父親の深い愛情に気づく。
それがとても切ない。
この切なさは、東野作品の多くに共通するものですね。
「ガリレオ(2013・ドラマ)」の記事はこちら→
原作小説「真夏の方程式」の記事はこちら→
前作「容疑者Xの献身」の記事はこちら→
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