本 「自己愛な人たち」
久しぶりに読んでいてしんどかった本です。
「自己愛」というのは、著者も書いているように多面的で捉えにくい。
この言葉からは、ある種の醜さ、歪さみたいなものを感じる人が多いのではないでしょうか。
これを著者はこのように記しています。
「自己愛はまず『はしたない』もので、しかし欠くわけにはいかないものである。早い話が性器や肛門みたいに人前では隠すべきものといった意識がある」
これは、なるほど言い得て妙だと思いました。
著者は卑しい「自己愛」と健全な「自己愛」があると言います。
「前者は傲慢や尊大や思い上がりや自己顕示や自惚れから成り、後者は余裕や『おおらかさ』や向上心や誇りといったものからなるように思われる」
と書いています。
この本では著者が今までに接してきた患者(著者は精神科医)や、様々な小説などの登場人物や作家自身に対して、「自己愛」が極端に肥大化した例が上げられています。
そういう人々に対して、著者はけっこう容赦なく精神分析をし、そしてそれが困った人々であることを辛辣に指摘します。
読んでいてしんどかったというのは、例で挙げられる人々のように極端ではないにせよ、自分自身にも同じような「自己愛」というものがあるという思いになったからです。
今まで生きてくる中で、時折自分の心の中にある卑しい「自己愛」のようなものを感じたりし、自己嫌悪に陥ったりすることもあったりしました。
ただその自己愛なり自己嫌悪(これも自己愛の変形)なりは、人前に出すものではなく、自分の中でなんとなく折り合いをつけてきたようなものです。
それをずばり指摘されているようなところもあり、読んでいてしんどい感じがしました。
著者の書く文章はかなり辛辣なところもあり、その点でもしんどいところがあります。
しかし、読んでいて途中でちょっと感じたのは、著者に対しての憤りのようなものです。
「そんなに辛辣に書いて、書いているあんたは何様だ!」的な。
しかし、それも卑しい「自己愛」が変形して攻撃的になっているようなものかもしれないと思い、また自己嫌悪になったり。
というような感じでしんどいものがありました。
ただこの本の「あとがき」で著者がこのように書いていました。
「本著は完成するまでに、予想外に時間を要した。難産だったのである。考えたり調べたりすることが大変だったこともさることながら、わたしが自分自身の自己愛を扱いあぐねているところが多分にあるので、しばしば執筆中に身につまされて足取りが重くなったのである」
なるほど、専門家の著者でも「自己愛」を扱いあぐねているのかと。
自分自身の中にある卑しい「自己愛」はもしかすると多くの人が、自分自身で自覚しているのかもしれません。
けれどそれが冒頭に挙げたように「はしたない」ものであるとするならば、それを他の人に開示することもないと考えられます。
だから自分以外の人は、卑しい「自己愛」から発する自己嫌悪のようなものは感じていないように見えないながらも、実は感じているのかもしれないと思ったりもしました。
またこのようにも書いています。
「多くの人にとっても、自分の中の嫌な部分を本書の中に見つけ出す可能性は高そうな気がする。マゾヒスティックなモードで読むのが一番正しい読み方だと思うが、そんなことをいまさらあとがきに記しても手遅れだろう」
まさにその通りの反応をした自分・・・。
最初に言ってほしかったという感はなくもありませんが、ちょっと救われた感じもあらず。
この本、読む方は著者が書いたようにマゾヒスティックなモードで読む方がよかろうと僕も思います。
「自己愛な人たち」春日武彦著 講談社 新書 ISBN978-4-06-288160-9
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