しかし、三池崇史監督の作品というのは、いつもいつも大きな熱量を持っているな、と思います。
サスペンスから恋愛から、時代劇から、なにやらかにやら・・・、ジャンルに囚われず、年に2、3本のハイペースで作品を生み出している。
こんなハイペースで作ると粗製濫造な感じになりそうな心配も出てくるのですが、どの作品も溢れんばかりの熱量を持っています。
その熱は、時には熱く、時には冷たく、そして明るく、暗く、だったりと違ったりするのですが、作品の持っている熱量が高いというのは共通しているように感じます。
本作「藁の楯 わらのたて」も最初から熱量高く、作品にかぶりつくように見入ってしまいました。
ほんとにこの監督は出し惜しみするということがないですよね。
幼女を暴行の上で殺害した凶悪犯、清丸。
彼が殺した子供の祖父である蜷川は彼を殺した者に10億円を支払うという広告を出す。
清丸は九州で出頭し、彼の身柄を送検するためにSP銘苅と白岩がその警護に着いた。
10億円という金に釣られ、清丸の命を狙うのは誰か。
警察官と言えども安心はできない。
そのような状況の中、銘苅と白岩らは無事に清丸を東京に移送できるのか・・・。
清丸はまるで同情の余地がないほどの凶悪犯。
自分が行ったことに対して全く反省の意志はありません。
それどころか、彼の思考回路は虫唾が走るほどに自己中心的です。
ですので観客のほとんどが「いっそ死んでくれたほうがよい」と思うでしょう。
そして本作で清丸の命を狙う人もそう思ったに違いがありません。
しかし、それは彼らが行動を起こした理由のひとつの側面でしかありません。
理由の大きなものはやはり金なのです。
金のために人を殺すというのは正しくないことであるのは自明です。
しかし、蜷川の広告はその正しくないことに、正当であるような「言い訳」をつけてしまったのです。
銘苅がある人物に対して劇中で言うように。
その「言い訳がましさ」が人間の弱さ、そして醜さのようなものを見せつけてくる感じがしました。
三池監督というのはこういうことに対して、彼として良いとか悪いとかいう意見は差し入れないのですよね。
ただそのような人間を熱量を持って描く。
ある種の妥協のなさがこの監督の真骨頂であると思います。
どうせ死刑になるであろう凶悪犯を何故殺してはいけないのか。
それはそうすることにより社会システムが崩壊するからです。
蜷川のように金がある者が何をしてもかまわない(気持ちに同情の余地があっても)という状態は、いずれ弱い者が泣きを見る世の中になります。
だからこそ、法律があるわけでそれを守らなければならないのです。
しかし銘苅はそのようなことだからこそ、命をかけて清丸を守ったわけではないとも思います。
銘苅は心情的には十分に蜷川寄りの要素を持っていました。
しかし、その激情に身を任せたとき、それは自分自身のアイデンティティをも滅ぼしかねないという本能的な危機感があったのではないでしょうか。
清丸を殺したときに自分自身に対して「言い訳」をすることができたとしても、それは生きていく中で自分自身を必ず浸食していくだろうと思います。
彼の命を狙った警官にせよ、看護師にせよ、成功したときは、巨額の金が手に入り浮かれ、または正義を果たしたと胸を張るかもしれません。
しかしそれは自分ではない誰かの命を犠牲にしたものであるということは変わるわけではなく、それはやがて心を蝕むのではないかと思うのです。
そういう恐さを銘苅は感じていたのではないでしょうか。
大沢たかおさん、良いですね。
端正でクールなルックスですが、最近は「終の信託」や「ストロベリーナイト」のような敵役から本作のような役まで幅広く演じています。
クールさの中に熱さがあるような役柄というのが特に似合っています。
本作はまさに適役と言えるでしょう。
あと、清丸を演じていた藤原竜也さん。
この方も端正な顔立ちですが、こういうちょっといっちゃっている役とか、歪んだ役というのが非常に上手い。
松嶋菜々子さんの女SPもよかったな。
キャスティングは非常によいように感じました。
移送中に使用していた新幹線がオレンジ色だったので、西日本ではこういう色のも走っているんだーと思ったら、これは台湾の新幹線なのですね。
さすがに日本ではロケの許しがでなかったのか・・・。

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