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2013年3月10日 (日)

「仮面ライダー響鬼」<平成仮面ライダー振り返り-Part6>

平成仮面ライダーを振り返ってみるこの企画、久しぶりにアップします。
前回の「剣(ブレイド)」の時も時間がかかったと書いたのですが、そのときでも実は半年しか空けておらず。
今回は2年半も空けてしまいました・・・。
誰もこの企画覚えていないのではないでしょうか。
もともと「ディケイド」オンエア中に始めた企画なのですけどね、もうそれから4作目の「ウィザード」ですから。

さて今回取り上げる「仮面ライダー響鬼」ですが、ユニークな設定が多い平成仮面ライダーの中でも特にその特異性が際立っている作品であると言えます。
もともと「響鬼」は仮面ライダーシリーズとして立ち上げられたものではなく、いろいろと大人の事情で結果的に仮面ライダーとなったということは、本作の立ち上げ期に関わった片岡力さんの「仮面ライダー響鬼の事情」という本に詳しく書かれています。
まず表面的なところで「響鬼」が他の仮面ライダーと異なる点を上げてみましょう。
一番特徴的なのは、主人公ヒビキなどが鬼に変身するときに、「変身!」というキメ台詞を言わないというところですね。
もともとは仮面ライダーではない企画であったこと、当初のプロデューサーである高寺さんのリアリティへのこだわりがあったのではないかと僕は思っています。
ただこの「変身」という言葉は、子供たち向けの「なりきりグッズ」を売るには重要なものであるので、スポンサーサイド(バンダイ)から相当に抵抗があったのではないかと思われます。
また仮面ライダーであるのに響鬼はバイクに乗らない、デザインが仮面ライダーの特徴である複眼ではないということも表面的なところでは異色さがあるかと思います。
いろいろあったからか、後半では響鬼はバイクに乗るようになりますし、パワーアップしたフォームの響鬼紅、響鬼装甲では、デザイン処理で目のように見えるようになりました。
個人的には目のない響鬼のデザインはかっこよくて好きなのですけどね。
あと設定やストーリー的に異色であるのは、主人公の年齢設定が成熟した大人であったということが上げられます。
平成仮面ライダーは「龍騎」「555」「剣」と仮面ライダーに変身する青年の苦悩というものが大きなテーマでありました。
悩むヒーローというのは今ではアメコミなどでも定番であるわけですが、「響鬼」においては主人公は揺るぎない存在であるとして描かれています。
このあたりはプロデューサーの高寺さんのこだわりというか作家性のようなものが強く出ているような気がします。
本作には明日夢という少年が登場します。
劇中では彼が中学生から高校生になる間の期間が描かれます。
それは子供が社会に相対するようになり、今まで知らなかった現実というものに直面し、悩む時期であります。
本作では明日夢がそういうった現実に直面し、もがく中で彼が成長していく姿を描こうという意図が感じられました。
このテーマは同じ高寺さんプロデュースの「大魔神カノン」にもより強く表れています。
「クウガ」(これも高寺さんプロデュース)にしても、「響鬼」にしても、「カノン」にしても、主人公たちと敵対する存在というのは、「悪の組織」といったものでありません。
「クウガ」のグロンギ、「響鬼」の魔化魍、「カノン」のイパタダ、そのいずれも人を襲うものどもですが、それらの行動原理は人間にとっては理解できるものではなく、「悪の組織」のように壊滅させることもできません。
高寺プロデューサーの一連の作品における敵対するものというのは、実社会にあるどうしようもない壁を表しているものであると思います。
人生を生き、社会で働くとき、そこには不条理さややるせないことというのものはいくらでもあります。
それらをすべてなくすことなどはできはしない。
けれどそれなに負けてはいけない。
そういったものに立ち向かえる力を己自身が持てるようになるということが、大人になるということなのでしょう。
「クウガ」の五代や「響鬼」のヒビキはそういった大人の理想像であり、「響鬼」の明日夢、「カノン」のカノンは、そういった大人になるために頑張ろうとする子供たちなのですよね。
こういったメッセージ性というのが高寺作品には強くみられます。
高寺プロデューサーのインタビューなどを読むとそういったメッセージ性に強くこだわっているのがわかります。
もともと高寺さんは学生時代は円谷作品の初期のメッセージ性の高いものを好んでおり、東映作品(「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」)については子供向けであり、あまりいい印象を持っていなかったと言っています。
そういう思いから生み出された「クウガ」は大人の観賞にも耐えうる新たな仮面ライダー像を打ち出したと思います。
そういう意味で高寺プロデューサーはとても作家性が強い方ではないかと思うのです。
「クウガ」の大ヒットを受け、平成仮面ライダーシリーズは現在にも続くシリーズとなるのですが、その流れを作ったのが「クウガ」の後を引き継いだ白倉プロデューサーでした。
個人的には白倉さんは映画会社の方としては珍しく、マーケティングというものを理解して作品を作っている方と思っています。
白倉作品は、パッと観ると派手で奇抜な設定を取り入れているものが多いですが、よくよくみると東映にとってドル箱シリーズとなった平成仮面ライダーシリーズをいかに永続的なものにするかということを考えているように思います。
いわば「仮面ライダー」を東映のブランドとして確立させようとしているように感じられます。
高寺さんの作家的な作品への取り組み、白倉さんのマーケッター的な取り組みは、どちらが正しいというものではないですが、違った方向性であることは間違いないでしょう。
このあたりが高寺さんが独自の道を歩み始めた理由じゃないかなと思ったりもします。
「響鬼」についてはシリーズ中盤で、メインの高寺プロデューサー降板、その後を白倉プロデューサーが引き継ぐということになりました。
その理由は門外漢である僕は想像することもできません。
当時この作品を観ていた自分は、それをかなり驚き、方向性が大きく変わることに懸念を持ちました。
前半のトーンはけっこう個人的には好きだったのです。
白倉さんになりメインライターも井上敏樹さんに代わり、井上節が出てきたあたりはちょっと違和感を感じたものです。
ただ時間をおいて改めて観てみると、思いのほか前半で掲げていたテーマを後半も受け継ごうという意志はみられるなと思いました。
確かに前半は話の進行が非常に遅い。
これは高寺作品に共通している傾向です。
このあたりを後半は改善し、お話のドライブ力をアップさせているように思いました。
その分、ややヒビキと明日夢の関係性というのが薄くなったのは否めないかなと思います。
高寺プロデューサーは子供へ、世の不条理へ立ち向かう勇気と力を持てと伝えたいと思っているのではないかと思います。
それが本作の特徴である、師匠と弟子という関係に表れていました。
ヒビキと明日夢、イブキとアキラ、ザンキとトドロキ、と三種三様の関係が描かれますが、一緒に歩むにせよ、別々の道を歩むにせよ、思いと力を持つこと、それも自分自身で鍛えることによって、というメッセージがは確実に弟子たちに伝わったと思います。

本「仮面ライダー響鬼の事情」の記事はこちら→
「仮面ライダークウガ」<平成仮面ライダー振り返り-Part1>の記事はこちら→
「仮面ライダーアギト」<平成仮面ライダー振り返り-Part2>の記事はこちら→
「仮面ライダー龍騎」<平成仮面ライダー振り返り-Part3>の記事はこちら→
「仮面ライダー555(ファイズ)」<平成仮面ライダー振り返り-Part4>の記事はこちら→
「仮面ライダー剣(ブレイド)」<平成仮面ライダー振り返り-Part5>の記事はこちら→

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