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2013年2月24日 (日)

「さよならドビュッシー」 原作小説に対しての冒涜だ

そろそろ公開終了っぽいので慌てて観に行ってきました。
原作小説「さよならドビュッシー」はすでに読んでいました。
著者の中山七里さんは「さよならドビュッシー」と「カエル男殺人事件」を読んで、最後の最後のどんでん返しに仰天し、お気に入りのミステリー作家となりました。
その後も「さよならドビュッシー」のシリーズ作、「おやすみラフマニノフ」「さよならドビュッシー 前奏曲」を読みました。
ですので、この作品の驚くべきラストのどんでん返しの結末は知っているので、純粋に観れたわけではありません。
というよりもあの原作小説の驚きを映画ではどのように料理しているかというところが観賞のポイントでありました。
主演は橋本愛さんであることは映画化が発表されたときに知りましたが、このキャスティングはもともといいなと思っていました。
主人公の遙は奇跡的に火事から一人だけ生還し、その後持っていた夢を追いかけ苦しいリハビリを続けながらピアニストの道を目指します。
そんな彼女を何ものかが狙う、そして彼女自身もなにか大きな秘密を抱え込んでいる様子・・・。
遙という役には、なにか陰のようなものと、そして内に抱える切迫した想いのようなものが必要です。
そういう点で橋本愛さんはいいキャスティングだと思いましたし、観賞後も同様の感想です。

<ここから先は結末に触れるかもしれませんので、注意です>

では、この作品を評価するかというと。
まったく評価ができません。
劇中、本作の探偵役となる岬洋介が、遙がドビュッシーの曲を早く演奏し終わらせようとしたことに対し、「冒涜だ」と言う場面がありました。
正直、この映画も原作小説を冒涜しているぐらいに出来が悪い。
出来が悪い要因はいくつもあります。
まず役者の演技が全体的にレベルが低過ぎます。
特に重要な役である岬洋介を演じる清塚信也さんの演技が気の毒になるほど、拙い。
清塚さんは本職はピアニストなわけで、演技力云々をこの方にいうのは気の毒です。
これはこの方をキャスティングした側に問題があります。
この役を本職のピアニストにしなくてはいけない理由はまるでありません。
本職の俳優であれば、ピアニストらしく見せることはいくらでもできるでしょう。
清塚さんがピアノを弾き、それを長回しで見せるシーンが最初にありますが、彼がピアノを弾くシーンはこのくらい。
だったらうまく演出して、吹き替えでやってもいいでしょう。
岬洋介という役はクールな洞察力を持ちながらも、ピアノに対して熱い想いを持っている役です。
それは遙にも通じるもので、だからこそ彼らは信頼できるわけです。
ですので、ピアノを弾けるか弾けないかということよりも、その人物を演じれるか演じられないかというものが重要であるべきなのです。
途中で出てきた刑事役の方もひどかった。
岬と刑事が二人だけ登場して、事件の革新的な部分について話すシーンがありますが、キーな場面であるにも関わらず、あまりに学芸会的な演技で閉口してしまいました。
あと脚本もよろしくありません。
原作の真骨頂は大どんでん返しでありますが、遙が命を狙われ、それが家族の誰かかもしれないという緊張感というのも物語を読ませる力となっていました。
本作にはそのようなものが一切ないのですね。
映画では母親は遙の告白により真実を知り、自ら足を滑らし意識不明となります。
しかし原作では、母親が遙の正体に気づいたことを匂わせるシーンがいくつかあり、さらにはそれに遙も気づくというようになっています。
そして母親の「事故」にも遙自身がもっと強く関わるのです。
またお手伝いのみち子についても映画ではステレオタイプ的なお手伝いさんになっていますが、原作では違います。
もっと何を考えているかが読めない、遙へ敵意を持っていることだけはわかるという、作品全体の緊張感を上げる人物になっています。
原作シリーズでは「さよならドビュッシー 前奏曲」を読めばただのお手伝いさんな人物ではないことは瞭然です。
むろん映画と小説では同じようなことはできないのは承知していますが、それにしてもミステリーの根幹に関わる部分をよりつまらなくする方向に改変する脚本はいかがなものかと思います。
あと演出や編集が単調、無駄に長いなど文句はいろいろありますが、このあたりにいたします。
久しぶりに「金返せ」的な気分になりました。

原作小説「さよならドビュッシー」の記事はこちら→

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2013年2月23日 (土)

「脳男」 安易に希望を描かない

原作は首藤瓜於さんの2010年江戸川乱歩賞受賞の同名小説です。
こちらは出版してすぐくらいに読んでいました。
読んだのが10年以上も前なので、すっかりストーリーは忘れています。
覚えているのは基本設定のみで、鈴木一郎と名乗る男が登場し、彼は記憶力などは常人離れしていますが、感情がないということ。
映画の方もかなり原作をいじっているようなので、忘れていたためフラットに観れて、ちょうど良かったかもしれません。
感想としては、けっこう面白く観れました。
本作で好感を持ったのは、安易に希望を描かなかったことかなと思っています。
こういうサイコ的な物語については、日本の映画の場合、どうもやんわりとしたものになる場合が多いのですよね。
万人受けするように口当たりをよくしてしまう。
アメリカ映画では「羊たちの沈黙」とか「セブン」とかトラウマになりそうなくらいいってしまっているような作品もあります。
こういう映画は振り切ってハードに描くことにより、人間の底の知れなさ、業の深さ、複雑さのようなものを見せつけてくるような感じがします。
日本の作品の場合は、事件としてサイコなものを題材にすることはありますが(「踊る大捜査線」の1作目とか)、意外とそれはステレオタイプ的にやんわりと描かれることが多いのですよね。
そこがそもそもテーマでないというのはありますが。
本作は日本では珍しく、先に上げたアメリカ作品の系譜に繋がるタイプの作品であると言えるかと思います。
作品のトーンとしては、最後までハードな印象を通します。
基本的に登場人物たちは、それぞれ絶望を味わうのですよね。
これは日本の作品としてはかなり珍しいほうかと思います。
ラストのシーンは希望ととることもできますが、完全にはそうでもないかもしれないという含みもあるかなと思いました。
精神科医の真梨子は結果的に、自分が今まで信じてきて行ってきたこと自体をすべて否定されます。
刑事の茶屋も、自分の力がおよばず同僚を失います(日本映画の通常だと、この同僚は助かったりするものですけれど、振り切ったなと思いました)。
人道的な考え、正義への信念のようなものも、圧倒的で暴力的な力を前にするとどうしようもないという絶望感のようなものが感じられます。
主人公の鈴木一郎=脳男を演じた生田斗真さんは良かったですね。
終止無表情でありながらも、何か人間的なものもそこにはあるのではないかと感じさせる微妙なニュアンスを出していたと思います。
彼がほんとうに何を感じていたか、それともほんとうに何も感じていないか、それが最後までわからないというところに、人間の底の知れなさを感じました。
もう一人印象的だったのは、事件の犯人緑川紀子役であった二階堂ふみさん。
この緑川という役どころが、本作を印象づけるキーであったと思います。
緑川は徹頭徹尾、悪なんですよね。
そこに希望というものはまったくない。
彼女の外見が、美しい少女であるということから、何かしら観ている側は最後に救いがあるのではないかと思うのでしょうが、それはない。
最後まで彼女は悪であり、日常に暮らす人々とは相容れぬ存在なのですよね。
この存在が、本作を最後までハードにしている大きな要素であると思います。
おそらく緑川も自分が通常の人々とは異なる存在であり、相容れぬ存在であると認識していると思います。
人への共感性といったものが欠如しているのが彼女なのでしょう。
ですので今まで孤独感のようなものを感じたわけではないとは思いますが、鈴木一郎という存在を知ったとき、自分と同種であると感じたのでしょう。
それが彼女のとっての初めての共感性ではなかったのではないでしょうか。
だからこそ彼女は鈴木一郎に執着したのだと思います。

しかし、二階堂ふみさんはほんと最近登場回数が多いですよね。
難易度も高く、振り幅も求められる役も多い。
最近の若手女優の中では図抜けている才能だと思います。
あと、染谷将太さんも登場回数多いですね。
それも二階堂さんといっしょのことが多い(笑)。
「ヒミズ」から数えて、3作目か4作目くらいですよね。

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本 「エンジェルフライト -国際霊柩送還士-」

今年の1月16日に日本人が巻き込まれるアルジェリアの人質事件が起こりました。
痛ましいことに7人の日本人の方が亡くなられてしまいました。
そのときの報道で、亡くなられた方のご遺体は政府専用機で日本に送られたとありました。
ふと思ったのは、他にも日本人の方が海外で亡くなられることがありますが、そのときはどのようにされているのだろうと。
そうしたとき、書店で目に入ったのがこちらの本「エンジェルフライト -国際霊柩送還士-」でした。
この本で取り上げられている会社がエアハース・インターナショナルというところでした。
エアハースは海外で亡くなられたご遺体を空港で受け取り、そちらを生前のように見えるようにエンバーミングし、遺族のもとに送り届けるという仕事をしています。
日本でこの業務を専業でやっている会社はエアハース1社だということです。
アルジェリアの事件もそうですが、海外で日本人が亡くなられる場合、事件や事故といったケースが多いわけです。
その場合、ご遺体は大きく損傷していたり、また海外での取り扱いがあまりよくなく時間の経過とともに痛んでいることが多いのです。
離れたところで肉親を亡くしたご遺族はそれだけで心理的ダメージがあるのに加え、ご遺体が観るも無惨な状態ではより悲しみを深くしてしまいます。
エアハースはそういった遺族の悲しみを少しでも和らげるために、ご遺体のエンバーミングをするのです。
映画「おくりびと」を観たときも思ったのですが、お葬式というものは亡くなった方のためということもあるのですけれど、残された遺族が気持ちの整理を行うための時間と考えていいかと思います。
亡くなられた方を前にして、喪失感を実感し、心の中で消化した上で、自分を生かしていくためのもの。
そのとき苦しみの表情が浮かぶご遺体よりは、安らかな顔をされたご遺体の方が、遺族は気持ちの整理がしやすいものなのです。
エアハースは設立してまだ10年程度の会社ですが、今までも僕たちが知っている海外での大きな事件・事故で亡くなった方のエンバーミングを行ってきたということです。
最近ですと、ニュージーランドのクライストチャーチでの地震、そしてまたシリアで亡くなった女性記者の事件など。
もしかするとアルジェリアの事件でもエアハースは遺族のために働いているかもしれません。
この本を読んでいる途中で、今度はグァムで日本人が巻き込まれる事件が発生しました。
こちらにもエアハースは尽力しているに違いありません。
報道で、グァムの事件の遺族の方の悲しむ姿を観ました。
その悲しみがエアハースの方々の力で少しでも和らげばよいなと思いました。
こういった見えないところで人々のために働く方々がいるということに感銘を受けました。

「エンジェルフライト -国際霊柩送還士-」佐々涼子著 集英社 ハードカバー ISBN978-4-08-781513-9

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2013年2月17日 (日)

「ダイ・ハード/ラスト・デイ」 もうシリーズ、厳しいのでは?

ただのアクション映画としてならば、及第点なのかもしれないのですけれど。
やはりあの「ダイ・ハード」シリーズの最新作ですから、観る側としてもハードルが上がってきてしまうんですよね。
ちなみに今までのシリーズの個人的な評価は
「ダイ・ハード」:◎
「ダイ・ハード2」:◎
「ダイ・ハード3」:×
「ダイ・ハード4.0」:△
ていう感じです。
で、今回の「ダイ・ハード/ラスト・デイ」ですが、「△」ってところでしょうかね。
シリーズ初の海外でのケースということですが、他の最近のアクション映画は世界をまたにかけているというのが普通ですからね、それほどそれで盛り上がるというところもありません。
どちらかと言えば、本シリーズはジョン・マクレーンのキャラクターで見せるというところもあると思うんですけれど、マクレーンも修羅場をくぐり抜けているため、ヴェテランの風格も出ているわけで、シリーズ初めの頃のボヤキや、普通っぽい感じで「やられるかもしんない」的なハラハラ感はもう望めないんですよね。
もう「ブルース・ウィルスが銃を撃ち始めたら、勝つだろ」といった盤石感があって、けっこう冷めた目で観てしまうんですよね。
この盤石感というのが、すでに「ダイ・ハード」という映画のタイトルと離れてきてしまっているのかもしれません。
「ダイ・ハード」というのは、日本語にすると「なかなか死なない」「しぶとい」といった意味になると思います。
このやられそうになっているのに、やられない感というのが「ダイ・ハード」の真骨頂なのですよね。
もう本作くらいになるとそういうのはもう求められない。
シリーズとして成立しにくい状況になっているような気がします。
アクションシーンとしては見応えがあるところもあったのです。
マクレーンが4WDでワシャワシャ車を踏みつぶしながら走っていくところとか、ヘリとのバトルとか。
でもねぇ、やっぱり無敵な感じがするのですよ、やっぱりもう「ダイ・ハード」じゃないなぁ。
息子とのエピソードもそれほど効いている感じはしなかったですしね。
マクレーンが必死にがんばるキーとして「家族」というのはシリーズ共通点ではあるんですが。
このシリーズ、作られれば作られるほど、1作目の偉大さを再確認していくという感じ。
また1作目の「ダイ・ハード」観ようかな。

音楽は1作目、2作目っぽくて良かったです。

「ダイ・ハード」の記事はこちら→
「ダイ・ハード2」の記事はこちら→
「ダイ・ハード3」の記事はこちら→
「ダイ・ハード4.0」の記事はこちら→

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2013年2月16日 (土)

「ゼロ・ダーク・サーティ」 アメリカ、やはりちょっと恐い

イラク戦争を題材にした「ハート・ロッカー」でアカデミー賞を受賞したキャスリン・ビグローの最新作。
9.11の悲劇を起こしたアルカイダの首魁であるオサマ・ビンラディンの殺害をテーマにした作品です。
男以上に男らしい作品を作るキャスリン・ビグローらしい題材です。
ちなみにタイトルの「ゼロ・ダーク・サーティ」とはビンラディン殺害の作戦を実行したネイビーシールズが潜伏先に踏み込んだ時間、午前0:30のことだそうです。
「ハート・ロッカー」はイラク戦争を題材としながらも、主人公である軍曹のスリル中毒とも言える行いを描いているようなところもあり、登場人物に焦点が当てられていた作品であったと思います。
それに対し、本作「ゼロ・ダーク・サーティ」は登場人物よりも、どのようにアメリカがビンラディンに迫っていったかという出来事そのものを描くことを第一としていたように感じました。
主人公は、女性CIA分析官のマヤですが、彼女自身の心情についてはそれほど深く描いているわけではありません。
言わばマヤはこの物語の筋を最初から最後まで通すためのガイドというべき位置づけになると思います。
最初から最後まででているのは彼女くらいなんですよね。
題材自体はなかなか今まで描かれることがなかったものですので、見入るところはありました。
ですが、それは物語というよりは、知らなかったことに対する興味である感じもありました。
ネイビーシールズの突入の時に使ったヘリがステルス仕様なのに驚きました。
こんなヘリを使ったとは知りませんでした。
上で書いたように登場人物自体を掘り下げているわけではないので、「ハート・ロッカー」ほどに感情が動くようなところはなかったですね。
ただずっと緊張感が続くような現場感は、やはり「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグローらしいところだとも思いました。

作品自体というよりも、やはりちょっと気になったのはアメリカという国のものの考え方ですね。
自分たちとしての正義があれば、拷問でもOK。
これ、他の国がアメリカ人にやったら絶対NGだと思うんですよね。
あと最後の作戦も、他国の領土でやっているわけで、立派な主権侵害なような気がするんですけれど・・・。
世界的なテロリストであるビンラディンを殺害するためとはいえ、その国に何も言わず、やるだけやってその国の軍隊がくる前に引き上げるという・・・。
明らかにビンラディンがどこの国の人からみても、犯罪者であるわけですが。
でもアメリカの正義に反するのであれば、なんでもありというのはなんだか・・・?という気がします。
この作品がそのあたりを問題意識を持って描いているのか、それとも素直にビンラディンを殺害という出来事を素直に賞賛して描いているのかはよくわからないのですけれどね。
後者だとするとやはりアメリカはちょっと恐いところがあるなと思います。

キャスリン・ビグロー監督作品「ハート・ロッカー」の記事はこちら→

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本 「ビブリア古書堂の事件帖 -栞子さんと奇妙な客人たち-」

現在オンエア中の「ビブリア古書堂の事件帖」がけっこうお気に入りなので、ドラマ視聴と並行して原作本も読み始めました。
本好きですので、もともと気になっていた作品ではありました。
基本的な設定、事件の骨子はほぼドラマといっしょですね。
ただドラマに比べて、登場人物の掘り方、また事件の謎解きについてはやや淡白な感じがしました。
この作品、ライノベのジャンルになるとは思いますが、やはりライノベ的な読みやすさみたいなところはありつつも、読み応え感はやや薄いかなと。
観ていて引き込まれる感じとしてはドラマのほうが上のような気がしました。
現在(2013/2/16)テレビドラマで放映された話で本著に収録されていたのは「夏目漱石の「それから」」、「小山清の「落穂拾ひ」」「ヴィノグラードフ・クジミンの「論理学入門」」です。
ドラマのほうはどれもけっこう良いできたったので、原作の方はやはりもの足りない感はありました。
探偵役の栞子さんはドラマと原作ではイメージがちょっと違いますね。
原作の栞子さんは通常はひどく人見知り的で引っ込み思案な感じですが、本が関わると俄然凛として前のめりになっていくという2モードあるような感じがあります。
ドラマの方はどちらかというと原作の後の方のモードをベースに作られているような感じがしますね。
主演の剛力さんのイメージもあるかもしれないですけれども、これはこれでいい感じはしています。
原作から入った方はイメージが違うという方もいるかもしれません。
ドラマと比べるともう少し・・・という感はなきにしもあらずですが、とはいえ本を題材にしたミステリーというのはなかなか面白い趣向で、本好きとしてはビブリア古書堂の物語、もっと読んでみたい気がします。

「ビブリア古書堂の事件帖 -栞子さんと奇妙な客人たち-」三上延著 メディアワークス 文庫 ISBN978-4-04-870469-4

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2013年2月13日 (水)

「特命戦隊ゴーバスターズ」 リアリティにこだわったが・・・

昨年はシリーズ第35作という節目の年で、ド派手な設定であった「海賊戦隊ゴーカイジャー」がスーパー戦隊シリーズとして放送されました。
「仮面ライダー」シリーズにおいては、平成仮面ライダー10作品目の「仮面ライダーディケイド」が試みたシリーズを横串で貫き、「スーパー戦隊シリーズ」をブランドとして確立しようとする狙いであったと思います。
その試みはうまくいき、「海賊戦隊ゴーカイジャー」はヒット作品となりました。
その後を継ぐ第36作品目が本作「特命戦隊ゴーバスターズ」です。
集大成的な作品の後の作品というのはなかなかに難しいと思います。
派手な設定であればあるほど、同じ方法で繰り返すわけにはいきません。
「仮面ライダー」シリーズでも「ディケイド」という「なんでもあり」の作品の後、ちょっと心配でしたが、その後の「W」では「二人で一人の仮面ライダー」というツイストのある設定を持ち出してきて、さらに「仮面ライダー」というシリーズの懐の深さを出し、その後も平成仮面ライダーシリーズは快進撃を続けています。
さてスーパー戦隊シリーズでは、ド派手な設定の「ゴーカイジャー」の後を継いだ「ゴーバスターズ」も前作と比べてツイストをかけています。
それはリアリティという方向でありました。
平成仮面ライダーシリーズと比べ、スーパー戦隊シリーズは対象年齢も低いということもあり、どちらかと言えばファンタジーの要素が強かったと思います。
これは戦隊そのもの、敵の設定とかをみればわかると思います。
「ゴーバスターズ」においてはそういったファンタジー的な要素よりもリアリティにこだわったように思います。
そのリアリティさというのは、たとえば戦隊のコスチュームデザインなどにも表れています。
「ゴーバスターズ」のコスチュームはまさに戦闘服ともいえる質感を持っていて、それまでの「タイツ」的なぴったり感というよりは、服というリアリティにこだわっていたことが感じます。
またロボについても、いままでの着ぐるみが動いているという印象より、よりメカっぽくまた、屋外での撮影も多くしたようで実際の太陽を感じるリアルさを狙っています。
それ以外にも、バンクを用いない変身シーン、等身大の戦い→巨大戦というパターンを守らなかったこと、リアルなアクションなどにもその狙いが表れています。
これらの試みは「ゴーカイジャー」と差をだすという点では出せているとは思います。
ただこのリアリティという方向性は、昭和仮面ライダーに対して平成仮面ライダー(特に最初の作品である「クウガ」)がやったことではあります。
荒唐無稽さからリアリティという方向を打ち出すことにより平成仮面ライダーは大人の観賞にも耐えられるようになったと思います。
ただこのリアリティさにこだわるというのは作品自体がこじんまりするということにも繋がります。
そこで現在の第二期と呼ばれる平成仮面ライダーシリーズでは「二人で一人の仮面ライダー」+「探偵」の「W」や、「学園もの」+「宇宙」の「フォーゼ」など、一瞬ぎょっとするような設定を持ち込み、それでいてシリーズ自体の幅を広げるという試みをしていて、これは成功していると思います。
それに対しスーパー戦隊シリーズというのはもともと荒唐無稽な設定であるものが多いのですね。
だからリアリティという方向を打ち出すと今までのシリーズの中でもどうも存在感が薄いというか、派手さのようなつかみがない。
「ゴーバスターズ」についてはスーパー戦隊シリーズがもつ荒唐無稽さ、勢いのようなものが失われたような気もしました。
お話についてても、二部になることはもともと予定されていたことがどうかわかりませんが、観ている側するとちょっと路線変更かなと思ったりもしました。
ストーリーとしてはヒロムの13年前の約束の守るというのが主軸になるはずですが、それは中盤にある種の決着がついてしまいました。
その後はでてくる敵をやっつけていくというシンプルな構成になったように思います。
リアリティさにこだわって物語もフォーマットではなく、柔軟さを持った構造にしたことにより、わかりにくくなったという判断があったのかもしれません。
また「水戸黄門」的なパターンもなくなったため、お約束からくるエクスタシーみたいなものがないというのもあったかもしれません。
試みとしてリアリティを目指したのはわかるのですが、終了してみるとどうも印象が薄い作品であったというのが正直なところでした。

次回の作品は「獣電戦隊キョウリュウジャー」。
スーパー戦隊シリーズの定番である恐竜モチーフ、またテイスト的にも派手な感じで、スーパー戦隊シリーズの王道のような感じがしますね。
千葉繁さんのナレーションのテンションも高そうですし、メインは坂本浩一監督ということで、派手な感じになりそう。

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2013年2月12日 (火)

本 「サバイバー23区 -東京崩壊生存者-」

こちらの作品の著者木下半太さんは「悪夢のエレベーター」などの「悪夢」シリーズが有名ですよね。
僕も「悪夢」シリーズは全部読んでいます。
で、本屋で読む本を物色していた時に見つけたのがこちら「サバイバー23区」。
最近の新書の小説らしい原色系の色合いの表紙はいつもはスルーする感じですが、ふと作者の名前を見て立ち止まったわけです。
木下半太さんのかと。
崩壊した東京でサバイブする話・・・?
今までは大阪などのこじんまりとした街を舞台にしたサスペンスが多かったので、らしくないなぁと思いつつ手に取りました。
新境地開拓?うーむ滑ってなければいいなと。
で、読み始めたわけですが。
あぁ、やっぱり木下半太さんだわ、と。
世界が崩壊した後を舞台にしていながらも、「悪夢」シリーズと同じようなテイスト。
よく考えてみると、「悪夢」シリーズというのは、主人公らが信じられないような絶体絶命のシチュエーションに投げ込まれて、それをどうやって切り抜けるかっていうのがパターンなのですね。
それと、主人公など登場人物たちは特別な人間ではなくって、というよりはどちらかと言えば負け組に属するタイプの人間が主人公であることが多いのです。
そういう点からみれば、本作はまさに木下半太作品なのですね。
いままではエレベーターの中とか、クローゼットの中とか、こじんまりとしたところが舞台でしたが、本作では東京。
東京自体が崩壊しているわけですから、街全体が絶体絶命なシチュエーション。
物語は何人かの登場人物の主観視点で描かれるのも木下さんのスタイルですよね。
そのいくつかの視点が相互に関係しているあたりも。
そして必ずしもハッピーエンドではないのですが、このあたりのほんのりと苦い感じといままでの「悪夢」シリーズでもありました。
そういう意味で、絶体絶命のシチュエーションを広く大きくなってしますが、中身は紛うことなき木下半太作品ということで、彼の作品が好きな方はぜひという感じです。

「サバイバー23区 -東京崩壊生存者-」木下半太著 講談社 新書 ISBN978-4-06-1822860-5

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2013年2月11日 (月)

「きいろいゾウ」 月は満ちて、欠ける

月は満ちて、欠ける。
海は満ちて、引く。

主人公の夫婦の妻であるツマは満月になるとひどく不安な気持ちになります。
月は満ちた後、欠けていきます。
ツマはムコと暮らす幸せな日々がいつかは失われていくのだろうと感じているようにみえます。
この生活がいつかはなくなってしまうという将来の喪失感に対して、不安を感じているのでしょう。
そのため、ツマはムコの日記を盗み見たり、また少しの間離れようとするムコに対して攻撃的になったのだと思います。
ツマは幼い頃、病弱でその後普通の生活をおくれるようになりました。
病室で過ごした寂しい日々、そこからムコと二人の幸せな生活をおくれるようになった。
けれどもまたそういった寂しい日々に戻るかもしれないという喪失感、恐怖心に囚われているような感じがします。
この物語には将来の喪失に対し、不安に思う登場人物が登場します。
これから恥をかくことを恐れ、不登校になった大地もそうです。
彼はなんでもできる子のようですから、一つの失敗をきっかけに、自分の評価が失われることをひどく気にしたわけですね。
いつもツマのところにお茶にくるアレチも、妻であるセイカを失うかもしれないという恐さに向かいます。
彼はいつも飄々としていますが、セイカが入院したときはその恐さを口にし、観ている僕たちにも大切な人を失うかもしれないという恐ろしさを再認識させます。
またすでに大切な人を失った人もでてきます。
ムコが若い頃に縁があった緑、その夫である夏目がそうです。
彼らは娘を病気で失い、緑はその喪失感から立ち直れず、また夏目は娘を失ったことに加え、妻である緑をも失うかもしれないという気持ちでいるのです。
今が幸せであればあるほど、その先にそれらを失ってしまうかもしれないという恐怖がわき上がってくるかもしれません。
大切な人を失うかもしれないと想像するときに感じる、とてつもない不安感というのは誰しも経験があることでしょう。
世界が真っ暗闇になってしまうかのような気持ち。
ツマは満月のたびにこの気持ちを味わっていたのかもしれませんね。

しかし、真っ暗闇もいつかは明るくなります。
新月が再び満ちていくように。
登場人物でそれを知っている人物がひとり、それがムコです。
ムコは若い時に、大好きだった叔母、そしてまた愛する人を失いました。
彼はそのとき、やはり絶望的な気持ちになったのだと思います。
けれど、その後に彼は伴侶となるツマと出会います。
愛するツマとの二人だけの幸せな生活をムコはおくっていきます。
彼は理解しているわけです。
暗い闇もいつかは終わり、明るくなっていく。
明るさもまた再び失われるかもしれないですが、再び戻っていく。
すべては繰り返し。
潮の満ち引き。

将来失ってしまうかもしれないという不安に駆られて、今の幸せを味わえないのはもったいないこと。
今の幸せをしっかりと味わい、将来それが失われることがあっても、ずっとそれが続くわけでないと思えること。
このことが人生を幸せに生きることの秘訣かもしれません。

月は満ちて、欠ける。
しかし、また満ちる。

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「火怨・北の英雄 アテルイ伝」 もう少しスケール感があると良かった

高橋克彦さんの小説「火怨 北の耀星アテルイ」をテレビドラマ化した作品です。
「火怨 北の耀星アテルイ」は大河ドラマにもなった「炎立つ」「天を衝く」と合わせて高橋さんの陸奥三部作と呼ばれる作品群になっています。
時代は違いますが、どれも東北に根を張った人々が中央からの力に抗い、そして倒れていく様を描いています。
こちらの三部作についてはどれもすでに読んでおりました。
中でも「火怨 北の耀星アテルイ」は名を聞いたことはありましたが、ほんんど知らないアテルイという人物が生き生きと描かれ、面白かった印象がありました。
アテルイらは蝦夷と呼ばれ、大和の圧力に抵抗していた東北の民でした。
その抵抗があまりにも強く、朝廷はついに坂上田村麻呂を征夷大将軍として派遣し、ようやく鎮圧をしたわけです。
時代の雰囲気としては「もののけ姫」のあたりの雰囲気が近いかなとは思います(あちらはずいぶんとファンタジーになっていますが)。
大規模な大和の軍勢に対し、蝦夷は圧倒的に少数。
それでも蝦夷は粘り強く、大軍に対抗していきます。
このあたりの粘り強さというのは東北人気質にも継承されているのかもしれませんね。
原作ではアテルイらの知略や騎馬を使った機動力により、大和を翻弄させる場面もありました。
ドラマのほうはそれを計4話で描きます。
4話という短さ、またBSの時代劇枠ということで予算もあまりないと思われるので、全体的にややダイジェスト感があるのは否めません。
原作は面白かったので、個人的には大河ドラマくらいのスケールで観たいと思いましたが、どうも世の人はこういった時代には興味がないようで視聴率はとれないでしょうね(「炎立つ」もコケましたし)。
アテルイを演じた大沢たかおさんは良かったです。
最近ちょっと悪めの役のものばかりを観ていましたが、こういう正統なまっすぐな役も似合いますよね。
幅がひろがってきている役者さんだなと思います。
アテルイの参謀を務めるのは母礼(もれ)で、演じるのは北村一輝さん。
北村さんは、濃い顔ですが、日本人でもいけるし、こういう蝦夷みたいなのもはまります(もちろんローマ人も(笑))。
あと内田有紀さんは相変わらずきれいですね〜。
若いときよりも今の方が好きです。

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2013年2月 9日 (土)

「ゴーストライダー2」 悪いところばかり継承

アメコミ映画となると、条件反射的に観に行ってしまうわけですが・・・。
びっくりするほど、面白くなかった!!
そういえば前作もばっさりダメ出しをしていたのだった。
ガイコツにバイク、チェーンと、ゴーストライダーはビジュアル的にはカッコいいので、もっと面白くできそうなんですけれどね・・・。
監督は誰かと思って確認したら、マーク・ネヴェルダイン&ブライアン・テイラーのコンビ。
この監督コンビの「GAMER」とかも僕的にはダメだったんですよね〜。
前作に引き続きニコラス・ケイジが主演ですが、設定などは前作からけっこう変更がありますよね。
設定変更したのは仕切り直しということかもしれないですが、変更したからといって面白くなっているわけではないのはどうなのだろう?
最近のマーベル作品はアタリが多かったので、ちょっと期待していたのですが、甘かった。
「ハルク」→「インクレディブル・ハルク」パターンにはまっているか・・・。
そういえば「パニッシャー」もか。
前作も登場人物の描き込みの浅さが課題であったと思いますが、本作もそういうところは同様でした。
設定などを直すのであれば、もう少し登場人物を深く掘ってほしいところでしたけれども。
キャラクターの浅さによるものでもあるのですが、ストーリーも盛り上がりに欠けます。
何度落ちそうになったことか・・・。
悪いところばかり継承してどうするんだ、という感じです。
こんな体たらくでは、ゴーストライダーは「アベンジャーズ」入りは無理ですね。

映画もグダグダだったけど、レビューもグダグダだ・・・。

前作「ゴーストライダー」の記事はこちら→

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本 「神道とは何か -神と仏の日本史」

けっこう学術的で濃密な内容だったので理解し切れているとは言えないのですが...。
今の日本人でいうと、仏教ーお寺、神道ー神社という感じですっぱりと別れている印象があるかもしれません。
いや、そうでもないか、お寺で柏手打ったりする人もいますもんね。
学校の授業などで明治政府が廃仏毀釈を行ったということを聞いたことがある方もいるかと思います。
これはそれまでごっちゃだった仏教と神道(神仏習合)を明確に分けるということでした。
これにより国家の宗教を神道とし、天孫である天皇の権威を高めるという意図がありました。
つまりは江戸時代までは仏教と神道というのがごっちゃになっていたということですね。
お寺で柏手をうつというのもさもありなんなわけです。
実際、○○宮という神社で仏様を祀ったりしていたわけです。
そもそも神道のもととなる原始的な神の概念は日本にありましたが、しごく素朴なものでした。
そこに飛鳥時代に仏教が入ってきて、それらは次第に交わっていくようになったのです。
仏教的には定着するには土着の宗教を上手く取り入れていくという従来の手法がとられたのだと思います。
もともと仏教はヒンズー教などを取り込み、中国ではそこの神を取り込みました(毘沙門天は元々はヒンズーの神)。
また神道側には仏教との関連性を求めることによる権威付けという側面があったのでしょう。
本地垂迹説というのはまさにそれになります。
この考えは仏様が、別の姿として神様としても現れるということです。
天照大神が大日如来の異姿であるというような考えですね。
おそらく仏教、神道双方に集合することによる得があったのでしょう。
もともとは仏教のほうが権威が上で、神道はそれにあやかるという感じがあったように思いますが、その後日本という国家が次第に自信を深め、さらには元寇などの外部からの圧力があり日本が国家としてのナショナリズムが高まったときあたりから神道のほうが権威が上のような考え方がでてきます。
つまりはこのころから、「神道」という宗教が成立してきたということでしょうか。
それまではもっと獏としたものであったのでしょう。
国が外部からの圧力に晒されるとき、ナショナリズムが高まりますが、日本はそういうときに神道という日本人の独自のもの(と思っている)への機運が高まります。
元寇のときも、明治維新のときも、太平洋戦争のときも。
なんとなく今の時代もそういう雰囲気になっているような気もしなくもありません。
しかし現在の神道自体も日本オリジナルというわけではなく、仏教を始め儒教などの外来の思想を取り入れ日本人として解釈再構成したものです。
日本人というものはもともとそういう気質なわけです。
自動車産業などもそう、カレーやギョーザ、ラーメンなどの食べ物もそもそもは外国のものですが、日本人はそれを取り入れ、解釈し日本人らしさを加えて再構成しています。
ナショナリズムというと純化という方向に行きがちですが、日本人という民族はそもそもが外のものを受け入れそれを自分たちなりに発展させていくというセンスを持っている者なのだろうなと思います。
神道の話を読んで、そういうことを考えました。

「神道とは何か -神と仏の日本史-」伊藤聡著 中央公論 新書 ISBN978-4-12-102158-8

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2013年2月 8日 (金)

「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 だから人は物語る

世界は無慈悲なまでに人とは関係なく存在する。
圧倒的な世界を前にして、人は自分というものの存在の意味のなさというものを感じ、絶望する。
その絶望から逃れるために、人は物語る。
人は神を作り出す。
物語ることにより、世界がかくあることを人にとって意味のあるものとして解釈したい。
神を作り出すことにより、世界がかくも厳しいことに必然性を感じたい。
本作を観て、そのように感じました。

<ここから先は相当にネタバレですので注意です>

初めに主人公パイの少年期の話があり、そこで宗教の話に触れたことに面食らいました。
そういう方向性の作品だとは思っていなかったので。
予告を観たときの映像の印象からファンタジーなのかと思っていたのです。
そしてその後、本作のメインとなるパイとトラの漂流記になります。
そこで語られる物語は幻想的な映像によるある種のおとぎ話的なテイストと、人とトラが相容れぬままに行きていく緊張感があふれるリアリスティックな雰囲気が混じり合った不思議な感触をもったものでした。
不思議な物語でしたが、それを観ている自分は、いつものように意味を見いだそうとしながら観賞していたわけです。
それなりにその解釈を見つけていたのですが、救出されたパイが語った短い話を聞いたとき、やや混乱しました。
パイが物語った話は、ある種の究極のサバイバルの話ではありますが、この映画のほとんどを使って語られたトラとの漂流の話よりはある意味リアリティがあるものでした。
調査員が納得できるような話をするパイを描く意味というのは、なんなのだろうと。
で、思い至ったわけです。
これはあとにパイが語った物語が真実で、その前の物語はパイがその事実を彼自身が解釈・咀嚼するために自らが作り出した物語であるのだと。
人を食う浮き島というのは相当にファンタジックで、さらにそこにいたというミーアキャットですが、本来はアフリカのサバンナに生息する生き物であり、太平洋に浮かぶ島にいるわけがないということから、漂流物語自体は実際の出来事ではないと考えられます。
またパイの話を聞く作家が指摘するように、トラとの漂流物語と、その後に語られる物語の登場人物は、対応しています。
つまりトラとの漂流記は、パイが過酷な出来事・無慈悲な世界に対してどう向き合っていいかわからなくなり、生み出した物語であると言えると思いました。
突然の船の沈没により父と兄を失い、さらには人間の動物的な悪に触れおののき、そして母までも失ってしまう。
それにより自分の中にわき上がった悪によって自分も動物のように行動した。
パイは一人になったとき、その事実に戦慄したのでしょう。
どうしてこんなことになったんだ、どうしてこういうことが起こってしまったのだと。
船が沈むこと、動物が生きるために行動すること、唯物論的な考えではそのこと自体には「神の意志」のようなものはないのです。
でも人はそういった絶望的な境遇の中で、そのことに意味を見いださざるを得ない。
なにか意味がなくては自分と世界の接続が切れ、そのことによりさらに絶望的に感じてしまうからです。
だからこそ人は出来事に意味を求め、物語る。
世界の中に神を見いだす。
物語り、神を作ることにより世界との繋がりを感じる。
そうでないと世界はあまりに無慈悲で圧倒的だから。

観る前に想像していたのと全然違う感触で、またその感触も観ていくなかで変わっていくという不思議な印象をもった作品でした。
観る作品の中に意味や意図を見いだそうとするスタイルが僕自身にもあり、まさに本作のように人が本来にはただあるだけの出来事や世界に意味を見いだそうとすることと同じことなのだなと思いました。
そういう人の性(さが)を描こうとする意味があるのではないかと、この物語を読む自分自身も人間とての業があるなと感じたりもしました。

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2013年2月 3日 (日)

「アウトロー」 アクションではなくミステリー

予告を観たときは、アクションものかと思っていたのですが、いい意味で裏切られました。
確かにアクションはあるのですけれど、「ミッション・インポッシブル」のようなアクションメインの作品ではなくて、どちらかと言えばミステリー。
主人公の感じから言ってハードボイルドミステリーって言ってもいいかもしれませんね。
原題は「JACK REACHER」で、これは主人公の名前そのもの。
だいたい主人公の名前がタイトルの映画って、日本ではよくわからない邦題に替えられてしまいますよね。
ま、名前だとわかりにくいっていうのはわかりますけれど。
「アウトロー」もちょっと微妙な感じかな、少し古くさい感じがしますね。
作品自体は良いと思ったので、もう少しセンスのいい感じのタイトルをつけてくれればよかったのにと思いました。
本作はミステリーと書きましたが、冒頭発生する無差別発砲事件、その犯人はすぐに確保されますが、彼は本当に犯人なのか?というのが本作の謎。
リーチャーは元軍の捜査官であり、彼がその事件に関わる中で次第に事件の謎が明らかになっていきます。
予告編だとリーチャーは、アクションヒーローのような印象をもたせますが、本編を観ると非常に頭脳が優れた名探偵役であることがわかります。
誰も見逃してしまうようなちょっとした証拠、不自然さをリーチャーは気づき、事件の謎を解き明かしていきます。
この謎解きは、まさにミステリーです。
監督はクリストファー・マッカリーという方。
名前はよく知りませんでしたが、経歴を見てみると「ユージュアル・サスペクツ」の脚本を書いた方でした。
なるほど〜、こういう作品を手がけるのにはピッタリですね。
トム・クルーズという人は俳優としてだけではなく、けっこうプロデューサーとしての才覚もあると思っているのですが、こういう人選にも彼のセンスの良さを感じます。
ジャック・リーチャーというキャラクターも、予告を観るだけだとイーサン・ハントをかぶってしまうのでどうだろう?と思ったのですが、上で書いたようにどちらかと言えば、体も動かせるハードボイルド探偵といった感じでタイプが違いますね。
このあたり、自分のキャラクター選びもトム・クルーズの自己プロデュースのセンスでしょう。
こちらの作品はシリーズ化されるのですかね?
けっこういいシリーズになりそうな気がします。
流れ者ですから、トム・クルーズ以外のキャストは毎回変えられるし、スケジュール調整などのシリーズ化のハードルも低いですしね。
このあたりもプロデューサー、トム・クルーズのセンスかな?

リーチャーの助っ人に入ったおじさん、ロバード・デュバルでしたね。
トム・クルーズとは「デイズ・オブ・サンダー」以来の共演かな。
久しぶりに昔話などしたのですかね。

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2013年2月 2日 (土)

「ベルセルク 黄金時代篇III 降臨」 因縁の二人

ダーク・ファンタジーコミック「ベルセルク」の映画化シリーズの3作目です。
原作コミックは映画1作目の「覇王の卵」を観た後から読み始め、「ドルドレイ攻略」公開時にはコミックも同じくらいのところを読んでいて、本作「降臨」を観た現在は、ちょうどコミックでも「蝕」の場面を読んだところでした。
ですので、ガッツやグリフィス、キャスカに過酷な運命が訪れるのはわかっていたわけで、本作については観たいような観たくないような気持ちもありました。
原作ままに描くと相当にハードな内容になるとは思っていたので、ある程度柔らかくするかと思いもしましたが、映画のほうもしっかりとそのハードさを描いていましたね。
ここに「ベルセルク」の真髄があるとわかっているからでしょう。
基本的に本作はガッツ、グリフィス、キャスカに焦点を絞っており、コミックであったグリフィス救出のエピソードなどはバッサリと切っていましたね。
映画化するにあたっては適切な判断であったと思います。

前作「ドルドレイ攻略」のレビューにつけたタイトルは「喪失」でした。
グリフィスは唯一友と呼べるかもしれないガッツを失い、それで自暴自棄とも言える行動をとります。
その結果、彼はすべてを失ってしまいました。
そもそもグリフィスは、少年の頃から輝かしい場所を求め、それのためであればどんな犠牲をも厭わない男であったのでした。
人を惹き付ける魅力を持ち、そしてまた才覚に優れたグリフィスですから、その周囲には引きつけられるように人が集まってきましたが、彼自身はそれらの人々に対し心を許していなかったのかもしれません。
いずれにせよ、それらの人々を捨てる日がくることをグリフィスは予感していたのでしょう。
当初、ガッツに対してもグリフィスはそのように駒の一つとして扱ってきました。
しかしいつしかグリフィス自身がガッツという男に魅せられるようになったのかもしれません。
すべてを失ってしまったとき、グリフィスは何を考えていたのでしょうか。
自分では身動きができないまま、孤独な牢で。
すべてを犠牲にしても、輝かしい場所に登っていくつもりであった自分が、ガッツを失ったことにより揺れ動いた。
そのこと自体を後悔したのでしょうか。
そのことによりガッツを恨んだのでしょうか。
ガッツやキャスカに救出されたとき、グリフィスは何を考えたのでしょうか。
ガッツは己が失ってしまった健康な肉体を持っている。
そしてまた自分に対して憧れを持っていたキャスカ(おそらくそれはグリフィスも自覚していたことでしょう)の気持ちを手に入れたガッツ。
それを不自由な肉体を横たえたまま、怪しく光る目でグリフィスはどのように見ていたのでしょうか。
グリフィスの中では、ガッツに対しての妬みのような気持ちがあったのかもしれません。
自分が失ってしまったものを持っているガッツ。
そしてまたそのような妬みの心を持ってしまった自分自身にも戦慄したのかもしれません、あまりに誇り高いグリフィスという男は。
動けない体の中で妬みという業火に彼自身は焼かれるおもいだったのではないかと思います。
そんな自分自身を消し去ってしまいたいとも思ったと思いますが、すでに自分でどうすることもできないほどに彼の体は憔悴していたのです。
「蝕」の時が来て、ガッツが自分に触れようとしたとき、グリフィスは心の中で叫びます。
「俺に触れるな、お前に触れられたら、二度とお前を・・・」と。
グリフィスは自分の中にある最も人間らしい弱いところを消し去ってしまいたいと思ったのかもしれません。
そしてそのような気持ちにさせるすべてのものも。
己の心の弱いところにおののくくらいならば。
仲間も、人間らしい心も。
消してしまいたい、と。

グリフィスは再び屍を越えていく道を選びました。
その道は彼の求めた道であったのでしょうか。
すでにそういうことを考える気持ちすら彼は失ってしまったのでしょうか。
そしてガッツは。
彼もまたすべてを失いました。
友も、愛する人も、仲間も。
それを失わせたのは、その友自身です。
ガッツとグリフィスはまさに因縁の二人となりました。
彼らの運命は今後どのようになっていくのでしょうか・・・。

映画はしばらく作られないのかな?
この先はまずはコミックで追いかけていくことにしましょう。

「ベルセルク 黄金時代篇II ドルドレイ攻略」の記事はこちら→
「ベルセルク 黄金時代篇I 覇王の卵」の記事はこちら→

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「秘密戦隊ゴレンジャー」 基本フォーマットを最初から確立

現在も続く「スーパー戦隊シリーズ」の第一弾と位置づけられる、日本特撮史上でもエポックメイキングな作品です。
ちょうどオンエアされていた頃は、小学生で夢中になって観ていた記憶があります。
ひまさえあればスーパーのチラシの裏などにゴレンジャーのイラストを落書きしていたような・・・。
昨年の「スーパー戦隊シリーズ」の「海賊戦隊ゴーカイジャー」で過去のスーパー戦隊を総括していたので、「秘密戦隊ゴレンジャー」を見直し始めました。
結局2年がかりとなってしまいましたが、もともとこの作品は2年にも渡るシリーズであったため、いたしかたがないかなと。
改めて観てみて驚くのは、今の「スーパー戦隊シリーズ」まで連綿と続くフォーマットがすでにこの作品で確立していたということですね。
数人の戦士がチームを組んで悪と戦う、それらの戦士は赤や青や黄色などのカラフルなテーマカラーがあるというのは、もう「ゴレンジャー」で確立しているのです。
それまでの日本のヒーローというと、「ウルトラマン」にせよ、「仮面ライダー」にせよ、特別なイベント回でない限り一人というのが基本でした。
それを複数のメンバーがチームで戦うというのは、画期的ではありました。
このフォーマットはひとつのスタイルとして確立し、その後パロディを含め様々な作品に影響を与えていくことになります。
「スーパー戦隊シリーズ」と言えば、いわゆる「名乗り」があります。
怪人と戦う前に一人ずつ名乗っていくというシーンです。
「ゴレンジャー」で言えば、「アカレンジャー!」「アオレンジャー!」「キレンジャー!」「モモレンジャー!」「ミドレンジャー!」「五人揃ってゴレンジャー!」というアレです。
これについては作品によっては強弱あれど、今までもずっと続いてきているお約束シーンですよね。
もともと「五人揃ってゴレンジャー」というところで、五人が左掌を大きく広げポーズを決めるものでした。
当時スーツアクターをしていたのは、仮面ライダーシリーズと同様に大野剣友会でしたが、このポーズは歌舞伎の白浪五人男からとったというのは有名な話です。
まさに歌舞伎の「名乗り」であったわけですね。
その後終盤になってスーツアクターは大野剣友会からジャパンアクションクラブ(現ジャパンアクションエンタープライズ)になりますが、そこで名乗りのポーズも変わっています。
このポーズは現在の「スーパー戦隊シリーズ」に影響を与えていますね。
ちなみにジャパンアクションクラブになってから「ゴレンジャー」のアクションシーンは明らかに変化があります。
やはり殺陣主体であった大野剣友会から、器械体操などを取り入れたジャパンアクションクラブになったことにより、立体的なアクションが増えたかと思います。
このあたりの傾向は現在の「仮面ライダー」シリーズ、「スーパー戦隊」シリーズにも影響がありますね。
お話自体は、現在の目線からするとたわいもない話だったりします。
ただ全部観てみると、シリアスな回もあれば、かなりコメディタッチの回もあり、バラエティに富んだ話になっているなと思いました。
現在の「スーパー戦隊シリーズ」も「仮面ライダー」に比べると振り幅が比較的大きいですが、そういうところは最初からあったのですね。
また5人の戦士の色が違うということと合わせ、それぞれのキャラクターも個性があり、それぞれのキャラの主役回があるというのも「ゴレンジャー」の時から確立していました。
改めて観てみて、ほんとにこの作品はその後の「スーパー戦隊シリーズ」の基本フォーマットを最初から確立できていたのだなと感心するばかりです。

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