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2012年12月23日 (日)

「平清盛」 視聴率だけでは計れない

12年のNHK大河ドラマ「平清盛」を観終えました。
世間的には視聴率低迷と言われていますが、個人的にはよくできている作品だと思っています。
視聴率低迷の原因はいろいろと取りざたされています。
画面が汚い云々も言われていますね。
今回の大河ドラマの舞台となる関西のどこかの首長が放送が始まったときに、「汚い」と言っていたのを聞いたことがあります(観光地として心配だったのでしょうが、余計なお世話です)。
こちらについては甚だ見当違いと言っていい意見だと思います。
2010年の大河ドラマ「龍馬伝」も当初画面が汚いという意見がありました(このときも三菱関係者が岩崎弥太郎が汚いと言っていた)。
しかし、この作品は最近のNHK大河ドラマのなかでも高評価を受けました。
画面が汚らしいというのは、その時代のリアルな描写をしようとする制作者側の意図です。
それを理解せずして、それが視聴率低迷の原因とするのは間違っているように思います。
今回視聴率が低いのは、本作が取り扱った時代というのが、今の日本人にとって馴染みのない時代であったというのが一番の理由であったと僕は思います。
戦国時代や幕末というのは、日本において時代が大きく変わるエポックな時であり、その時代を舞台にした映画やテレビ番組が多く作られました。
ですので視聴者にとってお馴染みの時代なのです。
しかし本作が舞台とする平安末期というのはあまり取り上げられることはありません。
「平家物語」を読んだことがなく、本作に登場する人物を知らない人も多いことでしょう。
特に本作には登場する人物が多く、また時代に馴染めず、観ることを止めた人が多かったのではなかったかと思います。
けれども僕はこの時代を描こうとした本作の制作者のチャレンジには敬意を表したいと思っています。
僕も以前吉川英治の「新平家物語」を読んだだけで、この時代に馴染みがあったわけではありません。
しかし、本作を通じ、この時代が戦国時代、幕末に負けず劣らず、時代が大きく変わるときであったということを再認識しました。
一昔前、幕末ものは当たらないと言われた時がありました。
けれどもテレビや映画で取り上げられる中で、ようやく一般的にも認知が広がりそれが「龍馬伝」のヒットなどに繋がっていったのだと思います。
NHKにおいては、視聴率低迷で臆することなく、こういった視聴者にとって新しい時代を描くことを怯まずやっていってほしいと思います。
そういうことができるのは民放では無理で、NHKならではだと思います。

「龍馬伝」の話をしましたが、本作「平清盛」を観て、時代が変わろうとしているときの感じが、幕末期と平安末期というのが似ていると思いました。
そして坂本龍馬と、平清盛の目指したところも。
坂本龍馬は、国を開き、また身分の差をなくし自由な国を作ろうとしたわけですね。
新しい世を作ろうとしたわけです。
そして本作で描かれる平清盛も「武士の世」を作ろうとする。
清盛は宋との交易を望み、そして「王家の犬」と言われた武士の身分を上げようと苦闘するわけです。
そういう意味で、龍馬と清盛というのは共通点があると思いました。
おそらく制作者側にもそういう意図はあったと思います。
リアルな描写、また撮り方、演出方法は「龍馬伝」に通じるものがありました。
違う点と言えば、龍馬は志し半ばで倒れ、清盛は大往生を遂げたというところでしょう。
清盛は権力の座を上がっていくのに従い、だんだんと変わっていきますが、それこそ「平家物語」の冒頭のにある「おごれる人も久しからずただ春の夜の夢のごとし」だと思います。
龍馬は途中で倒れたことにより、美化されたところもあったかもしれません。
清盛は生き抜いたことにより、その存在がその後の時代から悪いイメージがつけられたようにも感じます。
時代を新しくするには、それまでの仕組みを壊さなくてはいけません。
龍馬にしても清盛にしても、それまでの世の仕組みを変えた。
しかし、仕組みの破壊者はやはり、多くの者から恨まれ厭まれるのです。
明治の志士たちで、新政府に加わった者たちの多くがその後命を落としています。
西郷隆盛にしろ、大久保利通にしろ、やはり仕組みの破壊者として恨まれたわけです。
もし龍馬が生きていても、結果的には同じようになってしまったかもしれません。
彼にはそれが早く訪れたのでしょう。
平清盛も仕組みを破壊するところまでは成し遂げた。
そして新しい仕組みを作るのは、別の人物源頼朝に委ねられるのです。
時代というのはそういうものかもしれません。
世の仕組みを破壊する者がいて、そしてそこから新しい仕組みを作る者がいる。
まさに「諸行無常」なのかもしれません。
このあたりの考えはやはり元々より制作者にはあったと思います。
源頼朝を本作の語りとした点にその意図は感じます。
このあたりは「龍馬伝」で語りを岩崎弥太郎にしたのに通じるものがあります。
敵対する者でありながらも、その志を引き継ぐものであるという点において。
双六であったり、歌といったモチーフ、そして西行などの人物の設定などもかなり計算されていたかなと思います。
西行については諸国を歩くということで、あの時代なかなか横の繋がりが考えられなかった中で、登場人物を繋ぐ役割をうまく担わせたと思います。
また清盛の父である白河法皇のキャラクター設定も良かった。
若かりし清盛は母を彼に殺され、「もののけ」と言われる彼を越えるために、「おもしろきこと」をしていこうと考えます。
彼の行動の力は白河法皇を源泉にしているとも言っていいと思います。
結果的に晩年の清盛がまさに「もののけ」のようになってしまうのは、歴史の皮肉かもしれません。
また終世清盛と双六遊びを続けた後白河法皇の存在も大きかった。
晩年は彼との丁々発止のやり取りが、清盛の力になっていたように思います。
そのようなことから脚本もかなり考えられたものになっていたと僕は考えています。

主人公平清盛を演じた松山ケンイチさんも良かったかなと。
大河ドラマの主人公というのは、若いときから老いたときまで演じなくてはいけないため、演技の幅が必要とされます。
この点については申し分なかったかと思います。
あとは先ほどキーのキャラクターとして上げた白河法皇の伊東四朗さんも良かったですね。
憎々しいほどに。
同じように憎々しさでいったら後白河法皇の松田翔太さんも素晴らしかった。
松田翔太さんは「篤姫」のときの家茂とはうってかわった感じ。
松山ケンイチさんと同様に幅の広さを感じさせてくれました。

このように全般的に、世間で言われているほど「平清盛」は悪い作品ではないように僕は思っています。
少なくとも昨年の「江 〜姫たちの戦国〜」よりは面白かったかと。
そういう意味で僕の個人的なNHK大河ドラマの法則(1年おきにおもしろい作品になる)というのはまだ生きています。

11年NHK大河ドラマ「江 〜姫たちの戦国〜」の記事はこちら→

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受信: 2012年12月31日 (月) 16時51分

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