« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月30日 (日)

本 「ぼくらは都市を愛していた」

神林長平という作家は、以前より言葉もしくは情報というものについて非常に重きをおいて作品を書いてきています。
というより、この方の作家のテーマそのものと言ってもいいかもしれません。
そしてそれは何故人が人であるのかという問いに直結します。
人は自分の周囲にある世界を世界として認識し、そして自分の意識を自分として認識します。
世界を認識するには、世界の情報を受け取り、それを自分の脳内で認識することによってなされます。
また自分を意識するのは、自分が発する自己認識の言葉によるものでしょう。
つまりは世界も、自分も認識するには、情報や言葉というものが必要なわけです。
そうでなければ、認識できない。
認識できないものは存在するのかどうか実はわからない。
認識できなければ存在しないのと同じなのではないか。
神林作品においては、情報や言葉がある種の力(破壊力をもった兵器など)を持って描かれることが多いのですよね(「戦闘妖精 雪風」など)。
情報や言葉は目に見えないものではありますが、それ自体を破壊されると、人の世界認識をも危うくするものでもあるわけです。
その力をわかりやすくする表現するために、神林さんは情報や言葉について兵器などでメタファとして使っているように思います。
人は自分が受け取った情報でしか、世界を認識できない。
それが本作では二卵性双生児であった二人の姉弟が、それぞれが認識しているが異なり、しかしまた重なり合うトウキョウとして描かれます。
このあたりの描き方は神林作品の真骨頂というべきところ。
情報をある種の実在感のあるものとして描くのは、一頃のサイバーパンクや、「マトリックス」等の映画にもみられますが、神林長平さんの作品はそれらとはちょっと違う。
やはりそこには情報だけでなく、言葉というものがあるからなんでしょうね。
言葉というものには人の想いが入っている。
情報はただの世界認識のためのものですが、言葉となるとそこに人の解釈、想いがはいってくる。
その想いこそが人を人たらしめているものであり、その人が都市を駆動するエネルギーであるわけです。
都市は物理的なメカニックであるだけでなく、人の想いが集積するところ。
人の想いがなければ都市は駆動しない。
冒頭に書いたように、神林長平という作家は情報や言葉について書いてきた人です。
本作はその点において集大成的な感じを受けました。
決して読みやすい作品ではないのですが、そこには人への想いといったものが感じられる作品です。

「ぼくらは都市を愛していた」神林長平著 朝日新聞出版 ハードカバー ISBN978-4-02-250895-9

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年を振り返って<映画>

さて年末も押し迫ってきましたので、例年通りに今年の鑑賞作品の振り返りを行いたいと思います。
今年の観賞本数は111本で、けっこう頑張って観に行ったつもりですが、昨年の107本とそれほど変わらないですね。
だいたいこのくらいが年間で観賞する本数の限界でしょうか。
さて今年のベスト10を発表してみましょう。
この何年かは「圧倒的に1位はこれ!」というのがあったのですが、今年はそういうのがなく、けっこう悩みました。
ですので一応順位はつけていますが、かなり僅差であったと思ってください。

1.「桐島、部活やめるってよ」
2.「麒麟の翼~劇場版・新参者~」
3.「るろうに剣心」
4.「メランコリア」
5.「007 スカイフォール」
6.「ダークナイト ライジング」
7.「ドラゴン・タトゥーの女」
8.「ヒューゴの不思議な発明」
9.「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
10.「テルマエ・ロマエ」

1位は「桐島、部活やめるってよ」です。
これはもう構成の見事さでしょうね。
ある出来事をいくつかの視点で描き、それらが屋上でのシーンに収斂していくところの見事さったら!
中学生でもなく、大学生でもなく、高校生ならではの感覚。
なんとなく世の中がわかりかけてきていて「こんなもんなのかな」と思ってしまう感じ。
このようなかつて味わった感じのようなものを思い出させられた作品でした。

2位は「麒麟の翼~劇場版・新参者~」。
これはテレビシリーズ未見で観賞した映画です(その後、テレビシリーズは全部観ました)。
主人公である加賀は刑事ですから、事件を解決するというのが仕事ですが、彼の場合はその事件の背後にある人の真情というのも解きほぐしていきます。
加賀によって、人々の通じなかった想い、通じてほしい想いが、伝わっていくのに涙しました。

3位は「るろうに剣心」です。
これは日本のエンターテイメント映画の可能性を感じさせてくれる作品でした。
これだったらハリウッドのエンタメ映画と戦える感じがしましたね。
今までに見たことがないスピーディな殺陣は目を見張るほど。
また剣心役の佐藤健さんもはまり役でした。
「ハゲタカ」「龍馬伝」の大友監督さすがです。
来年の「プラチナデータ」にも期待したいです。

4位は「メランコリア」。
これをベスト10に入れてくる人はあまりいないのではないでしょうか。
鬼才ラース・フォン・トリアーの作品です。
ストーリーがどうのというより、映像と音楽とよって伝わってくるテーマ、考えるのではなく感じるという感じで、なぜか魂が揺さぶられました。
昨年の「ツリー・オブ・ライフ」と同じような感覚ですね。
こういう映画もアリです。

5位は現在も公開中の「007 スカイフォール」です。
長年続くシリーズというのはマンネリに陥りやすいものですが、ダニエル・クレイグの代になり、「007」シリーズは大きく変化をしました。
変わったばかりの頃は、「007」のボーン化のようにも言われましたが(自分か)、3作目にして新しい「007」シリーズは確立したと思っていいでしょう。
そしてそれに安易に胡座をかくのではなく、さらに変わっていこうとする意志が今回のMのエピソードからも伝わってきます。

6位「ダークナイト ライジング」
すごい作品なのですよ、この作品は。
シリーズ3作品を高いテンションで続け、そしてまたしっかりと物語に決着をつけるというのはなかなかできるものではありません。
じゃ、なぜこの順位なのかと。
やはり前作の「ダークナイト」の衝撃が強すぎたから、なんですよね。

7位は「ドラゴン・タトゥーの女」
これはデビット・フィンチャーの映像センスが最初から最後まで堪能できるというところでしょう。
映像としては陰鬱としていながらも、なぜかシャープ。
物語としてもずっと危険な予感、緊張感が続きます。
この映像と物語がシンクロしている感じがいい。
「セブン」のフィンシャーなので、何をしでかすかわからない緊張感が良いのですよね。
予告篇は今年のNo.1の出来だったと思います。

8位は「ヒューゴの不思議な発明」
予告で観たときの印象と違っていた作品。
スコセッシがファンタジー映画なんて、と思ったのですが、蓋を開けてみると映画愛に溢れた作品になっていました。
映画愛といえばアカデミー賞をとった「アーティスト」もありましたが、僕はこちらのほうが好き。

9位は「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
ようやく9.11にアメリカも整理をして向かい合えるようになったのかもしれません。
そしてこの物語で語られる話は3.11を経た日本にも通じるものがあります。
理不尽なことは起こってしまう。
そしてどうしようもない悲しみも。
でもそこから再生していかなくてはいけない、少年のそのプロセスに心うたれます。

10位は「テルマエ・ロマエ」
ばかばかしくテーマながら、手を抜かずに大真面目に作ると面白いという作品。
阿部ちゃんは「麒麟の翼」とこの作品がランクイン。
ローマ人に阿部ちゃんを起用したところでこの作品の勝利は約束されたようなもの。
市川正親さんはこの作品のテオドシウス、そして「のぼうの城」の豊臣秀吉と、天下人の役柄が続いていますね。

例年、印象が強いので後半の作品が多く入りがちなのですが、今回は前半の作品が多いですね。
正直2012年の後半の作品は「これは!」というのが少なかったような感じがします。
昨年に比べて邦画が多く入っていますね。
あと巨匠の作品も多いかな。

恒例ですので、ワースト5も。
順位はつけてませんが、なかでも「月光ノ仮面」は一番良くないと思います。
「月光ノ仮面」
「英雄の証明」
「おかえり、はやぶさ」
「ジョン・カーター」
「エイトレンジャー」

偶然にも「月光ノ仮面」と「英雄の証明」は主演監督作品ですね。
どうも客観的に演出できていないのではなかろうか。
「おかえり、はやぶさ」は3社が同じ企画だったので厳しいところもあったかもしれないですが、もう少しいろいろ考えてもよかったんじゃないと。
「ジョン・カーター」はハリウッドにありがちな、超大作の大失敗パターン。
「エイトレンジャー」は映画とは呼べない。
どうした堤さん?

来年はどんな映画に出会えるでしょうか?
では、また!

| | コメント (30) | トラックバック (75)

2012年12月29日 (土)

「大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]」 役割ではなく自分自身を

二宮和也さん、柴咲コウさん主演の前作の「大奥」は酷評したので、この作品は観ようかどうしようか迷っていたのですが。
観てみた感想としては、今回は意外と良かったです。
前作は将軍が吉宗の時代でしたが、本作はそれよりも前の綱吉の時代となっています。
「男女逆転」という設定はそのままに、前作の前の時代を描いているということです。
前作を酷評したのは、「薄っぺらさ」を非常に感じたからでした。
このシリーズの「男女逆転」という基本設定は、もともと非常にフィクション性の高いものです。
ですから画面やドラマの作りが薄っぺらいとその基本設定自体が、とても嘘くさく、安っぽく感じられてしまうのです。
そういう状態だったのが前作でした。
そして本作ですが、物語自体がかなり大人寄りになったということ、そして登場人物に演技が巧みなベテランを配したことにより、前作のような薄っぺらく感じてしまうことを防いでいます。
物語は基本的にはメロドラマであり、これも安っぽくなる危険性を孕んでいるのですが、この点についても演技者の存在感で救われています。
その点においてやはり本作は菅野美穂さんの存在感が大きかったかなと。
役柄的には少女時代から老女時代までを演じなくてはいけないということ、また濡れ場的なシーンも多いといこともあり、その辺の若手女優では務まらないかなと思いました。
本作で菅野さんが演じる綱吉については、彼女の時間の経過を表現することに意味があるので、そういう点で思い切りのいる役であったと思います。

人というのはその人個人ではなく役割でいろいろなことを期待されてしまうものです。
それは仕事上の役職であったり、性別であったり。
本作においての綱吉という人物は、将軍という役職であるということ、そしてまた子供を産む女であるということにおいて、周囲から大きな期待、そしてプレッシャーを感じながら生きているのです。
その期待やプレッシャーというのは、綱吉という人物ではなく、将軍そして女であるという立場に対するものなんですね。
特に綱吉は世継ぎを失ったため、子を産むという機能を持つ「女」として期待されるわけです。
彼女自身を愛しているのは、実の父親である桂昌院であり、また幼馴染である吉保だけなのです。
二人にしても大奥の中での権力争いの中、やはり綱吉を女であり、将軍でありといった「機能」だけで見ることあるわけですね。
「役割」を全うするために夜な夜な彼女は男に抱かれるわけですが、そこには愛はありません。
まさに求められているのは「機能」のみなんですね。
誰も自分自身を見てくれていないという、孤独感を綱吉は味わっていたに違いありません。
そしてまた綱吉の相手役となる右衛門介も同じように京都時代は男子しての「機能」を期待され、それにより家族を養っていたわけです。
彼は同じ境遇である綱吉に惹かれるわけですね。
けれども右衛門介自身も男子としての「機能」だけで評価をされるのには嫌気があったのかもしれません。
大奥という場において、美貌などではなく、自分の才覚でのし上がり、最高の座に居続ける、それこそが自分自身を評価されることだと思っていたのかもしれません。
惹かれてはいても、綱吉の相手となってしまった時にはその「機能」だけで評価されることになってしまうかもしれないという恐れがあったように思います。
そして出会ってから何十年もの時を経て、初めて二人は結ばれます。
二人は初めて、相手自身を愛し、自分自身を愛されるという至福の時を持つことができたわけですね。
ひとときであろうと、それは永遠に値するということなのかもしれません。

前作「大奥」の記事はこちら→

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (19)

2012年12月23日 (日)

「ダイ・ハード2」 やはり孤軍奮闘

クリスマス・シーズンになると観たくなるのが本作「ダイ・ハード2」。
シリーズ新作の「ダイ・ハード/ラスト・デイ」の予告編も劇場でかかり始めましたし。
ジョン・マクレーン役のブルース・ウィルスは最近は髪の毛がない状態がデフォルトの印象だったので、久しぶりに本作を観ると「まだ、フサフサじゃ〜ん」と思ってしまいますね(笑)。
1作目の「ダイ・ハード」は傑作だと思っていますが、この手の映画はだいたいシリーズ化するとレベルダウンしていくものです。
「ダイ・ハード」シリーズについては、3作目でやはりそういう感じになってしまったのですが、本作「ダイ・ハード2」は1作目をいい感じで踏襲しつつも、スケールアップして面白くなった珍しい例ですね。
前作より踏襲している点は
1.マクレーンはまたもや偶然に事件に巻き込まれてしまう。
2.限定空間で、人質をとられ、相手の正体がよくわからないままの状態で戦う。
ですね。
1がジョン・マクレーンがキャラクターとして確立することに強く影響を与えている気がします。
マクレーンがそれまでのマッチョ系ヒーローと異なることについては1作目の「ダイ・ハード」の記事で書いたのですが、それまでのマッチョ系より実感しやすい(共感しやすい)キャラクターとなっているのですよね。
本作でも「なんで俺ばっかりこんな目にあうんだよ」的なぼやきを連発しています。
マクレーンと言えばこの「ぼやき」なんですが、そのイメージが確立したのはこの2作目だと思うんですよね。
この「ぼやき」がマクレーンを身近な存在に感じさせてくれます。
あと2つめの限定空間の戦いが本作では1作目よりスケールアップしています。
1作目はご存知の通り、ナカトミビル内での戦いでしたが、本作では雪で閉ざされた国際空港となっています。
厳密に言うと限定空間ではありませんが、他に移動しにくいという意味で、そう言ってさしつかえないでしょう。
限定空間の意味あいというのは何かというと、マクレーンは外からの援護を受けることはできず、自分の知恵と体力を事態を打開しなくてはいけないということですね。
本作では援護をする者がいますが、空港警備隊は早々にご退場しますし、あとからやってくる部隊はアレですし、マクレーンが孤軍奮闘というのは変わりません。
この孤軍奮闘というのが「ダイ・ハード」シリーズの醍醐味のような気がします(だから3作目は「らしく」ないのだと思う)。
人質をとられているとか、相手の正体がわからないというのもマクレーンが孤軍奮闘しなくてはいけないことに結びついていると思います。
こういう「ダイ・ハード」らしさはしっかりと担保しつつ、映画としてのスケールをアップさせているというのが、「ダイ・ハード2」がよくできているポイントかなと思います。
改めて観てみると、無駄なところもなく、それぞれのシーンがその先へうまく繋がっていて、脚本としてもうまく構成されていると思うんですよね。
ポケベルとか、飛行機からの電話とか小道具も上手く使ってます。
そうそうポケベルなんですよね〜、この時代。
今だったらスマートフォンってところかと思うので、今の若い人が観たら「古っ!」とか思うのでしょうか。
ホリーの隣に座ってたおばあちゃんが飛行機からの電話について「Technology is wonderful」と言っていますが、今だったらもっとスゴいことになっていますよね。
とは言いつつ飛行機の中に無線機持ち込みは今じゃ無理だろとかね。
いろいろ時代を感じさせるところなどもあったりします。
ということで今の人が観るとどんな感想を持つか知りたかったりもしますが、楽しめる作品だと思うんですけどね。

「ダイ・ハード」の記事はこちら→
「ダイ・ハード3」の記事はこちら→
「ダイ・ハード4.0」の記事はこちら→

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「平清盛」 視聴率だけでは計れない

12年のNHK大河ドラマ「平清盛」を観終えました。
世間的には視聴率低迷と言われていますが、個人的にはよくできている作品だと思っています。
視聴率低迷の原因はいろいろと取りざたされています。
画面が汚い云々も言われていますね。
今回の大河ドラマの舞台となる関西のどこかの首長が放送が始まったときに、「汚い」と言っていたのを聞いたことがあります(観光地として心配だったのでしょうが、余計なお世話です)。
こちらについては甚だ見当違いと言っていい意見だと思います。
2010年の大河ドラマ「龍馬伝」も当初画面が汚いという意見がありました(このときも三菱関係者が岩崎弥太郎が汚いと言っていた)。
しかし、この作品は最近のNHK大河ドラマのなかでも高評価を受けました。
画面が汚らしいというのは、その時代のリアルな描写をしようとする制作者側の意図です。
それを理解せずして、それが視聴率低迷の原因とするのは間違っているように思います。
今回視聴率が低いのは、本作が取り扱った時代というのが、今の日本人にとって馴染みのない時代であったというのが一番の理由であったと僕は思います。
戦国時代や幕末というのは、日本において時代が大きく変わるエポックな時であり、その時代を舞台にした映画やテレビ番組が多く作られました。
ですので視聴者にとってお馴染みの時代なのです。
しかし本作が舞台とする平安末期というのはあまり取り上げられることはありません。
「平家物語」を読んだことがなく、本作に登場する人物を知らない人も多いことでしょう。
特に本作には登場する人物が多く、また時代に馴染めず、観ることを止めた人が多かったのではなかったかと思います。
けれども僕はこの時代を描こうとした本作の制作者のチャレンジには敬意を表したいと思っています。
僕も以前吉川英治の「新平家物語」を読んだだけで、この時代に馴染みがあったわけではありません。
しかし、本作を通じ、この時代が戦国時代、幕末に負けず劣らず、時代が大きく変わるときであったということを再認識しました。
一昔前、幕末ものは当たらないと言われた時がありました。
けれどもテレビや映画で取り上げられる中で、ようやく一般的にも認知が広がりそれが「龍馬伝」のヒットなどに繋がっていったのだと思います。
NHKにおいては、視聴率低迷で臆することなく、こういった視聴者にとって新しい時代を描くことを怯まずやっていってほしいと思います。
そういうことができるのは民放では無理で、NHKならではだと思います。

「龍馬伝」の話をしましたが、本作「平清盛」を観て、時代が変わろうとしているときの感じが、幕末期と平安末期というのが似ていると思いました。
そして坂本龍馬と、平清盛の目指したところも。
坂本龍馬は、国を開き、また身分の差をなくし自由な国を作ろうとしたわけですね。
新しい世を作ろうとしたわけです。
そして本作で描かれる平清盛も「武士の世」を作ろうとする。
清盛は宋との交易を望み、そして「王家の犬」と言われた武士の身分を上げようと苦闘するわけです。
そういう意味で、龍馬と清盛というのは共通点があると思いました。
おそらく制作者側にもそういう意図はあったと思います。
リアルな描写、また撮り方、演出方法は「龍馬伝」に通じるものがありました。
違う点と言えば、龍馬は志し半ばで倒れ、清盛は大往生を遂げたというところでしょう。
清盛は権力の座を上がっていくのに従い、だんだんと変わっていきますが、それこそ「平家物語」の冒頭のにある「おごれる人も久しからずただ春の夜の夢のごとし」だと思います。
龍馬は途中で倒れたことにより、美化されたところもあったかもしれません。
清盛は生き抜いたことにより、その存在がその後の時代から悪いイメージがつけられたようにも感じます。
時代を新しくするには、それまでの仕組みを壊さなくてはいけません。
龍馬にしても清盛にしても、それまでの世の仕組みを変えた。
しかし、仕組みの破壊者はやはり、多くの者から恨まれ厭まれるのです。
明治の志士たちで、新政府に加わった者たちの多くがその後命を落としています。
西郷隆盛にしろ、大久保利通にしろ、やはり仕組みの破壊者として恨まれたわけです。
もし龍馬が生きていても、結果的には同じようになってしまったかもしれません。
彼にはそれが早く訪れたのでしょう。
平清盛も仕組みを破壊するところまでは成し遂げた。
そして新しい仕組みを作るのは、別の人物源頼朝に委ねられるのです。
時代というのはそういうものかもしれません。
世の仕組みを破壊する者がいて、そしてそこから新しい仕組みを作る者がいる。
まさに「諸行無常」なのかもしれません。
このあたりの考えはやはり元々より制作者にはあったと思います。
源頼朝を本作の語りとした点にその意図は感じます。
このあたりは「龍馬伝」で語りを岩崎弥太郎にしたのに通じるものがあります。
敵対する者でありながらも、その志を引き継ぐものであるという点において。
双六であったり、歌といったモチーフ、そして西行などの人物の設定などもかなり計算されていたかなと思います。
西行については諸国を歩くということで、あの時代なかなか横の繋がりが考えられなかった中で、登場人物を繋ぐ役割をうまく担わせたと思います。
また清盛の父である白河法皇のキャラクター設定も良かった。
若かりし清盛は母を彼に殺され、「もののけ」と言われる彼を越えるために、「おもしろきこと」をしていこうと考えます。
彼の行動の力は白河法皇を源泉にしているとも言っていいと思います。
結果的に晩年の清盛がまさに「もののけ」のようになってしまうのは、歴史の皮肉かもしれません。
また終世清盛と双六遊びを続けた後白河法皇の存在も大きかった。
晩年は彼との丁々発止のやり取りが、清盛の力になっていたように思います。
そのようなことから脚本もかなり考えられたものになっていたと僕は考えています。

主人公平清盛を演じた松山ケンイチさんも良かったかなと。
大河ドラマの主人公というのは、若いときから老いたときまで演じなくてはいけないため、演技の幅が必要とされます。
この点については申し分なかったかと思います。
あとは先ほどキーのキャラクターとして上げた白河法皇の伊東四朗さんも良かったですね。
憎々しいほどに。
同じように憎々しさでいったら後白河法皇の松田翔太さんも素晴らしかった。
松田翔太さんは「篤姫」のときの家茂とはうってかわった感じ。
松山ケンイチさんと同様に幅の広さを感じさせてくれました。

このように全般的に、世間で言われているほど「平清盛」は悪い作品ではないように僕は思っています。
少なくとも昨年の「江 〜姫たちの戦国〜」よりは面白かったかと。
そういう意味で僕の個人的なNHK大河ドラマの法則(1年おきにおもしろい作品になる)というのはまだ生きています。

11年NHK大河ドラマ「江 〜姫たちの戦国〜」の記事はこちら→

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「ONE PIECE FILM Z ワンピースフィルム ゼット」 揺るぎない信念

「ONE PIECE」は2年前までまったくコミックもアニメも見たことはありませんでした。
超売れていて、話題になっているのは知っていましたが、今更手をだすのもという感じでした。
また「少年ジャンプ」の人気漫画をずっと引き延ばしていく「ジャンプ」のスタイルもあまり好きではないというのもありました。
しかし2年前に同僚に無理矢理押し付けられるようにコミックを貸され読み始めたのですが、ものの見事にこれにハマり・・・、結局全巻を大人買いすることに。
連載が15年にも渡り続くってのは人気があることで、それは延命云々というより、やはり作品に力があるのだなあと感心した次第でした。
とはいえ、アニメの方はまったく観ていないので、今回の映画は観に行くかどうかちょっと悩んだんですよね。
コミックを読んでいると自分のイメージありますし、ちょっとイメージと違うとどうかと。
今更長く続くアニメのほうに入れるかなと思ったりしました。
結果的には、観てみたらそれは杞憂であるとわかりました。
キャラクターの声もまったく違和感がなかったですね。
やはり長年このキャラクターをやっている方たちばかりですし、また原作者の尾田栄一郎さんもかなり絡んでいるということから世界観がブレていないということかもしれません。

コミックの「ONE PIECE」の魅力というと、ある種のケレン味のようなところがあります。
原作では擬音でよく「ドン!!」とか「バン!!」とかいうものがでてきたり、けっこう大胆なコマ割りをしていて(コミックを読んでいる人はわかるはず)、押し出しの強いケレン味が出ています。
初期の頃は別にして、1ページあたりの情報量が多く、そしてけっこう誇張した表現が多いのも特徴だと思います。
本作を観て思ったのは、そういったコミックの「ONE PIECE」らしさというのはアニメにとても相性がいいなということです。
コミックではさきほど書いたような誇張表現(かなりパースが効いた画)や大胆なアングルは、アニメでは早いカメラワークやカット割りのようなものでうまく表現をしていたと思います。

お話のほうでの「ONE PIECE」の魅力と言えば、その登場人物たちが自分の信念に基づき、生きているというところが描かれているということでしょうか。
主人公ルフィはその最たるものですが、それ以外のキャラクターもその通り。
麦わらの一味のメンバーがルフィを心の底から信じるというのもそうですよね。
そしてまた敵方に位置するキャラクターもそういった信念を持っている者がコミックでも何人も登場しました。
その心意気同士がぶつかり合ったりするわけですが、そしてルフィは相手のそういうまっすぐさを素直に認め、受け入れるわけですよね。
そして仲間になる者もい、そして敵としても互いに認め合う関係になったりもする。
本作に登場する敵役であるゼットもまさに信念に基づき動く者なわけですね。
ゼットの志は揺るぎなく、そして比類できないほど強い。
彼は海賊を追う海軍の将軍でしたが、あることをきっかけに海軍を離脱し、ネオ海軍と称し独自に海賊を追い立てます。
「正義」を背負う海軍は、やはり様々な思惑がありつつ、その「正義」も素直には実行できない。
その枠からゼットは飛び出したわけです。
対し、海賊であるルフィたちというものはおのれの信念以外には何も縛られるものはありません。
思惑から自由になったゼットとルフィはそれぞれの信念に基づきぶつかり合うのです。
そこには肉体の強さ、心の強さの両方が求められます。
戦い合いますが、二人には信念に基づき行動するという共通点があります。
「ONE PIECE」の魅力というのは、ルフィや本作のゼットに象徴されるような信念を力にする登場人物が描かれていることなのでしょうね。
泣ける話が多いというのもそのせいかもしれません。
テレビのアニメも観てみようかな・・・。
あまりに膨大な量でちょっと躊躇しますが・・・。
チョッパーの「嬉しくないぞ、コノヤロー」が可愛くてちょっと萌え。

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (11)

2012年12月22日 (土)

本 「検察 -破綻した捜査モデル-」

検察という組織は報道などでその名前を聞くことはあっても、その組織がどのような役割でどのような仕組みになっているか明確に答えられる人というのは意外と少ないのではないかと思います。
かくいう自分もその一人。
最近、検察という組織に目を向けるきっかけとなったのが「終の信託」という映画。
この作品の後半で、検察の取り調べが描かれます。
周防監督ですので、しっかりとした下調べがあっての作品だと思いますので、このあたりの取り調べにはリアリティがあるのではないかと思います。
恐いなと思ったのは、検察官が自分の描いたストーリーに被疑者を導いていこうとする取り調べの仕方。
強い口調でののしったり、逆になだめるように言ってみたり。
そして調書というものは、まさに検察官が「作文」をして、それに被疑者にサインをさせるというやり方。
その調書は「私は・・・」と被疑者が一人称で語っている形式になっているので、これを読むと「自白」しているように聞こえるのですが、これは検察官が口述していうことを検察事務官がワープロでうっているのですよね。
そして取り調べは検察官、検察事務官、そして被疑者だけ。
そして拘留期間は10日間に及び(延長可)、そういった密室での取り調べですから、検察の「ストーリー」通りだと言ってしまう人も少なくないでしょう。
そして日本の裁判はこの「自白」がかなり偏重される文化となっていました(裁判員裁判で物的証拠の重要性が高まってきました)。
最近、検察という組織が注目されることがいくつかありました。
まず大阪地検特捜部の検事の証拠捏造事件がありました。
検事が証拠を捏造するなんていうことはあってはならないことです。
これが明るみにならなければ、厚生労働省の村木さんは有罪の可能性もあったわけですね。
まさに冤罪です。
検事は証拠捏造という意識はあったわけですから、罪深いです。
そして問題はそれをチェックできなかった検察組織のありようにあります。
刑が確定した検事の上司にあたる二名の検察官は裁判では有罪になりましたが、控訴中です。
証拠捏造の意図は知らなかったと言っていますが、逆に知らなかったら知らなかったで、それを見逃した祖組織のありようが問題になるわけです。
また小沢議員の政治資金規正法の件があります。
こちらについては先般の検察審査会を受けた起訴は棄却され無罪が確定しました。
が、その取り調べにおいて小沢議員の秘書に対しての取り調べについても検事が調書に事実と異なることを書いたことがわかっています。
この調書は証拠としては不採用となりました。
これらの事件でわかることは、検察という組織の中がまったく見えず、彼らの読みでの「ストーリー」に従って取り調べされているという事実です。
これで自分が当事者になったと考えると、とてもおそろしい気持ちになります。
これらの問題を受け、検察は取り調べの「見える化」を図ると表明していますが、現場の反対は強いようです。
そもそも現場が反対する理由がよくわからない。
なにもおかしなことをやっているのでなければ、「見える化」すればよろしい。
別に捜査の途中でそれを見せろと言っているわけではありません。
後で聞けばこのような取り調べを行ったと見えるようにすればよいだけのことです。
このように「見える化」を拒む意志が見えるところに国民が検察の後暗さを勘ぐってしまうというのを、自覚的になるべきでしょう。
裁判員裁判というのは、そういう意味で裁判所と検察の蜜月時代に終わりを告げさせ、物的証拠重視のスタイルになっていくきっかけになるかもしれません。
検察も国民が見ているという自覚をしっかりもって捜査をするべき時代になってきているということでしょう。

「検察 -破綻した捜査モデル-」村山治著 新潮社 新書 ISBN978-4-10-610481-7

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月21日 (金)

「ホビット 思いがけない冒険」 善なる者の象徴

J.R.R.トールキン作の「指輪物語」の前日譚となるのが、「ホビットの冒険」。
それを「指輪物語」の映画化作品である「ロード・オブ・ザ・リング」の監督ピーター・ジャクソンが、「ホビットの冒険」を3部作で映画化します。
その1作目が本作「ホビット 思いがけない冒険」です。
主人公はビルボ・バギンズで、「ロード・オブ・ザ・リング」のフロドの叔父にあたります。
ビルボは「ロード・オブ・ザ・リング」でも登場しており、若い頃の冒険の話をしますが、それが本作のエピソードになるわけですね。
そうそう、冒頭にフロド役でイライジャ・ウッドもちゃんと出てくれてました。
本作は「ロード・オブ・ザ・リング」と同じ世界である中ツ国を舞台にしているので、その世界観はピーター・ジャクソンですので、前作との齟齬を起こしていることはありません。
「ロード・オブ・ザ・リング」は登場人物がかなり多く、またストーリーも並行して進んでいくので、初めて見るときはそのボリューム感に少々戸惑うことがありました。
そういう点では、本作はストーリーの軸は一本。
ドワーフたちとガンダルフ、そしてビルボの旅のパーティを中心に進んでいくので、戸惑うことはないかと思います。
ただ、やはり長い。
「ロード・オブ・ザ・リング」も3本ともかなり長かったですが、本作もほぼ3時間くらいの長尺になります。
ピーター・ジャクソンはおもしろい作品を作る人だとは思いますが、ほとんどの作品がかなり長く、このあたりが欠点な気がするんですよね。
映像のクオリティがあるので見せたい気分はわからなくはないのですが、前半は物語の助走の部分であるため展開も少々遅くややだるい感じがしました。
後半は冒険が始まり追っ手との争いなどがあるので盛り上がってくるのですけれどね。
前半で力つきてしまう方もいるかもしれません。
後半の活劇部分は、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズがかなり規模の大きい戦闘を描いていたのに比べて、本作はパーティを中心なのでスケール的な部分は比較すると少ないかもしれません。
ただかなりカメラも動いて、活劇としてはかなり見応えがあったように思います。
このあたりはさすがピーター・ジャクソンといったところです。

「ロード・オブ・ザ・リング」は指輪を捨てに行く話であり、フロドを始めその指輪に見入られる人物が多く出てきます。
見入られた人々は欲望という心の暗黒面と心の中で戦い、破れ身を滅ぼしていきます。
その中で唯一心の暗黒と戦い傷つきながらもことを成し遂げたのがフロドだったのですね。
そういう意味で「ロード・オブ・ザ・リング」というシリーズは、ずっと陰鬱とした暗さを孕んでいる作品でありました。
その点で比べると本作「ホビット 思いがけない冒険」は明るいトーンになっています。
象徴的なのが主人公ビルボでしょう。
フロドはずっと苦悩の表情を浮かべていた印象がありますが、そういった苦悩のようなものはビルボにはあまりありません。
フロドが役割を背負っていたのに対し、ビルボ自身は役割を背負っているわけではありません。
本作の旅の主体者と目的は、ドワーフたちであり、彼らの国の奪還です。
ですので、ビルボは部外者であるといえばそうなのです(劇中でトーリンが足手まといと言っているように)。
ただしその旅の目的は困難です。
そしてまたガンダルフが意味深なことを言っているように、この旅はただドワーフたちの国を取り戻すというものではないような予感もあるのです。
「ロード・オブ・ザ・リング」の時代の暗黒の支配に繋がっていくと感じられる、世界が暗闇に呑み込まれる予兆がみられます。
そうした旅の困難さをガンダルフが予感している中で、ビルボの存在は彼自身も言うように支えとなるわけです。
部外者であるにも関わらず、命を賭して旅に同行する。
自分自身をかけてでも、他のために事を行う。
これが人の善なる面なわけですね。
この善なる面を、「ロード・オブ・ザ・リング」「ホビット」を通じて、ホビットという人々が象徴しているように思います。
フロドにしてもビルボにしても。
暗黒の面を象徴しているのが、オークであり、ゴブリンであったりするわけですね。
本作でいう人というのはその境界線上にいて、善なる方にも、悪なる方にも転んでしまう可能性のある不安定な存在なわけです。
悪に転んでしまうのが、サルマン(本作にも登場!)であり、善の側にとどまるのがガンダルフであるわけですね。
ただ転んでしまう危険性というのは人でいる限り孕んでいるわけで、それをガンダルフは恐れるのだと思います。
それを転ばないように支えてくれるのが善なる心の象徴であるホビット、その中でもビルボなのでしょう。
このまま物語が暗さを持たずに進んでいくかはわかりません(原作を読んでないので)。
ただあの指輪が登場したことにより、人がそれに見入られてしまっていく展開になるかもしれません。
その中でビルボも善なるものとして留まることができるのでしょうか。
「ロード・オブ・ザ・リング」があるので結果はわかっているわけですが、それでも葛藤があるに違いがありません。
だからこそ旅に出発する前に、ガンダルフは旅に出る前と違った自分になるとビルボに言ったのでしょう。
今後の展開を楽しみに待っていたいと思います。

「ロード・オブ・ザ・リング」の記事はこちら→
「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」の記事はこちら→
「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」のレビューはこちら→

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (47)

2012年12月20日 (木)

「砂漠でサーモン・フィッシング」 信じる心

予告を観たときは、ユアン・マクレガーとエイミー・ブラントのラブコメディー的なお話かと思ったのですが、ちょっと違いましたね。
もちろん、ラブの部分はストーリーの柱としてはあるのですけれど、より強いテーマがこの作品にはありました。
たびたびこの映画では「faith」という単語が出てきますが、これは「信心」という意味。
宗教的な「信心」というよりは、本作では信じる心と考えておいてよいでしょう。
主人公の水産学者ジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)とイエメンの大富豪のコンサルタントのハリエット(エイミー・ブラント)は、砂漠の国イエメンでサーモンフィッシングをできるようにするという大プロジェクトに関わることになります。
誰もがそんなことできるわけがないと思うこのプロジェクト、ジョーンズも不可能と最初は断じました。
しかし、プロジェクトの依頼者であるシャイフと話す中で、そのプロジェクトに惹かれるようになります。
シャイフは自身も釣り人ですが、釣り人には「信じる心」があると言います。
いつアタリがくるかわからない、それが10分後か、1時間後か、はたまたその日1日はアタリもないかもしれない。
けれど、釣り人は糸を垂らし続けるわけですよね。
釣るなんて無理と、止めてしまったら、絶対に釣ることはできない。
釣れると「信じる心」を持っているから、糸を垂らし続けられるわけです。
ジョーンズが最初に不可能と言ったこのプロジェクトもそう、そしてまたハリエットとの恋愛もそう。
いつか叶うと「信じる心」があってやり続けるからこそ、結果は生まれてくるわけですね。
本作では「奇跡」という言葉もちょいちょい出てきます。
「奇跡的」というのは、稀に見る出来事というわけですが、単に待っているわけでもそうはならないわけです。
これもシャイフが言ったセリフにあったと思いますが、それを叶えるのは「運と人の力」です。
「運」は諦めて止めてしまえば決して訪れることはありません。
だから「信じる心」でやり続けることが大事なのです。
でも「人の力」でやり続けるからといっても、必ずできるわけではありません。
やはりそこには「運」も必要なわけですね。
その「運」がくることを「信じる心」こそが大切なのでしょう。
そういったことが伝わってくる映画でした。
本作は主人公たちが魅せられるシャイフの人柄がやはり魅力的で。
こういうリーダーに触れて仕事ができるのはやりがいがあることだよねと感じた次第。
理想のリーダー層ですね。
どこかの国の政治家にもこの映画を観てほしい。

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (4) | トラックバック (40)

2012年12月15日 (土)

「フランケンウィニー(2012)」 ストップモーションアニメの肌触り

ティム・バートンの新作「フランケンウィニー」を観てきました。
オリジナルの「フランケンウィニー」は若かりし頃、ティム・バートンが実写で撮った短編映画です。
本作はオリジナルをティム・バートンが好きなストップモーションアニメで、長編化した作品になります。
よく小説にしても映画にしても初期作にはその作り手の個性が強く出ると言います。
もともとの「フランケンウィニー」は彼の初期の作品であり、短編でありながらもやはりティム・バートンらしさが出ていた作品でした。
周囲からちょっと浮いた存在である少年(もしくは少女)が主人公で、彼(彼女)はやがてわかり合える人を得る(もしくは失う)というのが、彼の作品の骨格になっていることが多いですよね。
「ビートルジュース」もそうですし、「アリス・イン・ワンダーランド」などもそうですね。
オリジナルもまさにそういうフレームになっていました。
本作はオリジナルの要素はそのままに、中盤を大きく膨らませた話になっています。
ラストの風車小屋の火事は、オリジナルの映画の印象でも強く残っているシーンですが、本作でも印象深く描かれていました。
ストップモーションアニメはやはりいいですね。
すごく手間がかかる撮影方法ですので、なかなかやる人がいませんが、こういう内容のお話にはすごく良く合います。
オリジナルは実写なので当然ながらスパーキーもほんとの犬なわけですが、実写ならではの生々しさはあるわけで。
実写版を観たときも生々しいと思った記憶はないのですが、本作を観てみると、やはりこちらのほうがしっくりきますね。
ストップモーションアニメというのは不思議なものです。
実写のような生々しさはなく。
かといって3DCGアニメのような無機質な感じもなく。
セル画アニメのような薄っぺらさもない。
なんというか肌触り感のようなものが感じられるんですよね。
この感触はやはり他の手法では得られないように感じます。
観賞したのは日本語吹き替え版でしたが、英語ではキャサリン・オハラとウィノナ・ライダーが声をあてているんですね。
「ビートルジュース」つながりですね。
そういえば「ビートルジュース2」が作られるというのを聞きました。
これはティム・バートンは絡むのかな?

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (3) | トラックバック (41)

2012年12月13日 (木)

本 「深海のYrr」

読み応えのある作品でした。
けっこう厚い文庫で上中下の3巻です。
あるとき、世界の各所で異変が起こります。
ヨーロッパでは食用のロブスターから何ものかに感染し、謎の病気が蔓延し、人々が倒れていきます。
また北海のメタンハイグレード埋蔵地帯で大量のゴカイが発生、それによりメタンハイグレード層が崩壊し、メタンが噴出、それにより大きく海水が押しのけられたことにより大津波が発生し、ヨーロッパの沿岸地帯は洗い流されます。
北アメリカでは突如クジラがホエールウォッチングの船を襲い、人命が失われます。
クジラやオルカの襲来は他の船にも及び、世界の船の運航が危うくなります。
さらには北米沿岸を大量のカニが襲い、ヨーロッパと同様の病気が蔓延するのです。
やがてメキシコ湾流の流れが止まり、そして再びメタンハイグレード層の崩壊の予兆があり、世界は壊滅の危機を迎えます。
別々の出来事に見えるそれらの事件は、ひとつ「海」を指し示しています。
「海」に何ものかが潜んでいる。
それは人類への敵意を表し、滅ぼそうとしている・・・。

本作は海洋テクノスリラーであり、「未知との遭遇」的なSFでもあります。
異星人であったり、地球にいる別の生命体との邂逅というのは、SF小説でもクラークやホーガンなど古い作品からあるテーマです。
知性体というと人間と同じような形状を思い浮かべがちですが、そうであらねばらならないことはありません。
違う環境で発生した知性体は人間とは異なる形状をし、それゆえに思考形態などもまったく異なる可能性もあります。
そのような生命体とのコミュニケーションをどのようにとっていくのか。
そういう意味で本作は究極の異文化コミュニケーションを扱っていると思います。
集合知性体というのはこれもSFではよくある設定ですが、その生命体の仕組み、思考について本作ほど細かく考えられているのはあまりないかもしれませんね。
そういう点でよく書き込みがされており、読み応えあります。
またテクノスリラーとしての側面として、さまざまな今に則したテクノロジーやサイエンスの情報量がかなり多く盛り込まれています。
本作序盤で津波のシーケンスがあります。
今でこそあの震災により、津波の知識をもっていたりしますが、この本が書かれたときそれほど詳しい人は一般的にはいなかったと思います。
しかし今読んでみると、その描写は読んでいて苦しいほどにリアリティがあります。
津波に襲われたとき、街にいる人は溺死するのではなく、津波に攫われ壁などに強くぶつけられることによる圧死が多いと聞きました。
まさにそのような描写が本作にもあるのですね。
また本作でも重要なキーワードになるメタンハイグレード。
これは近年、日本の近海でも発見され、新たなエネルギーとして注目されています。
このメタンハイグレードの採掘についてもかなり細かく描写されています。
また本作が海が舞台になるので深海技術などについても書かれていますが、その技術については日本はトップレベルです。
いろいろなところで日本や世界の今、を予期しているような題材を扱っていて、このあたりに目を付けた作者は慧眼だと思いました。
本を読み慣れない方には少々ハードルが高い本ですが、読み応えは確実にありますので、チャレンジしてみてください。

「深海のYrr<上>」フランク・シェッツィング著 早川書房 文庫 ISBN978-4-15-041170-1
「深海のYrr<中>」フランク・シェッツィング著 早川書房 文庫 ISBN978-4-15-041171-8
「深海のYrr<下>」フランク・シェッツィング著 早川書房 文庫 ISBN978-4-15-041172-5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月11日 (火)

「カラスの親指」 都合がいい感じ、それが・・・

事前情報をあまり入れないで観賞しました。
詐欺師のお話というのは知っていたというレベルですね。
もちろん原作小説は未読です。

<ネタバレするので、この先は未見の方は注意です>

タケとテツの詐欺師コンビに、やひろ、まひろの姉妹、そして貫太郎の三人が加わり、5人の共同生活が始まります。
この5人はそれぞれ家族を失っていますが、一つ屋根の下で家族のように暮らしていきます。
タケにとっては永遠に失ってしまった家族、そしてやひろ、まひろにとっては今まで得たことのない家族。
タケはふたりの姉妹に対しては自分の罪の償いというのもあったのでしょうが、生きていたら同じ年頃である自分の娘を重ね合わせていたのでしょう。
ここでテツがタケに指の家族の話をします。
観ていて、いい話だなぁと思ったのですが、これがまた最後になって意味がある言葉になっていました。
詐欺師の物語だと思っていたので、このあたりまでのホームドラマ的な家族の描き方はちょっと予想したものとちょっと違うなと感じましたが、それはそれでほのぼのとしたいい空気ではあったので、これはこれでありかと。
なんか「しゃべれども しゃべれども」のような雰囲気を感じましたね。
そのホームドラマ的な雰囲気は、闇金業者の嫌がらせがエスカレートしていく中で変わっていきます。
追い込まれた彼らは、これ以上耐えられないということで一発逆転の勝負に出ます。
力では勝てないから、頭でということで、彼らに詐欺をしかけます。
このあたりからの展開はもともと観る前に予想していた詐欺師ドラマ(コン・ゲーム)的な展開になります。
どこまでが仕掛けで、どれが偶然か、この手の作品のハラハラ感も十分にありましたね。
5人のうちの誰かが裏切るというのもあるかと思ったりもしたので、余計に。
めでたく彼らの作品は首尾よくいき、闇金業者から金をせしめることができた5人。
彼らはそれぞれの道を進みます。
これで終わり・・・、と思ったらその先がありました。
本作はおおよそ3部にわかれているように思います。
最初のホームドラマ的な5人の交流、そしてハラハラドキドキのコン・ゲーム。
そして3部はホームドラマ的な側面と、詐欺師ドラマ的な側面をそのまままとめあげるような展開でした。
正直、観ていたとき都合が良い展開だなぁとか、ここはちょっと変?と思うようなところがいくつかあったのですよね。
この「都合がいい」感じということそのものが、伏線になっていたわけです。
そもそものこの物語を画に描いた、大ガラスがいたというわけです。
見逃したところもいくつかあるので、もう一度確かめたい感じはありますね。
上映時間は2時間40分。
観る前はけっこう長いなと思いましたが、この3部構成的な中身を考えると致し方ないところかもしれません。
長尺の割にそれほど長いと感じるところはありませんでした。

阿部寛さんは今年は大活躍ですね。
「麒麟の翼」「テルマエ・ロマエ」「カラスの親指」、それぞれまた違った個性をもっている役でした。
それでいて阿部さんらしさみたいなものはすべてにあって。
能年玲奈さんは演技をしているところは初めてみました。
演技的はまだまだと思うところもありましたが、いい表情はいくつもありましたね。
フレッシュさを感じました。
で、石原さとみさんは最後まで彼女だとわからなかったんですよね。
髪型がいつもと違うからかもしれないのですが、ずっとお姉さんを演じているのは誰だろう?って思ってました。
エンドロール観てびっくりしたんですよね。
彼女も作品によってけっこう触れ幅を大きくできる女優さんになってきたと思います。

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (6) | トラックバック (30)

2012年12月 9日 (日)

本 「バスジャック」

「となり町戦争」「失われた町」の三崎亜記さんの短編集です。
最近だと「コロヨシ!」など毛色の違う作品もありましたが、本作は三崎さんらしさが詰まった作品ですね。
今までも三崎さんの作品のレビューで書いてきましたが、この方の作品は現在の日本のような場所を描いていつつも、そこに根本的に異なるルールを持ち込んで不可思議な世界にしてしまうという感じがありますね。
SF的とも言えますし、ファンタジー的とも言えますし、この不可思議さが三崎さんらしさであるような気がします。
強いて似ているものをあげるとすると、昔オンエアされていた「ウルトラQ」とか「怪奇大作戦」のような作品があげられるような気がします。
そういうテイストですので、三崎さんは短編もおもしろいに違いないと思い、手に取りましたが、その期待は裏切られませんでした。
本作では数ページしかない超短編も入っていますが、長さに関わらず三崎さんのテイストはうまくでているなと。
長編、短編に限らず、三崎さんの作品の魅力は不思議な世界観だけにあるわけではありません。
描かれる不思議な世界(「アンバランス・ゾーン」的な)に暮らす人々の情をしっかりと描くのが、ほんとうの三崎作品の魅力であるかと思います。
収録されている「しあわせな光」「ふたりの記憶」「送りの夏」などはそういう人の儚げな情を、やさしく描いているよい作品だと思います。
「アンバランス・ゾーン」的な不可思議さでぇあ「二階扉をつけてください」、タイトル作品でもある「バスジャック」も面白かったです。
三崎さんの作品は独特のテイストがあるので長編からだととっつきにくい方もいらっしゃるかと思いますが、本作品だと入りやすいかもしれません。

「バスジャック」三崎亜記著 集英社 文庫 ISBN978-4-08-746368-2

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「猿飛三世」 スピーディな忍者アクション

NHKのBSで放映されていた時代劇です。
タイトルの通り、主人公は真田十勇士のひとり猿飛佐助の三代目の猿飛佐助。
演じるのは伊藤淳史さん。
かなりピッタリのキャスティングです。
ちなみに初代猿飛佐助の声をあてているのはサニー千葉こと千葉真一さん。
「影の軍団」を髣髴とさせるキャスティングです。
猿飛佐助自体は架空の人物ですが、戦国時代に忍者が活躍したのはみなさんも知っていることでしょう。
明智光秀が信長を討ったとき、徳川家康が堺から駿河へ脱出するのを手伝ったのが、伊賀忍者と言われています。
忍者は戦国の世で、諜報活動などに重宝されますが、やがて泰平の世になり、不遇の身となっていたといいます。
江戸時代は門番などをやっていたようです。
本作の舞台となるのは、その泰平の世。
三代目猿飛佐助は幼い頃に父に去られたという悔しさ、そして偉大な祖父に対してコンプレックスを持った青年です。
彼がひょんなことから小藩のいざこざに巻き込まれて成長していくという物語です。
お話自体は初代佐助が残した「秘伝七術」の奥義を、三代目佐助が自分なりに会得して成長していくと言うわかりやすい物語になっていますので、気楽に楽しめる物語となっていました。
見所の一つはアクションですね。
アクション監督は香港でも活躍している谷垣健治さん。
ワイヤーをつかったスピーディな忍者アクションは見応えありました。
佐助の動きは猿っぽくトリッキーなアクションで、このあたりは香港映画のテイストもありました。
伊藤淳史さんもけっこうご自分でアクションしているような感じで、がんばってましたね。
このあたりはまさに痛快時代劇という感じ。
そうそう、小藩の京留守居役には堺正章さんがキャスティングされてました。
堺正章さんといえば、「西遊記」の孫悟空が思い浮かびます。
これはやはり「猿」つながりのキャスティングだったんでしょうね。
堺さんも槍を使った立ち回りをするシーンがありましたが、その棒さばきもなかなかのもの。
このあたりは孫悟空役で培った、昔取った杵柄というところでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 8日 (土)

「仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム」 詰め込み過ぎ〜

冬の恒例となりました「仮面ライダー」シリーズのMOVIE大戦が今年もやってきました。
メガホンをとるのは昨年に引き続き坂本浩一監督です。
昨年のMEGA MAXはかなりよい出来であっただけに期待も高まります。
で、結果から言うと、今回のMOVIE大戦は昨年ほどじゃなかったですね。
この尺でやるにはかなり要素が多くて、それぞれが薄くなってしまった感じもしました。
MEGA MAXは「オーズ編」と「フォーゼ編」が別々の話でありながらも上手くリンクをしていくのが、けっこう上手くまとまっていたのですよね。
今回は「フォーゼ編」と「ウィザード編」のリンクはしていているですが凝り過ぎのところもあり、それにイナズマンやポアトリンまで絡むわけですからかなり忙しい。
脚本は「フォーゼ編」がテレビのメインライターであった中島かずきさん、そして「ウィザード編」と全体を浦沢義雄さんが担当されました。
浦沢さんと言えば「美少女仮面ポアトリン」などいわゆる不思議コメディが代表作ですが、「ウィザード編」はやはりそういうテイストは強く出ていましたね。
たしか浦沢さんは「仮面ライダー」は初めてだと思いますが、そのあたりで全体的にまとまりきれていない感じがしました。
もともと浦沢さんは全体をまとめあげるというタイプではないような気はするのですけれどね。

「フォーゼ」好きな自分としては、再び「フォーゼ」が観れるというのは嬉しいところでした。
しかしながらすでに「ウィザード」と代替わりしているので、ボシュームはちょっと少なく、やや薄い感じもしました。
ただ天高メンバーがそれぞれにイキイキと活躍できている姿を観れるのは嬉しいですね。
坂本監督は素面で役者にアクションをさせることが多いですが、「フォーゼ編」では弦太朗役の福士蒼汰さんに
バルクールをさせていましたね。
吹き替えもはいっていたでしょうけれど、けっこう福士さんがやっていました。
体が動く人だというのは今までの作品でもわかっていましたが、かなり身体能力高いですね。
あと賢吾もアクションしてましたね。
カラダよくなったから動けるようになったんだ、と5年の歳月を感じたりしました。
雑誌でサナギマン→イナズマンを観たときは驚きました。
もうここまでくればなんでもありだと。
「イナズマン」はこちらはリアルタイム試聴世代なので、これはこれで楽しめました。
最後も出てくるかと思いきや「フォーゼ編」だけだったのでちょっともったいないかな。
ここまでくると石ノ森作品はすべて登場していただくってことで。
次回作は「人造人間キカイダー」あたりでいかがでしょ。
シブいところで「ロボット刑事」あたりもよろしいかと。

現在放映中の「ウィザード」についてはまだあまり乗り切れていない自分・・・。
ですので、今回の映画も「フォーゼ」のときほどの期待もなく。
ただ「ウィザード編」だけ観ると、これはこれで浦沢節が効いていて楽しめました。
日常が繰り返す、なんてアイデアはなかなか「仮面ライダー」でやろうとする人はいないでしょうからね。
このあたりは浦沢さんならではです。
「ウィザード」はテレビでもアクションとしてXMA(エクストリームマーシャルアーツ)の要素を取り入れています。
XMAは「魅せるマーシャルアーツ」と言えるようなもので、大きな空中での回転運動などが特徴的です。
テレビでも今までとは違ったライダーアクションを見せてくれますが、映画でも坂本監督の解釈によるウィザードのアクションは見応えありました。
フォーゼのアクションが喧嘩殺法的な感じに対し、ウィザードは華麗な技を魅せるというところが対称的で、これは映画でいっしょに並び立つことにより、よりはっきりとわかります。
ウィザードはフォームによっては中国拳法のような動きもするので、倉田道場出身の坂本監督的にはノレて撮れたのではないでしょうか。
ポワトリンはテレビシリーズをまったく観ていなかったので、何も感慨も浮かばず・・・。
全体の最後のオチは笑いましたけどね(笑)。

「フォーゼ編」と「ウィザード編」をまとめる「MOVIE大戦編」は冒頭に書いたようにやはりちょっと忙しい。
「アクマイザー3」もリアルタイム世代なので、登場は嬉しかったのですけれどね。
ガブラッチョ(本作ではガーラッチョ)までが出てくるとは驚きました。
オーズやW、なでしこがでてくるのは嬉しいのですけれど、やはりちょっと要素としては多いなと。
アクセルまででるんだ〜と思ったら、アクセルはなでしこのバイクにされてました(爆)。
サービス精神旺盛なのですけれどまとまりきれていなかったかなというのが正直な感想ですね。
全編共通して、相変わらず坂本監督好きな女性の足なめカットが多く(笑)。
お父さんたちは喜んで子供につき合って劇場に行くことでしょう。

本編終了し、最近では恒例の次回作の予告が流されました。
「ゴーカイジャーVSゴーバスターズ」は一部情報が流れているので、そうだよねという感じ。
その後に春の予告が「スーパーヒーロー大戦2」って・・・。
「地球」VS「宇宙」で、仮面ライダー&スーパー戦隊VS宇宙刑事&宇宙鉄人てことかしらん。
ギャバンたちが分が悪くない?なんて思ったりもして。
あとさらにヒーローの数が増え、撮影が大変だろうなと。
とか言いながらまた観に行ってしまいます、たぶん。

昨年の「仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX」の記事はこちら→

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (12)

本 「さよならドビュッシー前奏曲 -要介護探偵の事件簿-」

最近のお気に入りの作家の中山七里さんの作品です。
本作は中山さんのデビュー作である「さよならドビュッシー」のシリーズの位置づけになりますが、タイトルに「前奏曲(プレリュード)」となっているように、「さよならドビュッシー」の前日譚となっています。
そして探偵役はシリーズの岬洋介ではなく、香月玄太郎という老人になります。
「さよならドビュッシー」を読んだ方はこのキャラクターはご存知であると思いますが、彼はその物語の序盤で姿を消します。
そもそも「さよならドビュッシー」の事件は彼の死を発端としているのですから。
すでに死することが決まっている人物が探偵役をするというのは珍しい設定ですね。
彼は車いす生活を余儀なくされている要介護者であり、そういう意味ではアームチェア・ディテクティブと思いがちですが、性格的にはアグレッシブであり、現場にも足を運ぶ行動派の探偵ですね。
岬洋介が非常に穏やかなタイプであるのに比べ、非常に攻撃的であるというのが対称的です。
本作は短編集となっており、そのタイトルはコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」にちなんだタイトルとなっています。
最後の短編のタイトルは「要介護探偵の最後の挨拶」となっており、「シャーロック・ホームズ」へのオマージュもありつつ、このシリーズの時系列ではその直後になる「さよならドビュッシー」への結節点ともなっています。
タイトルが香月玄太郎のその後の運命を示唆していているのが、なんか切ないですね。
この短編ではその後の探偵役となる岬洋介も登場して、代替わりを示唆しています。
この作品はシリーズとしては時系列的には一番最初ですが、まずは「さよならドビュッシー」のほうを先に読むのをオススメします。
キャラクターのその後の運命を知っていると、本作で登場してくる人物たちの様子をより感慨深く読めると思います。

「さよならドビュッシー」の記事はこちら→

「さよならドビュッシー前奏曲 -要介護探偵の事件簿-」中山七里著 宝島社 文庫 ISBN978-4-7966-9562-6

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年12月 6日 (木)

「任侠ヘルパー」 弱きを助け強きを挫く

テレビでドラマシリーズがあったようですが、例によって未見です。
「任侠ヘルパー」、「極道」と「介護」とまったく馴染みのないように感じましたが、観てみると意外と現代の課題というものを突いているように思いました。
言うまでもなく「介護」というのは現代の日本において課題の一つです。
超高齢化社会と言われており、高齢者が人口にしめる割合も大きくなっていて、そしてまた少子化も続いているわけで、子供が親を面倒をみることも厳しくなっている状況です。
行政の支援があればいいのですが、政治課題にもなっているように財政は国も地方も火の車であり、十分な支援が得られないということもあります。
福祉サービス充実のために消費税導入ということになりますが、それはそれで年金生活者の家計にダメージになるわけでこのあたりのバランスは非常に難しい。
また介護ビジネスは3Kと呼ばれるように、職場としてはたいへんだとも聞きます。
そのため離職率も高いとか。
「介護」というのは誰もが必要であると認識していながらも、厳しい労働環境であったり、お給料の問題であったりしていてなかなか働く人が確保しにくいわけですね。
そういう必要だけど、成り手がいない仕事というのは、けっこうブラックな組織が絡んでくるわけです。
ヤクザという人々はある種、そういうやる人がいない仕事をやることによって稼ぐところがあるのですよね。
原発の作業員などの融通などもそういう人たちが絡んでいるとも聞きますし。
そういう意味で「介護」と「極道」というのは結びつき、現代日本の課題をあぶり出しているなと思いました。
香川照之さん演じる八代が「誰も救うことができない」と言いますが、たしかにすべての人を一気に助けるというようなことは難しいのかもしれません。
行政の制度でやったとしてもそれを負担する財源などの問題がでてきます。
それでもその問題はずっと進行中なわけで放置するわけにもいきません。
八代はベストな解を得ようとしていましたが、現実的にはよりベターな案を少しずつ実行していくしかないのでしょう。
草なぎ剛さん演じる彦一は、彼のポリシーである「弱きを助け強きを挫く」に基づいて目の前の人々をなんとか救おうとしました。
まずは自分の手が届く範囲で、自分なりにやるしかないのでしょうかね。
なかなか答えがでない課題です。
自分や自分の家族がそうなったらと考えると、悩んでしまいます。
本作はエンターテイメント性もありつつ、社会の課題を提示するというバランス感のある作品に思えました。

草なぎさんは穏やかなイメージがある方だったので、こういうヤクザの役は意外でした。
しかし、けっこう厳しい表情も様になっていて、こういう役もありだなぁと思いました。
ずっと眉間に皺を寄せていましたが、途中一回だけ笑顔になるところがあるのですが、そこの笑顔が余計に輝いてみえました。
香川照之さんは、今年は邦画はずっと出ずっぱりな感じですよね。
クセのある役が多い方なので、今回のキャラクターも「実は・・・」ってなるかと思ったのですが、最後までいい人でした(笑)。
こういうまっとうな役は最近は珍しいですよね。

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (2) | トラックバック (14)

2012年12月 2日 (日)

「007 スカイフォール」 ボンドをさらに掘り下げる

本作は「007」シリーズの50周年記念だそうですね。

<今回の記事はかなりネタバレになるので、観ていない方は注意してくださいね>

ダニエル・クレイグの007も本作で3作目となります。
「カジノ・ロワイヤル」ではまだスパイに成り立ての青いボンドでしたが、「慰めの報酬」ではプロとして成長し、本作「スカイフォール」ではベテランの風格さえ漂わせるボンドとなっています。
このあたり、ダニエル・クレイグのボンドは作品毎に変化が感じられるものとなっていますよね。
本作はボンドが秘匿されていた諜報部員のリストを守るというミッションからスタートします。
しかし、そのリストは奪われてしまいます。
そしてボンドはMの指示により誤って狙撃されてしまうわけです。
諜報部員のリストの奪取を依頼したのは元イギリスの諜報部員、つまりはボンドと同じような仕事をしていたシルヴァという男でした。
彼が敵役となるわけですが、今までの「007」とは違い、彼が狙うのは彼を育てたMI6という組織であり、Mなのです。
「M」とはMI6の部長であり、言わばボンドら諜報部員の指揮官とも言える立場のコードネームになります。
ジュディ・リンチ演じるMはピアーズ・ブロスナン時代のボンドから継続しています。
最初は女性のMは意外な感じがしましたが、今ではジュディ・リンチのイメージが強くなっていますね。
本作ではそのMの存在が重要な位置づけになっています。
もともとMは初代部長のイニシャルだったようですが、今では歴代部長が用いるコードネームとなっていますね。
Mには諜報部員の”Master”という意味合いもあるのではないかと思ったりもします。
そのMにシルヴァは執着します。
シルヴァはMの指令で諜報活動をしていましたが、その中で敵の組織にとられられ拷問にかけられます。
しかしそれでも組織からの救いはなく、やがてシルヴァはMI6を、そしてMへ恨みを持つようになります。
このシルヴァのMへの思いは憎しみと愛情が入り乱れた、まさに愛憎といったものになっています。
諜報部員たちが命懸けで任務に挑むのはなぜか。
それは国への忠誠心というのもあるでしょう、しかしそれと同じように自分が命を預ける人への信頼感というのもあるのかもしれません。
ボンドやシルヴァからすればMがそういった存在なわけですね。
シルヴァはMをしばしば「Mother(お母さん)」と読んでいたように、それに近い信頼をもっていたのでしょう。
だからこそ裏切られたと思ったときの、憎しみは強かったというわけです。
本作ではボンドの過去の一部も明らかになります。
ボンドも幼い頃に両親を失い、そしてMに出会い諜報部員になったいう経歴のようです。
そういう点では、シルヴァもボンドも同じような境遇であり、Mに対しては母親のような感情を持っていたのでしょう。
そして誤解のようなものがあったにせよ、シルヴァもボンドも一旦はMに裏切られたと思えるようなことがあったわけです。
シルヴァのそれが憎しみにふれていったとは、逆にボンドの行動には上官を守るというよりも、母親を守るといった愛情のようなものを感じました。
ダニエル・クレイグのボンドというのはそれまでのボンド像と大きく異なります。
それはボンドという人間の中身について描いていくというスタンスです。
「カジノ・ロワイヤル」ではまだ青臭く、愛というものに翻弄されるボンドを描きました。
本作ではボンドの別の面を描いているという点が新しい気がします。
ボンド個人を描いているというところは少ないようにも見えますが、シルヴァという人物はボンドの裏の面を見てもよくて、合わせてボンドという人物を深く掘った作品になったと思います。
副題の「スカイフォール」は観る前は作戦名のようなものかと思ったら違いましたね。
本作の「スカイフォール」とはボンドが生まれ育った地の名前でした。
M(母親)を救うため、ボンドが生まれた地で戦うというのも意味が深いという感じもしますね。
ボンド作品では、だいたいが最後は相手の本拠地に乗り込むというパターンだったと思いますが、籠城線になるというは極めて珍しい気がしました。

レイフ・ファインズが出てきたんで「大物が端役?カメオ出演?」とちょっと最初は意外に思ったのですが、最後まで観て、なるほど・・・と。
Qも登場し、そしてさらにはマニーペニーも。
ダニエル・クレイグの「007」も次のフェーズに入る感じですかね。
最後に、ジュディ・リンチ、お疲れさまでしたー!

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (4) | トラックバック (79)

2012年12月 1日 (土)

「ロックアウト」 もっと深掘りを

予告で「リュック・ベンソン!」て大々的に言っていたから、彼の監督作品かと思って観に行ったら、プロデューサーだったのね。
でも脚本はリュック・ベンソンでした。
彼のアクション映画の脚本作品というのは、けっこう微妙なセンスがあるのですよね。
僕がハリウッド映画に毒されているからかもしれないですが、ここを掘り下げてほしいというところをあっさりとスルーしたりとかしていたりして、どうもしっくりと落ち着かないところがあります。
例えば、本作でいうと、この監獄衛星で人体実験が行われていたということが出てきますが、そこはあっさりスルー。
政府や国家安全保障局の陰謀とかそういう方向にはいかないのですね。
そもそもリュック・ベンソンの脚本というのはそれほどキャラクターを深堀するということもなかったりするのですよね。
悪役のほうももうちょっと魅力的で、主人公側と丁々発止のやり取りがあるともっとおもしろいのだろうになあと思うのですが、このあたりも淡白なのですよね。
じゃ、アクションなど見せ切るかというとそれほどすごくもなく・・・。
脱出のシークエンスで、大気圏に突入できる宇宙服っていうのは斬新だなと思いましたが、このあたりの見せ方もけっこう淡白でしたねぇ。
1時間半くらいの映画なので、あまり描き込む時間がなかったということかもしれないですが、もっといろいろ描き込んでいけば面白くなりそうな設定であっただけにちょっと残念。
意外と淡白な仕上がりでした。
ヒロインのマギー・グレイスは「96時間」に続き登場。
ま、リュック・ベンソンが好きそうな女優さんではあります。

にほんブログ村 映画ブログへ

| | コメント (6) | トラックバック (26)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »