本 「検察 -破綻した捜査モデル-」
検察という組織は報道などでその名前を聞くことはあっても、その組織がどのような役割でどのような仕組みになっているか明確に答えられる人というのは意外と少ないのではないかと思います。
かくいう自分もその一人。
最近、検察という組織に目を向けるきっかけとなったのが「終の信託」という映画。
この作品の後半で、検察の取り調べが描かれます。
周防監督ですので、しっかりとした下調べがあっての作品だと思いますので、このあたりの取り調べにはリアリティがあるのではないかと思います。
恐いなと思ったのは、検察官が自分の描いたストーリーに被疑者を導いていこうとする取り調べの仕方。
強い口調でののしったり、逆になだめるように言ってみたり。
そして調書というものは、まさに検察官が「作文」をして、それに被疑者にサインをさせるというやり方。
その調書は「私は・・・」と被疑者が一人称で語っている形式になっているので、これを読むと「自白」しているように聞こえるのですが、これは検察官が口述していうことを検察事務官がワープロでうっているのですよね。
そして取り調べは検察官、検察事務官、そして被疑者だけ。
そして拘留期間は10日間に及び(延長可)、そういった密室での取り調べですから、検察の「ストーリー」通りだと言ってしまう人も少なくないでしょう。
そして日本の裁判はこの「自白」がかなり偏重される文化となっていました(裁判員裁判で物的証拠の重要性が高まってきました)。
最近、検察という組織が注目されることがいくつかありました。
まず大阪地検特捜部の検事の証拠捏造事件がありました。
検事が証拠を捏造するなんていうことはあってはならないことです。
これが明るみにならなければ、厚生労働省の村木さんは有罪の可能性もあったわけですね。
まさに冤罪です。
検事は証拠捏造という意識はあったわけですから、罪深いです。
そして問題はそれをチェックできなかった検察組織のありようにあります。
刑が確定した検事の上司にあたる二名の検察官は裁判では有罪になりましたが、控訴中です。
証拠捏造の意図は知らなかったと言っていますが、逆に知らなかったら知らなかったで、それを見逃した祖組織のありようが問題になるわけです。
また小沢議員の政治資金規正法の件があります。
こちらについては先般の検察審査会を受けた起訴は棄却され無罪が確定しました。
が、その取り調べにおいて小沢議員の秘書に対しての取り調べについても検事が調書に事実と異なることを書いたことがわかっています。
この調書は証拠としては不採用となりました。
これらの事件でわかることは、検察という組織の中がまったく見えず、彼らの読みでの「ストーリー」に従って取り調べされているという事実です。
これで自分が当事者になったと考えると、とてもおそろしい気持ちになります。
これらの問題を受け、検察は取り調べの「見える化」を図ると表明していますが、現場の反対は強いようです。
そもそも現場が反対する理由がよくわからない。
なにもおかしなことをやっているのでなければ、「見える化」すればよろしい。
別に捜査の途中でそれを見せろと言っているわけではありません。
後で聞けばこのような取り調べを行ったと見えるようにすればよいだけのことです。
このように「見える化」を拒む意志が見えるところに国民が検察の後暗さを勘ぐってしまうというのを、自覚的になるべきでしょう。
裁判員裁判というのは、そういう意味で裁判所と検察の蜜月時代に終わりを告げさせ、物的証拠重視のスタイルになっていくきっかけになるかもしれません。
検察も国民が見ているという自覚をしっかりもって捜査をするべき時代になってきているということでしょう。
「検察 -破綻した捜査モデル-」村山治著 新潮社 新書 ISBN978-4-10-610481-7
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