「赤い指」 まっすぐに目を見れるか
「麒麟の翼~劇場版・新参者~」を観て面白かったので、続いてテレビドラマシリーズの「新参者」を観賞、そして今回はドラマのスペシャル版を観ました。
作られた順は「新参者」→「赤い指」→「麒麟の翼」になります。
「ちなみに」物語の時系列としては「赤い指」→「新参者」→「麒麟の翼」です。
本作「赤い指」は、主人公加賀恭一郎が日本橋署に異動する前の練馬署の刑事であったときの話になります。
「新参者」シリーズがヒットしたのは、劇中でも語られているとおり、加賀恭一郎が事件を解決するだけでなく、それに関わった人々の気持ちも解きほぐすからでしょう。
「人は嘘をつく」というナレーションで物語は始まります。
それは自分のためであったり、人のためであったりします。
そういった人の気持ちを加賀は解きほぐすのです。
テレビシリーズの時からそうなのですが、加賀はなかでも事件に関わった家族の気持ちを解いていきます。
家族というのは最も近くにいる他人と言っていいかもしれません。
その本当の気持ちは家族だからこそ見えないということもあります。
それは「新参者」でもそうでしたし、「麒麟の翼」でもそうでした。
本作「赤い指」は特に家族というものに焦点があたっていたかと思います。
「赤い指」を観て、「麒麟の翼」との共通点を感じました。
それは親(大人)が子供に、何を教えるのかということです。
「麒麟の翼」ではある事故を起こしてしまった生徒たちに教師がその事件から逃れる術を教えてしまいます。
自分が起こしてしまったことに真摯に向き合うことを教えるのではなく、逃げることを教えてしまう。
それは子供たちへのためということもありますが、自分のためでもあるわけです。
大人は生きていく中で、自分の責任から逃れる術を身につけていってしまうのです。
「麒麟の翼」では冒頭に殺されてしまう青柳は息子に、言葉ではなく自分の行動で責任の取り方を教えようとします。
自分が行ってしまったことに対して、青柳は真摯に向き合うことを、教師はそれから逃れようとすることを、それぞれ教えてしまうわけですが、後者の罪深さを加賀は鋭く指摘しました。
そして本作「赤い指」でも同じ構造がみられます。
息子の犯罪を、息子のためと隠蔽しようとする夫婦。
彼らはそれをあろうことか、認知症となったと思われる自分たちの母親に罪を着せようとします。
夫婦は自分の息子を救うためと自分たちでも思おうとしていますが、それは自分たちのためでもあります。
そして彼らの行動が罪深いのは、将来に向けてです。
もしそれで彼らの息子が罪を逃れたとして、その息子はどう思うでしょうか。
悪いことをしても、それは逃れることができると。
まさに「麒麟の翼」で起こってしまったことが起こるかもしれないわけです。
夫婦の隠蔽の罪深さを指摘するのは加賀ではありますが、もう一人ある人物が言葉ではなく、行動でやはり彼らにそれをわかってもらおうとするのでした。
死体遺棄をした夫婦の夫の回想シーンがあります。
子供の頃、嘘をついたとき、母親から「まっすぐに目を見て言いなさい」と言われます。
まっすぐに目を見て言うこと、そのとき相手の気持ちも見えますし、そしてまた自分の気持ちも相手に見えてしまうのです。
だからこそ自分の本心を覚られたくないから、嘘をつくとき人は目をそらすのです。
まっすぐに目を見て話ができるようになる。
これは大人が子供に最低限教えなくてはいけないことなのかもしれません。
本作、そして「麒麟の翼」からそういうメッセージを感じました。
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