「おおかみこどもの雨と雪」 子育ての喜びと寂しさと誇りと
「時をかける少女」「サマーウォーズ」の細田守監督の最新作です。
細田監督の「時をかける少女」は当初ミニシアターでかかっていましたが、その評価が口コミで伝わり半年に及ぶロングランとなりました。
続く「サマーウォーズ」も評価が高い作品ですよね。
SFやファンタジー的要素を持っているからか(または「ハウルの動く城」を当初監督することになっていたからか)、ポスト宮崎駿と言われることが多いですが、作風はかなり違いますよね。
宮崎駿監督はSFやファンタジー要素を用いながら、社会の課題や時代性といったものを描きますが、細田監督は同じような要素を使いながらも、あくまで誰しもが共感ができる日常を描きます。
「時をかける少女」では青春を、「サマーウォーズ」では家族を。
本作「おおかみこどもの雨と雪」では子育てを描きます。
「サマーウォーズ」は、監督ご自身が結婚をしたとき、奥様の実家にご挨拶に行ったとき大家族で、そこでの体験がきっかけになっていると何かで読みました。
本作も監督周囲で子育てをしている方を見て、発想したということです。
青春、家族、子育て、それはとてもありふれたものではあるのですが、それをファンタジー的要素を通して描くことにより、よりそれらを純粋に描くというのが細田流かなと思いました。
主人公、花は大学生のときに、運命の相手ともいうべき男性と巡り会います。
しかし彼は狼男であったのです。
それを知っても花は彼を愛し、やがて彼との間に二人の子供、雪と雨をもうけます。
しかし雨が生まれてすぐに彼は亡くなってしまいました。
花は女手ひとつで二人の子供を育てることになってしまったのです。
今の世は一世帯あたりの子供の人数も少なくなっているからか、とても教育に手をかけられているようです。
習い事、お受験・・・、子供自体がやりたいというわけではなく、親の都合や思いで手をかけられて育てられているようにも思います。
逆に虐待やネグレクトなど、手をかけない親の問題もあります。
そういうことに対し、花の子供たち育て方というのはとてもシンプル。
花は子供たちがすくすくとまっすぐに元気よく育つのを喜びを感じます。
親の都合がどうのというのではなく、あくまでも子供たちが自分のやりたいように生きていく手助けをしてあげるという育て方なのですね。
とてもシンプルな考えなのですが、実際にやるのはそうとうに難しい。
劇中でも花はいろいろと苦労をしますが、持ち前のポジティブさがそういった苦労も彼女にとっては喜びとさせているように見えます。
子育てというのはそもそもは子供の成長を喜ぶというシンプルなものなのかもしれません。
事情を複雑にしているのは、現代の社会なのでしょうか。
そして子育てというのはいつか終わりがあります。
子供たちは成長し、やがて自我を持ち、そして自分のやりたいことを選んでいく。
やがて子供たちが自分で生き方を選択することができるようにしてあげるというのが、もしかすると子育ての本質なのかもしれません。
雪は人間として生きていくことを選択しました。
そして雨は狼として生きていくことを選択しました。
どちらも子供たちの選択で、そしてそれを選ぶ覚悟ができるような心を持てるように花は育て上げることができたのですね。
そして子供たちが生き方を選んだとき、「巣立ち」の時がきます。
子供たちはそれぞれの道を歩むために親の元を旅立っていく。
それは親にとってはとても寂しいことではあるのだけれど、またある種の誇りを感じられる時かもしれません。
雨が花の元を去っていく時、花は「まだ何もしてあげられていない」と言います。
でも彼女は十分に子供たちにしてあげてきていて、それを子供たちは感じていたのだと思います。
本作は娘の雪の語りで進行していきますが、それは彼女(たぶん彼女もやがて母になる)が同じ女性であり母親である花への感謝が感じられるものとなっています。
また雨が花の元を去る時の先のセリフのあと、一度振り向きますが、その時の表情は「十分に育ててもらったよ」という感謝が感じられました。
子育てを実際にやっているかたはなかなかに苦労をされている方も多いかと思います。
けれど子供たちが立派に成長をしてくれたとき、その苦労も飛んでしまうような喜びを感じられるのかもしれないなと思いました。
子育てしてない自分が言うのもなんなのですが。
一番最初に書いたように、細田監督は普通の人が体験する日常的なありふれた出来事をファンタジーの要素でより純粋にその素晴らしさを語ることができる人であるなと改めて思いました。
ありふれた日常なのだけれど、そこにはそれぞれに人にとっての特別な喜びがある。
そういうことを再確認させてくれる作品を作っていますよね。
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