本 「三四郎」
日露戦争後の時代、九州の田舎から上京してきた学生、三四郎の周囲の人々との交流を描く、夏目漱石の作品です。
「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」のような風刺が効いた軽妙さがあるわけでもなく、後期の「こころ」などの深刻な心理などが深く描かれるわけではなく、どちらかというと淡々と物語が進んでいきます。
「草枕」はちょっと雰囲気が近いかな。
淡々と進んでいくので、ちょっと読み進めるのに力がいるという感じはしますね。
三四郎が自身で言っているように、彼が東京に出てきて認識するのが三つの世界です。
一つ目が母が属する世界、言わば彼の生まれ故郷の世界で、彼が上京していなければ彼のすべてであった世界です。
二つ目が本作の登場人物である野々宮に象徴される学究の世界。
野々宮が自身の研究室を穴蔵と言っているように、それは周囲と没交渉であり、そして自分の好きなことに耽溺できる世界と言えます。
三つ目が三四郎が思慕する美穪子が中心となる華やかな世界。
これは愛に溢れる世界であると言えるでしょう。
三四郎はそれぞれの世界にそれぞれ惹かれるものを感じ、その3つをすべて満たした世界を目指したいと考えます。
それは青年らしい願いでありますが、現実というものはそう上手くはいかないというのはみなさんがご存知でしょう。
一つ目の世界というのは、もっと抽象的にいうならば「安定している世界」と言えるでしょう。
居心地がよく、いつもの通りにことは進み、時間は流れる。
三四郎は故郷の母に、何度も幼なじみと所帯を持つようにと薦められています。
それはそれで幸せな生活かもしれませんが、そこでは変化や冒険といった心躍るようなものは「安定」と引き換えに持ちうることはできないのです。
二つ目の世界は現代でいうならば、好きな仕事に打ち込んでいける状態と言えるかもしれません。
そこには発見もあり、やりがいもある。
そして自分のペースで好きなことをやるという自由さもある。
けれどもそこには、愛といった安らぎであったり、ドキドキするような気持ちはありません。
三つ目の世界が、華やかな「恋愛」の世界であると言っていいでしょう。
結婚や生活といった「安定」ではなく、恋や愛というドキドキするような感情のやり取りのある世界。
三四郎があこがれる美穪子がその象徴であり、彼女は三四郎に思わせぶりなことを言ったり、行ったりして彼の気をもませます。
そこにはドキドキするような気持ちはあっても、心安らぐということはないのかもしれません。
乱暴な言い方をするのであれば、一つ目の世界は「結婚」「生活」「安定」、二つ目は「独身」「仕事」「知能」「発見」、三つ目の世界は「恋愛」「感情」「疑心」といった言葉で象徴できるかもしれません。
二つ目と三つ目の世界はドキドキする気持ちというのは同じなのですが、その種類が違います。
二つ目は知的なドキドキ、三つ目は感情的なドキドキと言ったところでしょうか。
一つ目の世界にはそういったドキドキはないですが、不安定さもありません。
また二つ目と三つ目は「仕事」と「恋愛」どっち選ぶじゃないですが、両立することはけっこう厳しい。
そういう意味で三四郎が三つの世界をすべて持ちたいというのは、青年らしい思いであり、それはいずれどこかで挫折するということは想像に難くありません。
この物語の最後では三つ目はもろくも崩れるわけですが。
自分の将来を夢想する、それも想像力豊かに大きくというのは青年期ならではの行為であり、本作が青春小説と言われるのも、なるほど納得することができます。
三四郎がやがて、どの世界を選ぶかというのは本作では描かれません。
どの世界を選ぶか、そしてどの世界を諦めるかということをしたとき、人はいい意味でも悪い意味でも大人になるということなのかもしれませんね。
「三四郎」夏目漱石著 角川書店 文庫 ISBN4-04-100107-2
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