「ソウル・サーファー」 堂々と受け入れる
ベサニー・ハミルトンは幼い頃よりサーフィンを始め、プロのサーファーになることを夢見ていた少女です。
彼女はサーファーとしての才能があり、彼女の夢もあながり夢では終わらないというところでした。
けれど、ある日いつものように海に入りサーフィンをしていたところ、彼女はサメに襲われ、左腕を失ってしまうという事故にあってしまいました。
これは実話に基づく物語です。
驚くべきはベサニーの揺るぎない心です。
事故のとき、彼女はたった13歳でした。
13歳という、これからいろいろと夢をみていくことができる年頃に、片腕を失ってしまうという事故に合い、それでもサーフィンにかける思いは揺るぎません。
自分であったならばおそらく「なんで私だけが」とくさってしまうというのがおちだと思います。
彼女の揺るぎない心を支えたのは何だったのでしょうか。
一つは信仰心であったと思われます。
実際のハミルトン家は敬虔なキリスト教徒であるということです。
本作でもどんなにつらいことでも、それには意味があるといったようなことが聖書から引用されていました。
彼女も家族も、これほどまでに辛いことでも何か人生にとって意味があるはずだと、神が意味がないことをするはずがないというように信じているということが心の支えになっていたのでしょう。
僕は個人的には無宗教で、神の存在は信じているわけではないのですが、辛い時に宗教というものが心を支えることができるというのはわかる気がします。
また彼女が若いということも大きかったと思います。
これから夢を叶えるために走り出そうとした時に彼女は事故に合いました。
それを諦めるにしても、それからの時間がまだまだありすぎる。
夢を諦めるって言っても、何もしていないじゃない!という気持ちが彼女の中にあったように思います。
ある程度年齢をとっていたら、諦めたかもしれない。
諦めるには彼女はまだまだ若かったのです。
そしてやはり大きいのは家族の支えですよね。
両親にしても、二人の兄にしても、彼女の思いを大切にし、見守りサポートをしていました。
家族の愛情がなくして、ベサニーは夢を叶えることはできなかったと思います。
サーフィンの試合のあとに、インタビュアーがベサニーに事故の前に戻りたいですかと(無神経な)質問をします。
けれどその問いに、「時間は巻き戻せないから」と言います。
起こってしまったことはやり直すことはできない。
それを受け入れなくては再スタートはできません。
ベサニーという少女は、他の誰と比べてもとてもたいへんな状況に陥りましたが、それを素直に受け入れます。
10代の少女であれば、片腕を失ってしまった傷を堂々と人前にさらすことというのが辛いのが普通であると思います。
けれど彼女は堂々とその姿で人前に出て、サーフィンをする。
彼女はそういう状態となってしまった自分を受け入れているから、人前にでても恥ずかしいとかそういった思いはないのでしょう。
僕は作品の中で最初に彼女のその姿を観たとき、あまりに痛々しくそして哀れに感じてしまいました。
けれど、観ていて驚いたのは、彼女が堂々とその姿を見せているうちに、その姿であることが「普通」に見えてきたのです。
ベサニーがその状態を受け入れ、普通に堂々としていることによって、周りの人々も変な気を使うのではなく、そういうことをすべて合わせてベサニーであると受け入れるようになったのかもしれません。
そういう意味でベサニーのライバルであったマリーナが、ハンデを背負っているベサニーにも容赦がなかったことは、劇中でも言っているようにベサニーにとっては嬉しかったことなのでしょう。
主人公ベサニーを演じたのは「チャーリーとチョコレート工場」でチューインガム少女ヴァイオレットを演じたアナソフィア・ロブ。
ずいぶん大きくなりましたね!
けっこうな難役だったと思いますが、危なげなく演じていました。
ベサニーの親友役アラナを演じていたのはロレイン・ニコルソン。
彼女は、ジャック・ニコルソンの娘さんだそうです。
そういえば、面影があるような・・・。
女の子的にはいいんだか、悪いんだか。
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