本 「ちょんまげぷりん」
映画「ちょんまげぷりん」の原作小説です。
お話の展開、テーマは映画も小説もほぼ同じでした(途中の安兵衛が有名になるところの件はちょっと違いましたが)。
江戸時代からタイムスリップして現在にやってきた旗本侍の安兵衛が言うことが「分相応」。
「分相応」というと、「分相応をわきまえろ」みたいなネガティブな使い方もありますが、安兵衛が言っていることはちょっとニュアンスが違います。
安兵衛が転がり込むこととなる家の、ひろ子はシングルマザー。
シングルマザーだから子育てもしなくちゃいけないし、仕事もしなくちゃいけない。
彼女は決して仕事は嫌いじゃないのだけれど、幼稚園のお迎えもあるから仕事は早くあがらなくてはいけません。
そのため仕事も中途半端な感じもあるし、子供にもいろいろ不満をもたせているというのもわかっています。
そんなとき、転がり込んできた安兵衛が恩返しということで、主夫業を引き受けてくれることとなりました。
ひろ子は仕事に割く時間ができ、それに充実感を感じます。
けれど、家に帰る時間は遅くなり、子供とふれあう時間も少なくなってしまいます。
とかく現代人は背伸びをしてしまいがちなのかもしれません。
仕事も全力、家庭も充実というのは理想といえば理想ですが、なかなかそううまくいくことは難しい。
仕事に目一杯だと家庭は疎かになっちゃうし、家事ばかり追われると仕事も十分にできない。
たぶんみんな家族持ちの人はそういうジレンマにあるわけで。
どっちも100%というのはなかなか厳しいのですね。
そういうとき自分にとってのいいバランスを探っていくといかなくてはいけないのでしょうね。
それがその人にとっての「分相応」なのかもしれません。
そのバランスはその人、その家庭によって違うでしょう。
でも自分にとっても、家族にとってもいいバランスというのを見つけていくのが大切なのでしょうね。
それはたいへんなことかもしれませんが、重要なことではあるのでしょう。
また「分相応」というのは役割を固定するということでもないのですよね。
安兵衛は侍でしたが、お役がないという状況でした。
身分はあるけれど、仕事らしい仕事がないという状態です。
けれど彼は現代にきて、お菓子作りという自分の才能を発見しました。
彼はそこで初めて仕事をするという楽しさを味わうのです。
それは身分で定められているから、それを受け入れるということでは考えられないことでした。
彼は江戸時代に戻ってから、侍の身分を捨て、自分で菓子のお店を開くこととなるのです。
これは彼にとっての「分相応」を見つけたということなのでしょう。
「分相応」というのは自分にとってやりがいのある状態、バランスというのを、与えられるのではなく自分で探っていくということなのかもしれないですね。
「ちょんまげぷりん」荒木源著 小学館 文庫 ISBN978-4-09-408467-2
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コメント
ほし★ママさん、こんばんは!
僕もこちらは本も映画も好きです。
「分相応」は「自分らしさ」っていうのもそうですし、「自分にとって大切なものは何なのか」を知るっていうことでもあるような気がします。
ひろ子は安兵衛がきて仕事に入れこむけれど、それで大切なものを失ってしまいそうになることに気づきます。
どっちが大切というのはそれぞれの人にとって違うわけで、それを自分でわかっているのが「分相応」かなって思います。
投稿: はらやん | 2012年6月15日 (金) 22時45分
こんにちは!すっかりご無沙汰いたしております。
「分相応」~自分らしくって事にもつながるのでしょうか。
原作、映画とも大好きな作品です。
私の方はずいぶん古い記事なのですが
トラバを送らせて下さい。
投稿: ほし★ママ | 2012年6月14日 (木) 19時15分
ia.さん、こんにちは!
そうですよね、頑張り過ぎちゃうっていうことは多々あるのですよね。
それでいろんなところに歪みが起きちゃったりする。
おっしゃるように自分にとって心地よいバランスを見つけられるようにしていくっていうのが大切なのでしょうね。
タイムスリップって非現実を取り上げながらも、現代に生きる我々の生き方みたいなものを考えさせてくれる作品でした。
投稿: はらやん | 2012年5月12日 (土) 05時32分
はらやんさん、こんばんは。
「分相応」っていい言葉ですね。
どうしても背伸びしたり頑張り過ぎたりする昨今、自分にとって心地よい役割分担ができると良いですよね。
侍がいる光景を楽しみながら、笑ったり泣いたり考えさせられたりする作品でした。
投稿: ia. | 2012年5月12日 (土) 00時36分