本 「デザインの教科書」
僕は学校もそうですし、今の仕事もデザインに関わっていたりします。
しかし、あまりデザインに関する本を読むことはありません。
困ったことに、昔から「お勉強」というのが好きになれず、学業や仕事に関することを「勉強しよう」と思って読むことが苦手なのです。
ただ興味を持ったことはジャンルに囚われず読んだりするので、たまたま「興味を引いた」のが本著であったわけです。
興味が引かれたのはタイトルの「デザインの教科書」の「教科書」という部分ですね。
デザインというのは新しいものを作っていくようなところもありますので、教科書的なものというのは、歴史的なものや色彩学的な法則的なもの以外はなかなか難しい。
学校で習うようなことならつまらない、でも新書ですから少し現代的な切り口になっているかもしれないと。
一通り読んだのですが、正直がっかり。
タイトル通り「教科書」的で、机上のデザイン論だなと。
著者は武蔵野美術大学の先生ということらしいので、やはりな、という感じでした。
デザインという言葉は最近はいろいろと便利に使われています。
狭義では、様々な工業製品や衣服などの立体物の造形であったり、ポスター等の平面の意匠であったりします。
しかし、広義では「システムのデザイン」とか「環境のデザイン」などと言われるように、ある思想に基づいた設計といった意味でも使われます。
なので、本著にも「デザイン」が人の生活を変える、環境問題を解決する力があるというようなことが書いてあります。
それは一面で正しいし、そうなるのが理想です。
ただ社会の現場でデザインの仕事をしていると、そういうことよりももっともっと現実的なことが問題になるのです。
限られた条件、限られた予算、限られてたスケジュールで、課題をデザインで解決しなくてはいけない。
その課題もデザインだけで解決できるとは限らない。
もっともっと根本的なシステムから変えなくてはいけないこともあります。
それも含めてデザインだろうという広義の解釈もあるかもしれませんが、それはもうデザイナーではなく、デザイナーを脱皮してさらなる高みに登らなくてはいけません。
本著を読んで思ったのは、狭義と広義のデザインがいいように使われているような気がしたことです。
目の前の課題は狭義のデザインで解決しなくてはいけません。
そのときに大学の先生がいうような広義のデザイン、理想論を持ち出しても、頭でっかちの地面から浮き上がったものになるのが落ちなのです。
学生から社会人になったばかりのデザイナーにはそういうタイプがいたりしますが。
まずは狭義でのデザインによる解決力がなくてはいけません。
若いうちはデザインの基礎体力がなくてはいけません。
理想はそれから。
だんだんと社会でデザインをやっていく中で、次第にデザインでは解決できないことというのがわかってくるようになるのです。
そこで狭義のデザインから脱皮して、広義のデザインに広がると僕は考えています。
頭でっかちのデザインをみていると、押し付けがましくて僕自身は嫌いなのです。
本著では、使う側がデザインを判断・評価するということが書いてありますが、それはまさしくその通りだと思います。
どんな理想論を掲げたデザインだろうと、受け手の評価こそすべて。
受け手にどんな思想を与えようとするようなことというのは、なんか不遜な感じがするのですよね。
ひねくれ者なのだろうなぁ、僕は。
「デザインの教科書」柏木博著 講談社 新書 ISBN978-4-06-288124-1
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