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2012年2月 2日 (木)

本 「攘夷の幕末史」

幕末史というのは興味を持つとなかなかに面白いのですが、わかりにくいというのも確かにありますね。
それはおそらく10数年という短い時間の中で、いろいろな考え方が入り乱れ、それぞれの思惑により敵になったり味方になったり、また主流になったり、追い落とされたりといったことが起こったからなのではないでしょうか。
その中で話をわかりやすくするのに使われる構図で「尊王攘夷」派VS「公武合体」派という図式があります。
「尊王攘夷」派というと長州藩なり、水戸藩なりが浮かび、「公武合体」派というと薩摩藩なり、越前藩が浮かびます。
ただ実際のところは、そんなに簡単に割り切れるものでもありません。
よく考えてみると「尊王攘夷」と「公武合体」は対立の構図になる考え方ではないのですよね。
こちらの本は当時の日本は多かれ少なかれ基本的には「攘夷」という考え方を持っていたと論じます。
その程度により(本著では「大攘夷」、「小攘夷」という)、対立が生まれていたというわけです。
確かに「尊王攘夷」派と対立すると言われる薩摩藩は生麦事件(薩摩藩士が外国人を無礼討ちにした事件)を起こしていますし、決して攘夷という考えがなかったわけではないのですね。
そもそも「尊王」という考えと、「攘夷」という考えは次元が違うものなんですよね。
「尊王」というのは(幕府よりも)天皇家を尊ぶという考え。
「攘夷」というのは、外国人を打ち払うという考え。
次元が違います。
幕府主導で「攘夷」という考え方もできますし、「尊王」で開国という考えもありうるわけです。
「公武合体」は天皇の権威を借りて、幕府を強化するという考え方なので、「尊王」とは対立するかもしれません。
だから「尊王」VS「公武合体」は考えの対立になるのですが、「尊王攘夷」VS「公武合体」は実はおかしい。
さきほども書いたように本著では、「攘夷」はこの時代の共通した認識であったということで、「攘夷か」「攘夷ではないか」は対立軸にはならないのですね。
「攘夷」の程度の問題が対立軸であったわけです。
本著によれば開国派と認識される坂本龍馬も基本的には攘夷の考えを持っていましたが、単純に戦っても外国に蹂躙されるだけなので、そのためには「開国」をして軍事力を蓄えるべしというふうに考えたということです。
いわゆる長州などの「攘夷」派は、負けるも勝つも関係なく、とにかく外国は打ち払えという考え方です。
ようは程度の問題であるのですね。
結局は日本は「開国」に向かうのですが、その後の日本の進む道にこの考え方が実は関係していると言うのが興味深かったです。
日本は基本的には「攘夷」で日本が中心であるという考えを持っていた。
しかし国力が海外に及ばないため、「開国」し国力と軍事力を充実させた。
その中でもともとの「攘夷」思想というのは綿々と続いていて、それが日清、日露の戦争、さらには太平洋戦争へと繋がっていく。
確かにこれはなるほどと思うところはありますね。
歴史というものは違った角度から観るとまた違った相が浮かび上がってきます。
これが歴史の面白いところだと思いますね。

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