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2012年2月20日 (月)

本 「すべての経済はバブルに通じる」

ぶっちゃけ経済というものはよくわからないし、特に金融となるともうちんぷんかんぷんだったりします。
けれど、最近のニュースを見ていても、やはり話題の中心にあるのは、ギリシャのデフォルトの問題であったり、ユーロ危機だったり、円高問題であったりと、経済・金融に関わることが多いわけです。
最近で世界的に大きな経済的な傷跡を残したのは、アメリカに端を発するサブプライムローン問題。
アメリカの貧困層向けのローンの問題が、なぜに日本の株価に影響を与えるのか?
さっぱりわからないわけです。
でも自分たちの生活に実際に影響を与えるわけであるので、あんまりよくわからないからと、放っておくのもなぁと。
で、この本を読み始めたのですが、とてもわかりやすい。
なぜに現在の経済がこういう状態で、サブプライムローン問題というものが起こってしまうのかというが、よくわかりました。
まさに目からウロコという感じでしたね。
タイトルにあるバブルですが、この本を読んでわかるのは現在の経済・金融システム下だとバブルは起こるべくして起こるし、また起こるであるということなのですね。
まずポイントは証券化。
そもそも証券という言葉はよく聞きますが、それが何かというとよくわかっていませんでした。
証券化というのはいくつかの段階を経て行われます。
サブプライムローンなどの債券(実物資産)から生じるキャッシュフローを権利としてまとめます。
1件、1件の債券として取り扱うのではなくて、ひとつの大きな権利としてまとめるということですね。
ここのまとめるという段階で個別案件毎のリスク(貸し倒れ)というのが、実は薄まるのです。
というのも1件、1件はそこそこ高いリスクでも、100件、1000件ともなるとそれらが全部同時に樫田折れることがなくなるので、大きな権利としてはリスクは低くなるのです。
その権利を細かく分けます。
例えばリスクは高めだけどリターンも大きい債券、リスクは低くリターンも少ない債券といったように。
それを求める投資家に売るということで証券化が成立します。
切り分ける作業がなぜ必要かというと、大きな権利だとそれに必要なコストは莫大なものになるわけです。
それを切り分けることにより、ひとつの証券自体の金額は下げることができ、投資しやすくなるのですね。
この証券化により、もともとは住宅ローン債権というだったものが、リスクとリターンという数字のみで表現される金融商品になるわけです。
証券化されることにより、もとは住宅ローンでも、先物取り引きでもなんでも、リスクとリターンという数字で表現されるのです。
そしてそのリスクとリターンというものでのみ取引されることになり、それは元々の実物資産とは乖離したものになっていきます。
金融商品は実物資産をはなれ、それ独自で肥大化していくわけなのです。
この実物から離れてリスクとリターンのみで表現できるものなる、そうすると世界中で取引しやすくなり、地域に関係なくグローバルに結びつくというのがポイントなのです。
だからアメリカのローンの問題が、結果的には日本の株価にまで影響を与えるようになるのです。

さてその肥大化していくところですが、そこの要因として大きいのが、投資者と運用者の分離です。
我々が投資などを行う時に、自らトレードする人というのはあまりいないと思います。
実際はプロに任せるわけですね。
素人が手に負えないほど、金融は複雑化しているからです。
投資者はよりもうけてもらえる運用者にお金を預けます。
運用者は投資者のお金をより増えるように動きます。
なぜならライバルの運用者より増やせなければ、まかされたお金を引き上げられて破滅してしまうからですね。
そうなると運用者はよりリターンがある証券を探そうとします。
リターンが大きい金融商品は、リスクも大きい。
このときに彼らが考えるのは、その証券がもともともっていたリスク(住宅ローンだったら貸し倒れ)を観るのではなく、その証券が誰かに高く売れるか売れないかというリスクなのですね。
儲かりそうな証券は値が上がる。
そして運用者が群がる。
そしてさらに値が上がる。
またまた群がる。
さらにさらに値が上がる。
こうしてバブルが起こります。
けれどそれでも終わらない。
バブルの時、ようはハイリスクのときほどハイリターンが見込まれるので、運用者はバブルのときほどそこから離れられなくなるのです。
だれもがその証券が売れると思っているときはバブルはいくら実質からかけ離れていてもはじけない。
しかしあるとき、なにかのサインが起こった時たちまちバブルははじけてしまいます。
もうこの証券は買い手がいなくなるのではと誰かが不安になったらダメなのです。
もうそこからは急激に値が下がるばかり。
このときのポイントはバブルだと危険だから寄り付かないのではなく、バブルだからこそ(値が上がるから)人は集まり、彼らが気にしているのはいつが引き時かということなのですね。
まるでずっとチキンゲームをやっているかのようです。
金融工学という言葉が一時期でて、もうわけのわかんない世界になったと思ったら、そこで実際やっているのは運用者の我慢比べ、度胸試しみたいなもので。
そうわかるとなるほどなと腑にも落ちたりしたんですね。
マーケットのニュースを見ていたりすると、「市場が嫌気した」とか「パニック売り」とか言っていてえらく俗で人間的な言い方をするなと思っていたのですが、こういうことを知ると、なるほどマーケットというのは、そこに関わる人の心理的要素が思いのほか大きいのだと思うわけです。
金融の世界というのは「空気」とか「雰囲気」というのが重要だというのがわかりました。
ある種、そういう気分的なものが世界の行く末を決めているというのも、そらおそろしい気もしますが・・・。

「すべての経済はバブルに通じる」小幡績著 光文社 新書 ISBN978-4-334-03466-5

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