本 「弧宿の人」
久しぶりに宮部みゆきさんの作品を読みました(多くの作品を読んでしまっているため)。
本作は宮部さんの作品の中でも評価が高い作品ですが、読んでみて僕もそのように感じました。
舞台は江戸時代で、宮部さんが今まで手がけてきた時代ミステリーとして分類されるとは思いますが、下彼女の現代ミステリーにも通じるものがあります。
宮部さんの作品には、強いカラーがあって、どうしようもないほどな悪と、とても純粋無垢な善の存在というものが描かれます。
これらはしばしば悪も善も双方ともに少年少女というキャラクターとして形をとられます。
本作でいえば、ほうという少女は純粋無垢な存在として位置します。
ただ彼女は善かというとそういう存在ではなく、劇中で舷洲という医者が彼女を「純粋無垢な穢れなき目で」と評しますが、まさにそういう悪とか善とかではないニュートラルな存在として描かれます。
それに対し、宮部作品で登場する悪というのは、今までは純粋無垢な悪としてキャラクターとして少年少女という形をとることが多かったです(「模倣犯」など)。
しかし本作は純粋無垢な悪の存在は感じられますが、その存在が明示されることはありません。
本作では様々な事件が起こりその背後には、何か悪意のある存在がいます。
琴江を殺した美弥は悪意のある人物として姿を出しますが、それだけではなくは丸海藩の跡目争いの陰にいるものなどは姿が最後までみえません。
ただそこには加賀様という存在を隠れ蓑に上手く利用して自分たちの望みを叶えようとする者たちがいることは感じられます。
そういった悪意が増殖し、そしてそれがいつしかまた悪意を隠すための嘘がいつしか実体化し、最後のほうでは集団パニックのような状態になり丸海藩に大きな悲劇が訪れます。
悪意が増殖し、その悪意の元ですらコントロールできずにそのもの自体すら滅ぼそうとするような状態になってします。
このような状態はなにも小説の中だけはなく、現実にも起こりえますし、起こっています。
なんとなく現在の原発事故以降の混乱などにも通じるような気がしてます。
原発事故自体は、本作でいう加賀様であり、それ自体は大変な問題。
けれどそれを解決しようとする裏には、政権争いとか、東京電力という会社の問題とか、役所の問題とかが絡まりあって、どんどん自体は悪化のほうに進んでしまう。
見えないエゴや悪意というのが増殖化していく過程というのが本作にも通じるような気がしました。
そういう意味で冒頭で時代ミステリーという枠には収まらないと書いたわけです。
なんというかそういうような大きな流れというのは止めようもないことなのかもしれません。
けれどほうや宇佐のように自分の手の届く範囲で自分のできる善という行いをするということは小さいことながらも大事なのではないかと考えたりしました。
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コメント
こにさん、こんにちは!
トラックバックありがとうございます。
本作は傑作の多い宮部みゆきさんの中でも上位にいきますね。
特に後半のほうと加賀様、宇佐の交流が心に響きました。
投稿: はらやん(管理人) | 2011年8月 7日 (日) 15時17分
評価が高いのに納得できる作品ですね
トラバ送りました
宜しくお願いします
投稿: こに | 2011年8月 7日 (日) 11時30分