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2011年4月30日 (土)

「スコット・ピルグリムvs邪悪な元カレ軍団」 部分的はおもしろいけど全体的にはグダグダ

「ショーン・オブ・ザ・デッド」、「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン-」のエドガー・ライト作品と言われれば、観に行かないわけにはいかないでしょう。
ということで、本日渋谷まで行ってきました。
こちらアメリカでの興行が悪かったので、日本での公開が危ぶまれたところを、署名活動により公開にこぎ着けたとか。
たしか「ホット・ファズ」もそうだったような・・・。
原作はカナダのコミックだということです。
ゲームやロックなどサブカル系へのオマージュが強く出ていた作品でした。
今までもエドガー・ライトは「ショーン・オブ・ザ・デッド」でゾンビ映画、「ホット・ファズ」で刑事ものへのオマージュを捧げまくっていましたから、適役だと言えるでしょう。
オマージュを捧げているゲームは、最近の3DCGバリバリのゲームではなく、どちらかというと一昔前のドット絵チックな「スーパーマリオ」的なものや、「ストリート・ファイター」的な格闘ゲームですね。
僕的にはこのあたりはなじみがあります。
エドガー・ライトらしく、そこここにいろんなものへのパロディ(オマージュ?)が捧げられています。
最初の元カレをやっつける決め技はほぼ「昇竜拳」(それもコンボで)でしたし。
個人的に一番ツボは最初のインド系の元カレとそのとりまきの、「踊るマハラジャ」風のダンスですね。
やはりインドといったら、このダンスでしょう。
といったようにパロディ部分はけっこう笑えるところとか、ニヤリとする場面はたくさんありました。
けれども、お話がだいぶグダグダ・・・。
正直言って、冒頭にあげた二作品ほどおもしろくはない。
部分部分はおもしろいところはあるんですけれどね。
この作品自体が妄想的な世界なのか、夢の中の場面転換がかなり激しく行われるので、ちょっとどういう状況なのかがわかりにくいところがあります。
「インセプション」みたいに第何階層とかいう設定があるわけでもなさそうですし。
話がジグザグしていてついていきにくいという感じがあります。
雑誌の「Cut」を読むと、このあたりのゴチャゴチャ感は、もともとの原作の作風のようですね。
このあたりはエドガー・ライトだけに責任を負わせられないようです。
そうなるとちょっと原作も読んでみたくなったりもします。

「ショーン・オブ・ザ・デッド」の記事はこちら→
「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン-」の記事はこちら→

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本 「迎撃せよ」

ミリタリーものは好きで、よく読みますね。
特にテクノ・スリラーと呼ばれるジャンル、例えばトム・クランシーあたりを読んだあたりは好きですね。
最新技術とか、国際情勢とかも絡んでいるので、面白く読めます。
日本でも麻生幾さん(あまりテクノという感じではないですが)とか、鳴海章さん(この方は最近はこのジャンル書きませんが)とかこのジャンルを書いている方もいらっしゃいますね。
福井晴敏さんも入れてもいいかもしれません。
本作はテクノ・スリラーのジャンルでありながら、著者は女性。
ミリタリーもので女性の作家というのは珍しいなと(有川浩さんはミリタリーと言っても、ラブ要素も強いですからね)。
本作は、北の亡国が日本にミサイルを撃とうとしていることで緊張が高まるところから始まります。
そしてさらにテスト中のミサイルを積んだ自衛隊の新鋭機が奪われる事件が発生します。
これは亡国の陰謀か、それともテロか・・・。
基本的にはこの作品は最近の日本のミリタリーものにあるテーマを柱においています。
いわく自衛隊という組織の存在意義。
国防というものをどう考えるかということ。
これは「機動警察パトレイバー MOVIE2」あたりから提示され、幾度となく小説や映画などでも取り上げられているテーマです。
ですので、正直言って目新しさはないかなと思いました。
新しいなと思ったのは、この作品が取り上げているのが、BMD(弾道ミサイル防衛システム)であることでしょうか。
ときどきミサイルに関する報道のときにでてくるPAC3というのはその迎撃システムとそのミサイルです。
あと本作でも度々でてくるのがBADGEシステム。
これはレーダーからの情報をコンピューターで解析、その情報評価、対応を助けるシステムです。
平成「ガメラ」でも劇中で登場してました。
このあたりハードなテクノロジー系の情報もしっかりと消化して書いているのは、女性作家さんなのにすごいなと思いました。
文章も軽いところがなく、しっかりとしていている方だと思いました。

「迎撃せよ」福田和代著 角川書店 ハードカバー ISBN978-4-04-874161-3

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2011年4月29日 (金)

「豆腐小僧」 映像表現、もう少し踏み込んでほしい

大好きな作家の一人、京極夏彦さんの小説を原作にした3DCGアニメーション映画です。
普通にいいお話なのですが、それゆえにあまりあとに残らない感じがありますね。
なにもできない子が、自分らしさというのを見つけて成長していくお話です。
ストーリーの構造としては定番中の定番で、お子さんといっしょに観に行くにはいい作品ですが、大人はちょっと退屈してしまうかもしれません。
3DCGの表現ですが、パンフレットによるとピクサーなどの3DCGアニメとは手描きらしさを出したということです。
うーむ、それが成功しているかというと、あまりうまくいっていないように思います。
豆腐小僧と達磨先生は、愛らしくもあってその手描き感みたいなものはいい感じででているように思いますが、その他の妖怪や人間についてはどうにも安っぽく見えました。
安っぽいというか、ちょっと一昔前の3DCGという感じでしょうか。
3Dへ手描き風のテクスチャを貼付けているという感じが出てしまっていて、そのあたりが一昔前という印象を与えるのかもしれません。
3DCGで手描き感というのもちょっと狙いとしてはどうかと思いますけれども。
それだったら手描きの2Dアニメでもよいかなとも思いますし。
ちょっと表現の狙い所があまり良くなかったかなと感じました。
収穫としては、声をあててた方が良かったところですね。
豆腐小僧役は深田恭子さん。
ぽわっとした豆腐小僧の役柄に、思いのほか深田さんの声はあってました。
「てまえは・・・」の言い方がカワイイ。
あと達磨先生の武田鉄矢さんも良かったかな。
個人的には「殺気っ!」がツボに入りました。
殺気を感じてる割には、達磨先生、あまり役に立ってないし(笑)。
キャラクターは良かったんですけれど、ストーリー的にもう一捻り、あと映像的にはもっとこなれた表現ができればおもしろくなったのかもしれないなと思いました。

原作小説「豆腐小僧双六道中ふりだし」の記事はこちら→

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2011年4月24日 (日)

「仮面ライダーアクセル」 さすがです、坂本監督!

昨年、好評のうちに終了した「仮面ライダーW」のスピンオフが、Vシネで登場です。
本作は「W」に登場したいわゆる2号ライダー(同じ作品で二人目に登場するライダーのこと)である仮面ライダーアクセルが主人公になります。
本作は先日公開された「仮面ライダー×仮面ライダーオーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE」の後日談となっていますので、照井と亜樹子は新婚さんという設定です。
オープニングでの役名はちゃんと照井亜樹子になってましたねー。
アメリカのヒーローものではスピンオフで、サブキャラが主人公になるというのはよく見かけますが、「仮面ライダー」シリーズでは初めてなんじゃないかな?
本作でメガホンをとるのは「仮面ライダーW」の劇場版「運命のガイアメモリ」の坂本浩一監督。
「運命のガイアメモリ」は今までの劇場版の中でも最高レベルの出来であったので、期待が高まっていました。
蓋を開けてみると・・・。
おもしろい!さすがです、坂本監督!
長谷川圭一さんの脚本もすばらしい!
「W」にはバディムービーらしさ、これは主人公二人のギャップ、そしてそれを越えて醸成される信頼といったようなものがあったと思います(だいたいバディムービーの主人公の二人というのは、全く逆の環境や立場であることが多い)。
それが本作は、正義を守る孤独なヒーローという極めて王道なところに立ち位置を持っていっています。
もともと「W」でも翔太郎以上にハードボイルドであった照井竜というキャラクターを主人公に据えるところから必然的に導きだされるものではあるのですが、そこをまっすぐに追求してハードボイルドなヒーローものに仕上がっていたと思います。
最後の最後までハードボイルドという主人公というのは、かえって今の時代では新鮮に見えるかもしれません。
照井竜、かっこよすぎです。
今回は変身することを封印されてしまっている場面が多くあり、生身でのアクションも多かったです。
照井役の木ノ本嶺浩さんは元々空手をやられていたそうで、生身のアクションもかなりこなしていました。
これはアクション俳優と言えるほどで、見応えあります。
特に手錠で繋がれながらのファイトシーンはスピーディでひきつけられます。
このあたりはジャッキー・チェンに大きく影響されアクションを目指したと言っている坂本監督らしさが出ていました。
そう言えば、本作でも刃野刑事のアクションシーンはおもいきりジャッキー映画へのオマージュが出されまくってました。
ジャッキーへのオマージュと言えば、エンドロールもNG集になっていました。
これはジャッキーファンが見たらニヤリとするところですよね(僕もニヤリとしました)。
あと、最後に登場するアクセルの第三のフォーム、アクセルブースター、これもむちゃくちゃカッコいいです。
ブースターがついているため、立体機動をしながらミサイルを避けるシーンがあるのですが、これをフルCGでやらずに、ワイヤーでやっているのがすごい(当然ワイヤーはCGで消してますが)。
ここはさすがアクション監督も兼ねる坂本監督ならでは。
ここは「運命のガイアメモリ」のバイクでジャンプしながら空中キックのシーンに匹敵するほどカッコいいです。
最近の技術であればフルCGは容易だとは思うのですが、アニメっぽくなってしまうのは確かにある。
そのアニメっぽさというのは、本作のハードボイルドさとはなかなかマッチしにくいと思われます。
だからこそ現場でのワイヤーアクションから醸し出されるリアル感というのを大事にしたのでしょう。
あまり触れませんでしたが、ストーリーも「W」の世界観を大切にしながら、「アクセル」としておもしろく仕上がっていました。
いや〜劇場版として公開されても遜色のない出来でありました。
こうなると夏に発売のスピンオフ「仮面ライダーエターナル」にも期待をしちゃいます。
本作から引き続き、坂本監督が担当されます。
「エターナル」は「仮面ライダー」シリーズ史上初、悪役ライダーが主人公という話になるということ。
どんなふうになるんでしょう。

そう言えば、「スパイダーマン」の悪役「ヴェノム」がスピンオフで公開されるって話はどうなったのだろう???

「仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ」の記事はこちら→

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「GANTZ PERFECT ANSWER」 何故に人は戦い続けてしまうのか

前作がいくつかのミッションを通じて、アクションをかなり見せる作りだったのに対して、本作はどちらかと言えば、GANTZ玉の「謎」というところに比重が置かれていたような気がします。
もちろん本作も、地下鉄車両の中でのアクションなどは見応えあるところがありますが、やはりGANTZ玉の「謎」、そしてこの不条理な戦いをどのように終息させるのかというドラマの部分に力が入っていました。
ですので、物語の牽引力はかなり強く、ぐいぐいと引っ張られていくところがありました。
本作では前半は新たな登場人物も多く登場し、そして新たな謎(小さいGANTZ玉、現実の世界にもいる黒服星人、現実の人びとにも被害を与えてしまう戦いなど)が提示され、最初はやや情報過多のような気もしました。
それでも、新たな展開が多くてついていけなくなる寸前ぐらいで、ギリギリに物語のバランスをとっていたかなと。
もっと展開が早くて多かったら、ぐちゃぐちゃになっていたかもしれません。

<ここから先はネタバレ注意です>

第二部である本作のテーマは「何故に人は戦い続けてしまうのか」ということでしょう。
玄野にしても、加藤にしても、最初のきっかけは無理矢理GANTZに召喚されて、戦いを始めさせられます。
けれども彼らは、戦いを忌避しつつも、戦い続けます。
言うなれば戦いに意味を見いだしてしまうのです。
他のメンバーもそうです。
それは「大切な人を守るため」であったり、「誰かを救うため」、「自分自身が助かるため」であったり、「復讐するため」であったりするわけです。
最初は戦う理由はなかったのに、戦っていくうちに理由ができ、それが目的化してしまう。
そして戦いを続けていく。
戦いのサイクルができていってしまうのです。
現実の世界であっても各地で紛争が起こり、そして続いているのは同じようなサイクルができてしまっているのかもしれません。
それだけに「何故に人は戦い続けてしまうのか」という命題を掲げているのは、なかなかにチャレンジであると言えます。
その命題に明確な答えを人類はまだ出せていないのですから。
もし安易に「愛で負の連鎖を断ち切ろう」とか「許しあおう」などという展開になったとしたら、個人的にはげんなりしてしまったように思います。
その命題に対して人類は明確な答え、つまりPERFECT ANSWERをだせていないのに、綺麗な理想主義で答えてしまったらそもそもの命題の重さが薄らいでしまう。
普遍的な答えでないにしても、命題の重さを軽くすることではない答えを提示しなくてはいけないわけです。
それはかなり重い答えではあるとは思いますが、本作はそれにふさわしい一つの答えを提示したと思います。
最後の玄野の決断は、究極の自己犠牲により他者を救うということでした。
GANTZの正体は明示されていませんが、ほぼ神に近い存在と言えるでしょう。
ただ神ほどに完璧普遍ではなく、寿命がある存在として描かれています。
僕がイメージしたのは、キリスト教におけるイエスのような存在です。
しかし本作のGANTZは神にも及ぶ力を持ちながらも、もしかすると精神は幼かったのかもしれません。
何かの拍子に人類を使って戦いを始めてしまったものの、先に上げたような戦いの意味が連鎖的に発生してしまい、GANTZ自身もその戦いを止めるわけにはいかなくなってしまったというようなことになったような気がします。
ここにGANTZ自体が全能の神ではなく、神に近い存在である限界点があると思われます。
GANTZは自分の寿命を覚り、そこで自分が始めてしまった争いをなんとか終息させたかったのだと思います。
そこで最後の玄野の決断があった。
だからGANTZは「くろのくん、ありがとう」というメッセージを出したのでしょう。
GANTZ自身も戦いを終えたかった。
けれど戦いは止められない。
その戦いを止めるには、自分の代わりに神に近い存在になる者が、その意志で戦いを止めなくてはいけない。
その新たな神に準じる者は、人類の戦いの罪を一身に背負い、自らの人生も捨て、ただ戦いを止めるためだけに存在することを決断しなくてはいけない。
これは人類の原罪を背負ったといわれるイエスに通じるものであるなと思いました。
その決断は重く、誰でもできるものではありません。
そのために「何故に人は戦い続けてしまうのか」という命題に対しての普遍的な答えにはなっていないのですが、少なくともその問いの重さを減じてしまうような答えではありません。
そういう意味で、究極の問いに対して、うまく着地をしたと思った次第です。
玄野の決断を観た後に思い返すと、彼が加藤に言った言葉「オレのことは忘れてくれ」という真の意味がとても心に響きます。

最後に知っている方だけしかはわからないとは思いますが、最後の玄野の決断は「仮面ライダー剣」の最終回における主人公剣崎の決断と非常に似ているなと思いました。
影響されたとは思いませんが、戦いを止めるためには誰かが一身にその罪を背負わなくてはいけないというのは、やはり切ない。
両作品ともに、全体としてはハッピーエンドながらも切ない後味があるものになっていました。

第一部「GANTZ」の記事はこちら→

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2011年4月23日 (土)

本 「道をひらく」

自分にはよくない性分があって。
ちょっとひねくれたところがあり、流行っているものとか、強く薦められたりすると、かえって乗り気がしなくなるようなところがあります。
この本も当時の上司に買ってまでして渡されていたのにも関わらず、そのまま「積ん読」になってました(たいへんスミマセン)。
奥付けをみてみると、初版が出たのは、1968年で自分が生まれた年!
自分が持っている版は2000年だったので10年近くほったらかしていたことになります(重ね重ねスミマセン!)。
けれど、ちょっと今回手に取って読んでみたら、すごく感銘を受けました。
というより今という時代に読んだからこそ、感銘を受けたのかもしれません。
本著の著者は「経営の神様」と呼ばれた、現パナソニックの創業者松下幸之助さん。
彼が書いた短いエッセイが見開きでひとつ。
現代で言えば、ブログのようなもののような感じです。
この一言一言、戦後最大の危機と呼ばれる現在の状況を目にして呆然とする我々に、導いてくれるようなものになっています。
例えば、ちょっと長くなりますが、引用させていただきます。

「この日本の国に
活力にみちた青春をもたらさねばならない
勤労者も 学生も
経営者も 家庭の主婦も
あらゆる職業の あらゆる人びとが
自分の殻をぬぎすてて
みずみずしい光のなかへ躍り出よう
日本人すべての 平和と幸福と繁栄の道を
躍動する心で 今こそ真剣に考えるのだ」

「ながい一生のうちに 人はいくたびか
自分の将来を左右する岐路に
血のにじむ思いで 立たねばならない
ながい歴史のうちに 国もまた いくたびか
みずからの行くすえを鋭く見きわめるべき
意義深い時期に みまわれるー
緑ゆたかな国土 香り高い伝統と歴史
そこに培われた 民族の優れた素質
この日本の未来を いま静かに 見きわめたいー」

なんというか危機的状況を迎えている今の日本の姿を見越したような言葉の数々・・・。
よく考えてみると、それも不思議ではないのかもしれません。
松下幸之助さんは戦後の焼け野原から、日本が苦しみながらも復活してきた姿を見、それを牽引してきた本人でもいらっしゃられるわけですから。
今の状況は戦後のたいへんな状況と似通っているのかもしれません。
そう考えれば。
今の状況を決して悲観しする必要はないかもしれません。
少しずつではあるけれど、つまづきながらではあるけれど、日本人は復活の歩みを止めることはありません。
いつかはよりよい姿へ、戻り成長していく時代はくるでしょう。
だからこそ、我々は将来の姿というものを今こそ夢見て、行動する必要があるのでしょう。
勇気と希望を与えてくれる本でありました。

今になって知ったのですが、この本を出版しているPHP研究所というのは、松下幸之助さんが設立したんですね。
PはPeace(平和)、HはHappiness(幸福)、PはProsperity(繁栄)を意味しているのだそう。
すごい人だ・・・。

「道をひらく」松下幸之助著 PHP研究所 文庫 ISBN4-569-53407-4

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2011年4月17日 (日)

「スケバン刑事(1987)」 戦う美少女の原点

「エンジェル ウォーズ」を観てきたというのは、昨日の記事で書いたとおりです。
セーラー服姿の美少女バトルと言えば、原点はこれだよなぁということで、南野陽子さん主演の「スケバン刑事」(劇場版)を観直してみました。
こちらの映画が公開していたときは、僕は高校生でアイドルにも興味がある年頃ですから、もちろんテレビシリーズも観てました。
どちらかというと南野陽子さんよりは、三代目の浅香唯さんのほうが好きでしたが。
本作は1986年に放映されたテレビシリーズ「スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説」の後日談です。
この1986年というのはエポックな時期であると思われます。
なぜならこの年は「エイリアン2」の公開年でもあるからです。
「エイリアン2」と言えば、やはりシガニー・ウィーバー演じる主人公リプリーが女性ながらも大バトルアクションを繰り広げた作品です。
それまではアクション映画での女性の役割と言えば、守られる側であったことが多かったですが、「エイリアン2」のリプリーにより、戦う女性、強い女性というのが、それからのトレンドとなっていきます。
偶然ですが、当時の日本は「スケバン刑事Ⅱ」で美少女アクションというのが成立してきました(「エイリアン」も「スケバン刑事」も2作目で大きくアクションに方向性を降ったというのは偶然ながら面白い)。
その後、「スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇」、「少女コマンダー IZUMI」、「花のあすか組」と続いていきますが、ここでこの路線は途絶えます。
しかし、その流れは実写からアニメのほうに受け継がれており、今の日本のアニメといったら、戦う美少女だらけです(よく知らないですが)。
そういう意味で日米ともに、戦う女性という方向性が示されたということで、1986年というのはひとつ区切りとなる年ではないかと考えられます。

改めて本作見直してみると、けっこう「エンジェル ウォーズ」との類似点が上げられます。
ある施設に閉じ込められた若者たち、彼らは大人の都合のいいように扱われ、自分たちの自由はない。
そういう監獄から脱出するために若者たちは立ち上がる。
このあたりのストーリーの骨子は似ています。
「エンジェル ウォーズ」でもロボトミー手術が出ていましたが、本作でもそれらしき場面があります。
反抗した生徒を人体実験したような描写(杉本哲太さん。高校生に見えない!)もあります。
そういえばセーラー服にアーマーをつけるというのも、本作が原点かもしれないですね。
本作で生徒たちが閉じ込められている学校は、当時社会問題となっていた「戸塚ヨットスクール事件」などの風刺も窺えます。

本作は「Ⅱ」の放映終了後、「Ⅲ」のオンエア中に公開されたので、現役スケバン刑事の風間唯(浅香唯さん)の客演(客演と言ってもかなりでていますが)も用意されています。
このあたりの仕掛けは東映らしい(「マジンガーZ対暗黒大将軍」でのグレートマジンガー登場とか、最近の「仮面ライダー」劇場版での新ライダーお披露目とか)ですよね。

「エンジェル ウォーズ」の記事はこちら→
松浦亜弥さん主演「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」の記事はこちら→

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2011年4月16日 (土)

「エンジェル ウォーズ」 ザックはさしずめノリノリDJ

「300」、「ウオッチメン」のザック・スナイダー監督が、自身のオリジナル脚本で挑んだ最新作です。
セーラー服とブロンド美少女、日本刀と機関銃、鎧武者とパワードスーツ、ドイツ軍とゾンビ、ドラゴンと双発飛行機・・・。
ザック・スナイダーが今まで観てきてお気に入りなものをすべて放り込んでごった煮にしたようになってます。
日本のアニメやテレビゲームなどのいわゆるオタク文化、ハリウッドの古典の戦争映画から最新のSF映画やファンタジー映画のジャンルムービー、CG・ワイヤーアクションなどの最新映像技術など、彼が影響されたものが溢れんばかりに詰め込まれています。
本作のいろいろなシーンの原典もあげてみようかとも思ったのですが、ネタもとはけっこうなボリュームになりそうなのでキリがないですね。
マイナーなところでいくつか。
最初の頃に出てくる機関銃を持った鎧武者は、「未来忍者」「GARO」などを監督していて独特の世界観を持っている雨宮慶太さんの影響があるのではないかな。
特に笠をかぶっていたやつは、もろに雨宮さんのデザインの雰囲気でした。
ゾンビのドイツ兵は押井守監督の「紅い眼鏡」のケルベロス隊からきているじゃないでしょうか。
目が紅く光っていたし。
むちゃくちゃマニアックです(それについていく自分もどうかと思うが)。
自分がリスペクトしたものを映画の題材にするというのでは、タランティーノなどもそうですが、ザック・スナイダー、趣味が相当偏っている・・・。
タランティーノは少し古い時代のB級映画への思い入れが強いですが、ザック・スナイダーは90年代以降のオタク文化への傾注が強い感じがしますね。
まさにアキバ世代?
そういう感じなので、ぶっちゃけストーリーとかに注目してもしょうがないかと思います。
話の構造としては「インセプション」ばりの3重構造になっているのですが、そこに深い哲学的な意味を見ようとしても仕方がないかなと。
本作について言えば、その構造はザック・スナイダーが、好きなものをぶち込むために作った舞台のようなものなのだと思います。
それはザック・スナイダーも自覚的で、オープニングやエンディングまで「舞台」というのがキーになっていたことからも窺えます。
ザック・スナイダーというのはやはりビジュアリストでどちらかというとストーリーよりも、こんなビジュアルが観てみたいということが、創作のエネルギーになっているような気がします。
本作ではそのエネルギーが爆発したのかなと。
特にバトルシーンのアクションのテンポの良さ、キレの良さというのは、「300」の頃から感じられる彼独特のリズムで仕上がっています。
ある種の快楽的なリズムであり、ミックスであるような気がします。
ガンガン音楽が流れているクラブのような感じに近いかな。
さしずめ、ザック・スナイダーは自分の好きな曲をかけまくっているノリノリなDJのような立場でしょうか。
ついていける人はノリノリで観れて、ダメな人はそそくさと出口に向かうという感じ。
僕はノリノリで観れました。
こんだけ自分の趣味を爆発させて、ザック・スナイダー、フィルムメーカーと揉めないのかと余計な心配をしたくもなってしまいます。
とはいいながらも彼は今までの作品できちんと実績を出しているから、趣味丸出しでもOKしてもらえたのかな。
やっと自分の趣味を押し通せる立場になれたのでしょうか。

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2011年4月15日 (金)

「ガリバー旅行記」 自然なミニチュア感

「ガリバー旅行記」と言えば、誰でも知っているイギリス文学です。
そんな有名なお話がジャック・ブラック主演で映画化されました。
ポピュラーなお話をいまさらと思うかもしれませんが、小人の国に紛れ込んだ人間という画はやはりCG技術が発達した現在において、映像化するには格好の素材だと思います。
普通に暮らす人間の街並を巨人がのっしのっしと歩くというのは、理屈抜きにセンス・オブ・ワンダーなビジュアルなんですよね。
日常の中に違和感が闖入してきたというビジュアル・ショックがあります。
そういえば日本でも「ウルトラQ」で「1/8計画」という名作がありました。
最新のCG技術でおとぎ話的な設定を映像化した本作ではありますが、小人の国の「自然なミニチュア感」がでていたと思います。
この「自然なミニチュア感」というのはなかなか加減がむずかしい。
現実離れしたCGっぽいのでもなく、ほんものと見まごうばかりのリアリティでもない。
この作品の映像から感じるのは、「あたかもミニチュアを撮影しているようなリアル感」なんですよね。
本作は絶妙な匙加減になっていて、「自然なミニチュア感」がうまくでているように思いました。
今回のオープニングのショットは、最近のデジカメにはよく搭載されているミニチュアライズ機能(撮った風景写真がミニチュアのように見えるようになる)のような画になっていて、そういうところから今回の映像作りは「自然なミニチュア感」を大事にしたのだろうなと思いました。
このあたりの映像のおもしろさというのは、ストーリーとは別の視点で、映画を楽しむポイントですよね。

ジャック・ブラックはいつもの通り「お調子者のデブ」という愛されキャラです。
こういういい加減なわりに愛されるキャラクターというのは、ジャック・ブラック以外にはなかなかいないですよね。
このジャック・ブラックのキャラクターが古典的な「ガリバー旅行記」という物語を、今風というか現代人でも感情移入しやすい物語にしていると思います。
物語は古典を現代風にアレンジし、いくつか捻りを加えていながらも、ストーリーラインとしてはオーソドックスで安心して観れます。
親子で観賞しにいくにはいいかもしれませんね。

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2011年4月10日 (日)

「塔の上のラプンツェル」 伝統と新風

「『ラプンツェル』って、あれか、ブッシュ(息子)元大統領が喉に詰まらせたやつ?」
「それは『プレッツェル』や!」
というボケはさておき。

「ラプンツェル」というのは本作の主人公であるプリンセスの名前です。
本作はディズニーの長編アニメ50作品目ということで、「白雪姫」から続く伝統を持つディズニーとしてはやはりプリンセスもので、ということなのでしょうか。
元ネタはグリム童話の「髪長姫」というお話ということ。
僕はオリジナルは知りませんでしたが。
基本的には、不幸だった身の上のプリンセスが、愛する人と巡り会い、困難な出来事を乗り越えて、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし、といったプリンセスものの王道のお話です。
とはいえ、伝統的な物語の構造だとしても、その味付けは現代風にうまくアレンジされています。
まずは主人公のラプンツェルの人物造形。
最近のディズニーのプリンセスものの多くはそうなってきていますが、現代らしくプリンセスであっても明るく、そして前向きで行動的に描かれています。
愛しい王子様が来るのを待っているのではなく、自ら王子様(本作は泥棒ですが)の危機を救おうと行動します。
行動的なプリンセスはイキイキと描かれていて、現代の女性、子供たちからも共感をもって受け入れられるのではないでしょうか。
日本語吹き替え版を観賞しましたが、ラプンツェルの声をあてている中川翔子さんがベストマッチ。
明るく元気なキャラクターにぴったりしていたと思います。
ディズニーらしいドタバタしたコメディタッチの場面(フリンとマキシマスの絡みとか)や、挿入されるミュージカルシーンは、もはや伝統芸の域に達しており安心して観ていられます。
あと本作は3DCGアニメで作られていますが、これが非常に美しい。
このあたりはピクサーの技術がディズニーにも注ぎ込まれているのでしょう。
後半、王女の誕生日に光が舞うシーンは息を飲むほどに美しい。
実写でも、手描きでも表現できない領域に、3DCGアニメは入ってきているのだなと思いました。
それ以外でも森の中に立つ塔も美しいし、都の風景も非常に活気溢れて描かれています。
キャラクターの表情のイキイキとしたところはかつての3DCGアニメでは考えられないほどですし、カメラワークの自在さもCGならでは。
ディズニーらしいDNAを持ちながらも、新しい技術と演出で現代にふさわしいプリンセスものに仕上がっていると思います。

ジョン・ラセターがディズニーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任してから、ディズニーアニメは質が急激にあがっているように見えます。
彼は、先ほど書いたようなディズニーのDNAの大切にしながら、新しい表現をうまく取り入れているように見えます。
20年くらい前の一時期ディズニーアニメというと古くさい印象になった時期がありましたが、うまく再生できているように思います。

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2011年4月 9日 (土)

「トゥルー・グリット」 見方を間違えた・・・

「バートン・フィンク」、「ノーカントリー」などの奇才コーエン兄弟の西部劇です。
コーエン兄弟の作品というのは、この二人でしか撮れないような作品が多いわけで、僕なんかは作品を観る時はけっこう気合いをいれて脳みそフル回転しながら観ていたりするわけです。
このカットはどんな意味があるだろうとか、これはどんな展開になるだろうとか。
本作はコーエン兄弟が、本格の西部劇を手がけるということでしたので、どんな風に彼らが西部劇を解釈するのだろうと身構えながら観に行きました。
物語は父を殺された少女マティが、相手にその罪を償わせるために保安官を雇い、追跡を行うというもの。
その保安官は腕は確かですが、酔いどれでかつ老いぼれなルースター。
二人の追跡行が始まります。
タイトルにある「True Grit」は「真の勇気」という意味で、これはまだ幼いにも関わらず困難を前にしても心が揺るがないマティの勇気、そしていい加減な酔いどれに見えながらも心には強い正義を求めるルースターの心を表しているのでしょう。
最後のルースターと、お尋ねものの1対4の決闘のシーンなどは往年の西部劇を髣髴させるところもありました。
しかし、観ながらずっと僕は「これはコーエン兄弟の作品だから、油断してはならない」と変な気合いを入れて観ていたので、最後まで見終えたとき「あれ、まっとうに終わってしまった。これ以上なにもないの?」と妙なもの足りなさを感じてしまったのです。
普通にいい話でした。
コーエン兄弟がこういう王道の物語を撮るということがけっこう意外でした。
たぶん観賞にあたっての気持ちの入れ方を間違えてしまったのでしょう・・・。
コーエン兄弟の作品だからという色眼鏡で観ずに、素直に物語を楽しむスタンスで観ればよかったと激しく後悔。
ナチュラルに観れば、感じ方も違ったのだろうなぁと思いました。
何事も先入観を持って挑んではいけないなと反省しきりとなりました。

ジェフ・ブリッジスは年をとってきた最近は円熟味を増して、いい味が出てきた感じがしますよね。
なんというか、いい役も悪い役もできて、だからこそ観ていて油断がならない感じというポジションですよね。
この人がでてきたから、こういう話になるだろうとわかるんではなく、ジェフ・ブリッジスの場合はどっちに転ぶかわからない。
だからこそ、けっこう本作も捻るのじゃないかと思ったりもしたんですよね。
そう考えるとまさにコーエン兄弟の術中にはまった感じもしたりします。

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「KAMENRIDER DRAGON KNIGHT」 オリジナルとは違ったおもしろさ

こちらは日本で2002年に放映された「仮面ライダー龍騎」のアメリカでのリメイクになります。
スーパー戦隊シリーズをリメイクしている「パワーレンジャー」と同様、アクションシーンの一部は日本の「龍騎」から流用がありますが、キャストなどが登場するドラマパートはすべてアメリカの俳優で新しく撮影されています。
ストーリーや設定もオリジナルと共通の部分もありつつも大きく変更されています。
大きく異なるのは、明確な敵である侵略者ゼイビアックスという存在があることでしょう。
オリジナルの「龍騎」は明確な敵は存在せず、ライダー同士がそれぞれ信じる「正義」の違いにより、戦いあうという物語でした。
けれども「DRAGON KNIGHT」は侵略者から地球を守るという明確な目的があります。
ただそうだからといって、子供向けの勧善懲悪な物語となっているわけではなく、オリジナルにもあった相手への信頼、裏切りみたいなものがより明確になって描かれているように思いました。
シリーズ前半は仮面ライダーという存在、そして地球と裏表の関係にある惑星ベンタラの存在という謎というものが核になります。
また主人公キット・テイラー(これはオリジナルの城戸(きど)真司からとられている)が、あの手この手で彼をだまそうとするゼイビアックス、そして彼に従うライダーたちに翻弄され悩み、そしてライダーとしての自覚を持っていく過程を描いていきます。
シリーズ後半は、もともとベンタラのDRAGON KNIGHTであり、キットと裏表の存在であるアダムの苦悩が描かれます。
アダムはゼイビアックスにだまされ、ベンタラを滅ぼすことに手を貸したということに悩み、それでも人質に恋人をとられていることで、地球侵略に手を貸すことになります。
オリジナル龍騎の「劇場版」のリュウガのような存在ではあるのですが、あれほど心が真っ黒ではなく、逆に自分が裏切ったことへ悩みながら生きている人物として描かれています。
このあたりは本作ではかなり深く描かれており、「DRAGON KNIGHT」の後半の主人公はアダムであると言ってもいいほどです。
アクションシーンは日本のオリジナルの映像を流用しているところも多いですが、新しいストーリーに違和感なくうまく組み込んでいます。
新撮のアクションシーンも多く、ここはけっこう派手な立ち回りになっていて見応えありますね。
本作、観る前は「龍騎」を子供向けにアレンジしたものだと期待はしていなかったのですが、ストーリー、アクションともにかなりおもしろいものに仕上がっています。

日本語吹き替えで見たのですが、声優陣は日本の仮面ライダーに縁がある方が多く担当されていたのもい嬉しいところ。
レンの声はオリジナル「龍騎」でまさに蓮を演じていた松田悟志さんがあてていましたが、やはり仮面ライダーウィングナイト(オリジナルではナイト)の声はぴったりですね。
ライダーに変身するときは、日本では「変身!」と」いうかけ声が定番ですが、こちらの「DRAGON KNIGHT」では「仮面ライダー!」というかけ声で変身します。
これが日本語吹き替えでも英語的発音で「仮面ライダー!」(ライダーのRが巻き舌ね)というのが、初めはとまどいます。
でも見ていくうちに慣れてしまうのがおかしい(笑)。
さあ、みんなもいっしょに「仮面ライダー!」。

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2011年4月 8日 (金)

「ザ・ファイター」 愛情からの自己投影、または自己投影からの愛情

本作はボクシングを題材にした作品ですが、「ロッキー」のようなサクセスストーリーではありません。
いや、主人公のミッキー・ウォードは最後には世界チャンピオンになるので、そういう点ではサクセスストーリーなのですが、それが主題ではないのです。
僕は人の愛情というものが持つ業のようなものを描いていると言えるような気がします。
家族にせよ、恋人にせよ、相手に対して愛情を持つということは相手に対して思い入れをするということ。
これは当然のことです。
けれど、その愛情というものの裏側にはある種の自己投影のようなものもあります。
または自己同質化のようなものです。
これは例えば子離れできない親や、恋人には自分と同じように感じてほしいと思うような気持ちです。
このような気持ちは相手を愛すればこそ、ということから発するのですけれど、それが愛情から発するが故に、愛される側からすれば強い束縛となります。
本作でいえば、弟ミッキーへ自分が果たせなかった夢を託そうとするディッキーであり、恋人であるシャーリーンもミッキーへの想いにはやり直したいという自分の気持ちを重ねている部分も少なからずあります。
この愛情から発せられる自己投影(自己投影から発せられる愛情とも言える)は縛られる方も、縛る方に愛情を持っていたりするので、またそのしがらみが重く強くなってしまうものなのです。
主人公ミッキーはまさにそうで、母親への愛情、兄への尊敬の念、恋人への気持ちといった、彼自身も相手への情を持っているので、彼ら彼女らからの縛りを無下に断ち切れません。
ミッキー自身の夢は、彼ら彼女らの夢と一見同一には見えますが、微妙に違います。
映画を観ている僕たちは、その違いは感じられます。
ですので、ディッキーも、ミッキーの母親も、もしかするとシャーリーンもその行動はミッキーの気持ちを考えていないようにも見えます。
けれども彼らは疑いもなく、それがミッキーのためになると思って行動しているのです。
周囲の人々は、ミッキーの夢に、自分自身の夢をかぶせてみているのです。
兄も母親も恋人もミッキーを愛し、彼にとって良かれ、と思って行動しているのですが、それは微妙にミッキーが求めるものとは違うのです。
本作ではこのような相手の中に自己を投影してしまうという業をもった愛情というものが描かれています。
じゃ、この自己投影や自己同質化というものがないほうがいいのかと言ったらたぶんそうではないのでしょう。
というより愛情というものと自己同質化はたぶん切っても切り離せないようなものだと思うのです。
少なからずどんな愛情にも多い少ないはあるにせよ、存在するのかなと思ったりもします。
ゆえに、業なのかなと思うのです。
本作ではそういう愛情の持つ業を、登場人物たちがそれぞれにそれぞれのレベルで認識し、それをミッキーが受け止め、そして彼と彼らの夢を叶えるというところに醍醐味があります。
一番最初に書いたように名もないボクサーが世界チャンピオンになるというサクセスストーリーなのですが、そこには深い人間描写があるなと思いました。

ディッキーを演じたクリスチャン・ベールの役作りっぷりが見事です。
これはアカデミー助演男優賞をとったのも頷けますね。

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2011年4月 7日 (木)

本 「シアター!2」

やはり続編が出版されました「シアター!」。
あとがきによれば、3部作になりそうな感じですね。
有川浩さんと言えば、やはり「図書館戦争」シリーズが有名です。
あちらも二作目「図書館内乱」は、主人公というよりは、その周辺のキャラクターのそれぞれのエピソード、特には恋バナ系がサブストーリーとしてとりあげられていました。
本作「シアター!2」もまさに同様の流れになっています。
そういう意味で、本作は有川浩作品としては王道的なタイプと言っていいでしょう。
有川さんの作品はサブキャラクターも魅力的な人物が多いので、こういう展開は個人的には好き。
シアターフラッグの中でもいくつかの恋バナが進んでいるようで、さてさてどの恋が結ばれるのでしょうか。
ディープインパクト&鉄血宰相、泣き虫主宰&看板女優、二枚目担当&なにわリアリスト、うっかりスズべえ&ニックネーム・マスター。
有川さんだからすべてをうまくまとめてくれることでしょう。
意外だったのは、後半の二組。
こう、きましたか。
あれ、石丸くん、秦泉寺くん、黒川くんは相手見つかってないねー。

やや今回は鉄血宰相の出番が薄い感じもしましたが。
でも「図書館戦争」シリーズも3作目以降は、主人公あたりが前に出てきたから、3作目でまた前面に出てくるでしょう。
新作、待っていたいと思います。

「シアター!2」有川浩著 メディア・ワークス 文庫 ISBN978-4-870280-5

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2011年4月 3日 (日)

本 「テレビ進化論 -映像ビジネス覇権のゆくえ-」

インターネットが急激な伸張をしているからといって、テレビというメディアは現在でも影響力が大きいというのは変わりません。
けれども、確実に変わる、というより変わらないとやっていけないという状況であるのは間違いないと思います。
今年の夏からの地上波デジタル放送への全面移行。
動画を扱ったインターネットの各種サービス、Appleなどの動画配信サービスの展開。
今までの状態でテレビが変わらないわけないと思いますが、テレビ局そのものはなんら変わらないようにも見えます。
なんで変わらないのか(もしくは変われないのか)、畑違いの人からみると疑問に思えると思いますが、そのあたりの構造というのをわかりやすく解説しているのがこちらの本になります。
僕もいわゆる「ギョーカイ」とは少しかすった仕事をしていたりします。
そういうときにいつもほとほと困るのは「ギョーカイの慣習」っていうものが、かなり強いということ。
普通のメーカーなど企業というのは、周辺環境の変化に合わせていろいろと仕事の仕方や仕組みを変えていくものです。
そうでないと生き残れない。
けれども「ギョーカイ」は様々な既得権益があり、それらがからみあっていて実は新しいことっていうのはなかなかやりにくい。
なんとなく先進的な分野に思えますが、実のところ因習が根をはっている世界と言っていいかもしれません。
なぜそうなっているのか、そして今後どう変わっていく可能性があるのかというのが、こちらの本では描かれています。
僕個人としてはテレビ業界というのは、変わらなくてはいけないし、変わらないとやっていけないと思っています。
先に上げた環境変化というのもありますが、今回の大震災はメディアにも大きな影響を与えると思います。
まず広告クライアント側のものの考え方が確実に変わる。
当然のことながらコミュニケーション戦略も変わらざるを得ないでしょう。
そうしたらギョーカイも変わらないわけにはいけなくなると思います。
社会の仕組みごと大きく変わることが考えられる中で、テレビ業界だけが今までの既得権益を守っていけるというわけがないと思うのです。
もし、ギョーカイが変わらないことを選択するのであれば、いつか一般視聴者もクライアントも代替メディアを探していくような感じがします。
それだけの危機感を感じていってほしいと思います。

「テレビ進化論 -映像ビジネス覇権のゆくえ-」境真良著 講談社 新書 ISBN978-4-06-287938-5

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2011年4月 2日 (土)

「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」 時代は揺るぎないヒーローを求めている

今年は「仮面ライダー」シリーズ放映40周年、東映60周年ということで、その記念ムービー「「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」が制作されました。
「オールライダー」と銘打ったのは、1年半くらい前の「劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」ですが、こちらの作品は「平成仮面ライダー」10作品目ということでの記念映画でした。
ですので、「オールライダー」と言いつつも、やはり「平成仮面ライダー」が主でした。
けれども本作は「仮面ライダー」40周年ということですので、「昭和仮面ライダー」、なかでも1号、2号がほぼメインと言ってもいいくらいになっていました。
40年、ほぼ「仮面ライダー」といっしょに時を経ている僕としては、やはり1号、2号にスポットがあたるのは嬉しいところです。
今回は記念作品ということで、1号の声は1作目で本郷猛を演じた藤岡弘さん、2号を一文字隼人の佐々木剛さんがあてていたのも、嬉しかったですねぇ。
「待てぃ!」「悪は許さん!」とか藤岡さんの声で言われると懐かしすぎて鳥肌立ちます。
藤岡さんはまったく声が変わりませんね(鍛えてるから?)。
佐々木さんはちょっとおじいちゃんっぽかったけれど(笑)。
V3の声は宮内洋さんがあてていて、久しぶりにオリジナルの「V3りゃぁ!」が聞けました。

現在放映されている「オーズ」の世界に、1号、2号をからませるのですから、かなり脚本は力技で構成していたと思います。
かなり無理をしている部分もありましたが、「電王」というなんでもアリの世界観の助けも借りて、破綻ギリギリのところで持ちこたえていたかなと。
このあたりはお祭りムービーなので、よしとしましょう。

それでも「オーズ」や、「電王」それぞれの世界観もきちんとうまくふまえ、それをストーリーにきちんと織り込んでいるところは、さすがです。
「オーズ」で言えば、ショッカーに支配されている世界で、ミツルが仲間が捉えられたときに見捨てようとした時に、オーズである映司は「やれるところまでやろう」と言います。
テレビ本編ではまだ映司の過去は明らかになっていませんが、彼が過酷な状況を見てきており、それでも前向きさを失わないという彼のモチベーションが、この場面にも出ていました。
彼の迷いのなさというのは、「平成仮面ライダー」を始め最近のヒーローの「悩めるヒーロー」という姿とは異なります。
これは前作の「W」の時からだと思いますが、「仮面ライダー」が悩まなくなってきたなと。
ある種、昭和ライダーの時のような「正義は必ず勝つ!悪は許さない」というわかりやすさに回帰してきているのかなと、本作を観て改めて思いました。
ある種、普段の生活からして悩めることが多いし、テレビに出てくる人たちはブレまくっているので、ヒーローには揺るぎなくあってほしいという思いが表れてきているのかもしれません。
「電王」の世界観としては、「人の想いが時間をつくる」ということでしたが、それを本作では最後のひっくり返しにうまく絡めてきていたと思います。
かなり力技で、一歩間違えばご都合主義に入ってしまいそうでしたが、さきほどの「電王」の世界観で破綻を起こさずに済みました。

キカイダー、ゼロワン、イナズマン、そしてズバットまで出てきたのは驚いた。
リメイクする気か、東映?
もしや日本版マーベル・ワールドを目指しているのか・・・。
それはそれで嬉しいけど。
宮内さんの「ズバッと解決」はこれも嬉しかったです。

最後に本作から窺える東映のマーケティングについて。
プロデューサーは仕掛人の白倉さん。
「ディケイド」の頃より、今後「仮面ライダー」ブランドが効力をなくするではと危機感を持っていらっしゃいました。
これは幼い頃「仮面ライダー」に触れていなかった世代(第一期が終わり、平成シリーズの間に子供時代を過ごした世代)が大人になり子供を持つようになるということで、真の二世代キャラになりきれないのではないかという危惧です。
おそらく「ディケイド」での仕掛け、また「電王」の「シリーズ化」、「W」のVシネスピンオフ、そして本作のような作品で、単発作品としてだけではなく、もう少し長いスパンでの継続性のようなものを試行錯誤しているように見えます。
一回作って消費して終わりではなくて、長年そのキャラクターで食っていける仕組みを作っていこうというような戦略があるのではと思いました。
本気で日本版マーベルを目指しているような気がします。

「劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」の記事はこちら→
オーズの前劇場版「仮面ライダー×仮面ライダーオーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE」

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本 「あぽやん」

完璧にタイトル買い〜。
「あぽやん」とは何?
あぽやんとは空港で地上勤務している方々のことです。
「あぽ」はAPOでこれはテレックス時代に空港(Airport)を3文字で表現するためにAPOと記述していたことからくるそうです。
その「あぽ」を親しみを込めて、「あぽやん」と空港勤務の方を読んでいるのだそう。
航空業界というと、パイロットとかフライトアテンダントとか、整備士とかに眼がいってしまいがちですが、地上勤務の方も大勢いらっしゃいます。
慣れない海外渡航とかで、わからなかったりトラブったりするときにお世話になるのは、この方々「あぽやん」なんですよね。

こちらの小説、いわゆる「お仕事小説」のジャンルになります。
僕たちがあまりよく知らない専門職の仕事の裏側の苦労話、そこで働く人々の悲喜こもごも、そこでの主人公の成長、などといった「お仕事小説」のベーシックな内容をおさえています。
やはり読んでいて感じるのは、そういうそれぞれの仕事で働いている人々の、その仕事に対する誇りみたいなものでしょう。
業界や、仕事の内容などは違えど、やはり自分の仕事に誇りをもって働いている姿っていうのを読むと元気がでますね。
自分もがんばっていかなきゃいけないなと。
本作で登場する幾人かの「あぽやん」は「お客様が笑顔で旅立ってくれる」ようにするために、必死にがんばります。
広い空港の中を駆け回り、いろんなトラブルに対処しながらも、その一点だけはぶれない。
おかしさの中にも、彼らの自負を感じます。
働きがいみたいなものでしょうか。
それはやはり自分で見つけ出していかなくてはいけないし、それが見つけられればどんなたいへんなことでも乗り越えられたりするものです。
現在、日本全国がたいへんな状況で、それぞれの方が自分の仕事場や家庭でがんばっているのだと思います。
どなたもかなりたいへんだとは思いますが、それでもがんばっていられるのは仕事への誇りがあるからじゃないかなと。
少なくとも自分はそれでがんばっていけてます。

「あぽやん」新野剛志著 文藝春秋 文庫 ISBN978-4-16-779501-6

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