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2011年3月 5日 (土)

「機動戦士ガンダムOO セカンドシーズン」 ファーストガンダムへのオマージュ溢れる

久しぶり「ガンダム」シリーズを観ましたが、こちら「OO」はかなりおもしろかったです。
セカンドシーズンに入ってからは、ファーストガンダムへのオマージュが溢れ、ファーストで取り上げられたテーマについて「OO」としての解釈・結論を導きだしていたと思われます。
そう考えるとファーストシーズンはそれの前振りとなっていることがわかります。

ファーストガンダムで描かれていたのは、人類が宇宙に進出するにあたり発生していく「人の覚醒」。
この覚醒というのは、ファーストでは「ニュータイプ」と呼ばれていましたが、人の意識が自分の肉体という枠を越え、他者との意識との交流をおこない、わかりあえるといったものでした。
人の覚醒が行われていく中で、「ニュータイプ」と「オールドタイプ」との間の対立、また「ニュータイプ」同士での目標とする世界観の違いによる対立が描かれているのが、ファースト、Z、ZZまでの物語であったと思います。

「OO」シリーズはファーストシーズンでは人の覚醒というところまでは描かれていませんでしたが、セカンドシーズンに入り、その点がクローズアップされていきます。
イノベーターという人類と異なり互いの意識のリンクができる人々の登場、そして人類から覚醒した「真のイノベーター」と呼ばれるものの出現。
この「真のイノベーター」というのはファーストガンダムでいう「ニュータイプ」と限りなく近い設定であると思います。
また本作においてガンダム技術のコアとなるGN粒子という設定は、ファーストガンダムでいうミノフスキー粒子を髣髴とさせますが、単にモビルスーツを出現させるための設定背景というのではなく、「真のイノベーター」発現への重要なものとなっています。
ファーストガンダムでいう「ニュータイプ」は人類が宇宙に進出するにあたり、偶然に発現した新しいタイプの人類ということになります。
これは予期せぬものであり、だからこそその発現に人類全体が戸惑い、どのように新しいステージへ「ニュータイプ」を組み込むかということが描かれています。
「OO」シリーズにおける「真のイノベーター」というのは、イオリアからすれば人類が宇宙へ進出するにあたり、「そうならなければいけない」という必ず通過しなくてはいけないステージとして解釈されています。
おそらくイオリアは人類は常に成長というものを志向する生き物であるという認識であったのでしょう。
ですからいずれ人類は地球を離れ、太陽系、そして外宇宙へ進出していくというのは自明であったわけです。
しかしながら地球上という狭い世界のなかですら争いを続けている今の状態では、そのまま宇宙へ進出したとしてもどこかで崩壊し、それは人類滅亡に繋がってしまう恐れがある。
それをイオリアは懸念したのでしょう。
そのためには人類相互が互いに理解しあわなければならない。
そういう能力をもった人々「真のイノベーター」の出現を導く必要があったのです。
そこにいくつくためのストーリーをイオリアは描いたのです。
すなわちソレスタル・ビーイングによる武力介入に対抗するために成立する世界政府、そして強権的な世界政府に対抗するための人類の相互理解力の覚醒。
ファーストガンダムではなりゆき的な発生であった「ニュータイプ」人類の覚醒が、「OO」シリーズは一つのシナリオに基づき行われてゆくのです。

セカンドシーズンはファーストシーズンの4年後の設定ということで、登場人物がその歳月を経た変化があったのも感慨深いものがありました。
沙慈とルイスの関係はファーストから大きく変わり、これはファーストガンダムのアムロとララァ、Zガンダムのカミーユとフォウといった敵味方に別れた二人の悲劇といったものを引き継いでいるように思いました。
フェルトもファーストシーズンではおとなしい引っ込み思案なところもあった少女でしたが、セカンドシーズンでは力強く他のクルーを支える女性として成長しています。
彼女はロックオンの死のダメージを乗り越え、精神的に成長している様子がうかがえました。
ファーストシーズンからセカンドシーズンへ4年間という間をおいたのは、世界が変わっていく様子を描くには必要な時間であったのと、また主要人物が成長していくのにも必要な時間であったという意味で、とても上手な設定であったと思います。
これはファーストガンダムからZガンダムへの変化をも髣髴させるものであり、やはり初期ガンダムへのオマージュを強く感じました。
ファーストガンダムからZZまでの流れというのは、人類の覚醒というものを描きながらも結果的にはそれを上手に受け入れられない人類を描いており、基本的には世界的にも、それぞれの登場人物的にもハッピーな結果となっているわけではありません。
ある意味それが現実なのかもしれませんが、観終わったときはやるせなさというのを感じたりもするわけです。
けれどもそれらファーストガンダムからZZまでのシリーズへ敬意を表しながらも、「OO」シリーズが描く人類の覚醒は非常に前向きであり、そして登場人物たちも多くは良い結末をむかえています。
とても気持ちよく観終えることができました。
未来への希望を感じたとでもいいましょうか。
その前向き感が本作「OO」シリーズの特徴ではないかと思いました。

劇場版では、なんと地球外生命体が登場するということ。
テレビシリーズをDVDで観る前にその話は耳に入っていたので、聞いたときは「???なんで」と思いましたが、全シリーズを観終え、イオリア計画がわかった今ではそれは物語的には必然であるなと思いました。
やっと人類は覚醒を迎え、そして外宇宙に進出する準備が整ってきたわけです。
その先で出会う新しい出来事に人類は対処できるのか、それが劇場版で描かれるのでしょう。
こちらについてもすぐに観てみたいと思います。

ファーストシーズンに出ていたガンダムエクシアが僕は好きなデザインだったのですが、セカンドシーズンにはいり、刹那の乗る期待がOOガンダムになってしまったので、ちょっと残念でした。
しかし、最終回にエクシアが再登場してくれたのはうれしかったですねー。
あと最終回はガンキャノン的なモビルスーツもでてきていて、本作はとことんファーストガンダムへオマージュを捧げているなと思いました。

「機動戦士ガンダムOO ファーストシーズン」の記事はこちら→
「劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-」の記事はこちら→

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