「ランボー 怒りの脱出」 映画は世情を反映する
「ランボー」シリーズの第二作になります。
ちなみに一作目の「ランボー」の原題は「First Blood」でしたが、本作では「Rambo: First Blood Part II」となっています。
原題も「Rambo」になったのは、邦題が良かったからという話です。
一作目はアクション映画と思いきや、ベトナム帰還兵の問題に触れた意外にも社会派な側面を持っていましたが、二作目の本作からアクション映画としてのテイストが強くなります。
80年代のマッチョ・アクション映画の代表として取り上げられることが多い「ランボー」シリーズのイメージを決定づけたのがこの第二作になると言っていいでしょう。
この作品が作られたのは1985年、アメリカではロナルド・レーガンが「強いアメリカ」を標榜していた時期と重なります。
第二次世界大戦後のヨーロッパの凋落、後を継ぐように世界の覇権を握ったとも言えるアメリカが、その自信に揺らぎをみせたのがベトナム戦争です。
ベトナム戦争の負の遺産の一つである帰還兵問題について一作目はスポットをあてました。
アメリカが自信を失い、いくつもの問題を抱えているという時代背景があったかと思います。
しかし第二作目が公開されたのはレーガン政権時であり、アメリカ人が強気を取り戻してきたときに当たります。
それが作品の印象に色濃く反映されているような気がします。
さらにこの続編「ランボー3 怒りのアフガン」ではソ連軍に対して一人で戦争をするくらいになるわけで、このとき1988年はアメリカ人の自信は再び最高にあがってきている状態と言えます。
しかしその後、「ランボー」シリーズのようなマッチョアクション映画は急速に減っていきます。
それは日本が経済的に大きく伸長し、アメリカの自信を再びくじくのです(象徴的なロックフェラー・センター買収、ソニーのコロンビア買収は1989年)。
そうなるとアメリカの自信は映画でもしぼんでいきます。
最近では泥沼化するイラク戦争が問題視されているときにいくつかのイラク戦争テーマの映画が作られました。
それらは基本的には戦争に対しネガティブであり、アメリカ自身の自信喪失がうかがえます。
このように映画はそのときの世情に敏感に反応しているところがあり、そういう点でアクション映画というものを観てみてもおもしろいかもしれません。
1作目のヒットを受け、2作目を作る時に方向転換を図るケースがあります。
「ランボー」シリーズもそうですが、ほかにもいくつかあります。
例えば「エイリアン」シリーズ。
一作目のスペースホラーから二作目は女性ヒロイン&戦争映画になりました。
また「ターミネーター」シリーズもそう。
1作目の悪役が2作目では主役ですから。
これらすべてに関わっているのがジェームズ・キャメロン。
本作でも実はシルベスター・スタローンとともに脚本を書いています。
キャメロンは方向転換をするのが、上手なのですかね。
「好戦映画」と言われた「ランボー 怒りの脱出」を書いた人が、「反戦映画」と言われる「アバター」を撮ったというのも興味深いところです。
今回観ていて気づいたところが一点。
本作でランボーが捕虜収容所に向かうときのセリフでこういうのがありました。
「俺は捨て石だ」
この「捨て石」って英語では「Expendable」だったんですね。
「Expendable」=エクスペンダブル!
なるほど去年のスタローンの映画「エクスペンダブルズ」ってこんなところに原点があったのです。
「トリビア発見!」と思ってしまいました。
| 固定リンク
コメント