「ビートルジュース」 ティム・バートンの原点
こちらは僕が初めてティム・バートンという奇妙な監督に触れた記念すべき作品。
もう一度観ただけで、一目惚れといった感じでした。
あれから何度観たことか・・・。
今でこそティム・バートンはメジャーでドル箱な監督ですが、初めて観たときは、なんというか、他の誰とも違うユニークなセンス、世界観にノックアウトでした。
奇妙奇天烈で、怖いんだか、おかしいんだか。
僕がこの映画で一番好きなのは「バナナボート」の曲がかかるシーン。
本筋とはほとんど関係ないのですが、ここだけでもけっこう観てます。
何故と問われると困るのですが、好きなものは好きなんですよね。
このあたりのシーンを入れてきちゃうティム・バートンのセンスに惚れてしまったわけです。
ビートルジュースが暴走し始める後半も好きですね。
不条理ギャグという感じか、このあたりのセンスもハートをわしづかみです。
作品によって濃淡がありますが、こういう不条理なユーモアっていのはティム・バートンの世界観の根っこには必ずあるんですよね。
ですので「不思議の国のアリス」を監督するならティム・バートンってずっと思ってました。
本作の主人公は事故で死んでしまったアダムとバーバラの夫妻。
ゴーストとなってしまった二人は、自分たちの家に住もうとするNYの家族を何とか追い出そうとしますが、上手くいかない。
そこで呼んではならない、バイオ・エクソシスト、ビートルジュースを召喚しちゃうわけです。
ティム・バートンの多くの作品に共通してあるのが、世の中から奇妙なものとして扱われる弱者の目線というのがあります。
奇妙であることの哀しさを持ち、けれどもそのこと自体を愛せるようになるというような視線です。
そこが一番わかりやすいのが「シザーハンズ」ですね。
「チャーリーのチョコレート工場」も、「アリス・イン・ワンダーランド」でもそういう視線を感じることはできます。
本作は初期の作品ですが、その後のティム・バートン作品に共通するこの視線はすでにあります。
普通の物語であれば、人間を恐れさせるゴーストというのは強者です。
けれどもアダムとバーバラはゴーストでありながら、人間に排斥される弱者。
そして越してきた家族の子リディアもそういう奇妙な人物としてみれます(リディアはアリスがマイナスになった姿とみることもできます)。
最後にアダム、バーバラそしてリディアはそれぞれが奇妙な存在であるということを互いに受け入れます。
奇妙だって、奇天烈だっていいじゃないっていうのはティム・バートン自身にも言えるかもしれません。
結局、そういう個性があり、それを踏まえた作品を作り続けているからこそ彼は評価されているのであるんですよね。
そういうティム・バートンの原点がみれる作品であると思います。
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コメント
ノラネコさん、こんにちは!
そこかしこにバートンのこだわりというかそういうものを感じますよね。
手作り風なのもこの作品の好きなところなんですよ。
投稿: はらやん(管理人) | 2010年12月11日 (土) 11時27分
こんばんはー。
懐かしいですねえ、これ音楽の一部が空の大怪獣ラドンにそっくりなんですよ。
バートンのオタクさがわかります。
ところで、メール送ってます。ご確認ください。
投稿: ノラネコ | 2010年12月10日 (金) 00時46分
サンタさんって女だったんだなwww
工ッ千するだけで現ナマプレゼントもろたです♪
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投稿: メッリークリスマッスゥ! | 2010年12月 8日 (水) 22時42分