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2010年9月18日 (土)

本 「複数の「古代」」

日本の古代について書かれている書物としては「古事記」「日本書紀」だと教科書で習ったかと思います。
「記紀」と並び称されるようにこの二つの書物が(多くのフィクションを抱えているにせよ)、日本の古代の歴史をひも解く上で重要であるということは変わりありません。
けれどもこの二つの書物が指し示す「古代」というのが同じものであるかどうかというのは、実はそうとも言い切れないと、本著では言っています。
なるほど言われてみればそうかもしれません。
そもそも歴史解釈というのは立場によって異なるものですし、史書というのは書かれた時代の施政者にとってその正当性を裏付けるという機能を持っています。
なんとなく「古事記」「日本書紀」が指し示す古代は同一のものと思いがちであり、そしてこの二つの書物の記述上での食い違いはどちらかが記述ミスなどの間違いと解釈されていましたが、そもそもそれは書いた側の意図が反映されたものであるかもしれないのです。
ですので、著者は現代の人間が先入観をもって見ている「古代」ではなく、これらテクストから忠実に当時の人々が、彼らにとっての「古代」をどう見ていたかということを考えなくてはいけないと言っています。
現代の僕たちから見れば、神武の時代も、奈良時代も一括りに「古代」なのですが、「記紀」が書かれたときの人々にすれば、奈良時代は現代であり、神代の時代こそが「古代」なのです。
「記紀」に記述された内容の食い違いは、それぞれの書物が書かれた意図による彼らの「古代」の歴史解釈なのですね。

視点はかなり新鮮でおもしろかったです。
ですが、やはり「古事記」「日本書紀」への造詣がそれほどないので、ちょっと難しいところもありました。

「複数の「古代」」神野志隆光著 講談社 新書 ISBN978-4-06-287914-9

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