本 「失われた町」
ちょうど一年ぶりくらいに三崎亜記さんの作品を手に取りました。
以前に読んだのはデビュー作であり、代表作でもある「となり町戦争」でした。
三崎さんの作品は久しぶりに読んだのですが、この方はこの人特有の小説世界を持っているように思います。
前作もそうでしたが日本のどこにでもありそうな「町」(街でないのがポイント)を題材に描いているのですごく日常的なのに、設定は非日常。
非日常であるかといってSF(サイエンス・フィクション)でもないし、ファンタジーでも、不条理でもない。
「となり町戦争」と本作を読んで思ったのは、うまく表現できないのですが、この日常感のある非日常というのが、三崎亜記さんの特徴ではないかということです。
この雰囲気は他の方の作品ではあまり感じたものではなく、この雰囲気こそが三崎さんらしさ、オリジナリティなのかもしれません。
「となり町戦争」の時は、自分でどんなことを書いたのか、読み直してみたところ・・・
>「戦争」へのリアルな感覚のなさを「となり町との戦争」という極めて日常的な次元に下ろした
と書いていました。
一年前も同じようなことを感じていたようです。
日常と非日常が倒錯しているというテイストを持っている作家さんというのは何人かあげられるのですけれど、三崎さんのように日常と非日常が自然に混じりあっている世界を持っている人は珍しい感じがします。
非日常でありながらもなにか日常感のある雰囲気によって、登場人物たちの思い自体は切実に読むものの心に届く感じがします。
日本によく似た(けれども確かに日本ではない)この物語の世界では。
30年に一度くらいの周期で町が「消滅」する。
町自体はそこにある。
けれどもそこに住む住人たちがある日いなくなるのである。
誰もそれを止めることはできない。
大切な人がその町にいて、否応なくそれを失ってしまった人。
「消滅」はその世界において禁忌であり、失われた人々のことを思い嘆くことも許されない。
失われた町にたった一人残された「消滅耐性」を持つ少女。
同じように「消滅耐性」を持ち忌避される存在でありながらも、町の消滅を食い止めようとする女性。
いくら大切な人でも、いやおうなく理不尽に失われる。
その嘆き、その哀しみ。
この作品では町が失われる理由は説明されません。
それはたぶん、僕たちが「何故人には死が訪れるのか」ということを説明できないのと同じことなのかもしれません。
現実にも人は死によって、理不尽にもいつかは失われます。
残された人々は大きな哀しみを感じます。
けれどもその哀しみに呑まれるのではなく、人は願いや希望を繋いでいこうとします。
そこに救いがあります。
最初に書いたように三崎さんは日常感のある非日常を描くことにより、疑いようもなくすべての人に訪れる死と、残された人々の哀しみ、そして希望を描写しているように感じます。
この語り口が三崎さんのオリジナリティなのでしょうね。
「失われた町」三崎亜記著 集英社 ハードカバー ISBN4-08-774830-8
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