「ジェニファーズ・ボディ」 肉食系女子。
肉食系女子。
たぶん多くの映画ブロガーさんが同じようなタイトルをつけると思いますが、やはりこの作品はこういうタイトルにしたくなるでしょう。
というか、ほんと食ってるし。
作品としてはとりたててすごいというというところはないのですが(ミーガン・フォックスとアマンダ・セイフライドの○○シーンはちょっとドキドキしたけど)、こういう作品が作られる時代性みたいなものを考えてみたいと思います。
脚本家は「JUNO/ジュノ」(残念ながら未見)でアカデミー脚本賞を受賞したディアブロ・コディ。
現代のティーンを女性の視線でうまくとらえたことが評価されましたが、本作も題材は違えど同じようなスタンスと言えましょう。
以前はホラー映画やサスペンス映画といったら、襲いかかるワルモノは必ず男だし、彼らと戦うヒーローも当然男性。
そしてそのヒーローに守られるのはかよわく美しい女性、というのが典型でした。
その後ジェームズ・キャメロンやリュック・ベッソンの作品あたりから、「戦う女性」が主役になることも出てきました。
それでも彼女たちが戦う敵は、基本的には男性的な存在のもの(ターミネーターなど)であったと思います。
しかし本作「ジェニファーズ・ボディ」においては、敵となる存在も女性であり、それと戦う存在も女性。
その構図にはまったく男性は存在しておらず、男性の役割は補食されるもの、もしくは守られるべきものという役割になっています。
本作においては、いままでの作品にあるような男性が守り女性が守られるという構図が、まったく逆転しているのです。
というより男性が介在しなくても物語は成立してしまったりするのです。
ここにおいてずいぶん前は映画では女優は綺麗な華以上の役割はないというようなことを言われていたのと、まったく逆の現象が起きているわけです。
ミーガン・フォックス自身が「トランスフォーマー」でバイクに横たわるセクシーポーズをとることがイヤだったと言って物議をかもしましたが、そういう点においては彼女の意趣返しになっているかもしれません。
まさに「男女逆転」(ああ、そういう意味で今度公開される「大奥」にも通じるものがあるのかも)。
全世界的に男性が弱くなり、女性が強くなるという傾向が顕著になってきているのかもしれないですね。
変わりつつある時代性を反映した作品であるなと思いつつも、変わらないところもあるのかなと思いながら観ていたところもありました。
それはジェニファーとニーディの関係。
二人は親友でありながらも、相手のことを妬んだり、快く思っていないところがある関係。
男だと嫌いな奴、気に入らない奴とは基本的に友人としてつきあわないもの(上下関係とか、仕事関係は別よ。我慢してつき合うわけです)なのですけど、このあたりの女性ならではの関係というのは普遍的なものだったりするのかなと思いました。
このあたり男性である僕はなかなか心情がわからないのですが、けっこう女性間ではドロドロっとした心情があるというのを聞いたりします(特に女子校などはいろいろあると聞きます)。
このあたりは以前も、今も変わらないのかな。
ここらへんは女性の方に聞いてみたいところです。
今回ニーディ役のアマンダ・セイフライドはイケてない子を演じていましたが、海外ドラマの「ヴェロニカ・マーズ」では、本作のジェニファーばりにイケイケの子を演じていました。
その子も殺されてしまいましたが。
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