「孤高のメス」 命を繋ぐ、志を繋ぐ
ルールというのは難しい。
なぜならばルールを定めた時に、どうしてもどこかに線が引かれてしまうから。
ここまではOKで、ここからさきはNGというラインができてしまいます。
その線引きを人の死の定義でせよとなったら、それは医学的、生物学的な見地だけでなく、倫理的側面もあり、なかなか結論も出せないのも仕方がないこと。
ではルールがなくてもいいかというと、無秩序になるのでそうもいかない。
なので暫定的なラインを引かざるをえないです。
ただ暫定的であるがゆえの曖昧さ
この作品の舞台となるのは、現在では行われている脳死肝移植がまだ法律的には認められていなかった90年代初頭です。
法律的には認められていないけれども、目の前に救える可能性がある命があるとき人はどうふるまえばいいのでしょうか。
脳死ということについては専門的な知識を持ち合わせていないので、こちらでは触れません。
命を繋ごうと、脳死の息子の臓器提供を行おうとする母親、そしてその預かった肝臓で患者を救おうとする医師の姿は、まさに孤高というべき意志の強さを持っています。
ここで触れたいのは、その意志が周囲に与える影響、つまりは志を繋ぐということです。
外科医当麻は患者を救うというその一点のみだけを考える医師です。
彼の行動はまさにその信念によりしっかりと支えられている。
いくら周囲が騒ごうと彼の信念はまったく「ブレない」のです。
彼の「孤高」ともいうべき純粋な志は、周囲の人を動かします。
それは物語の語り手である看護師浪子であり、若手の外科医青木であり、オペのチームのメンバーであります。
彼らは当麻の「ブレない」志に触れ、その揺るぎない強さを知ることにより、自分たちも同じように「人を救いたい」という志を持っていくようになります。
そしてその志は、浪子の日記を通じて、息子の弘平にも伝わっていくのです。
脳死となった誠の肝臓が大川に移植され命を繋いでいったように、当麻の志は周囲の人々にも繋がっていったのです。
志というのは目に見えないものですが、強い志は周囲の人々を動かしていきます。
まさに志が繋がっていくのです。
この物語の登場人物は医師であり、看護師ですが、志を繋いでいくということにおいては職業は関係ありません。
人としての志、プロとしての挟持を持てれば、命が繋がっていくように、志も繋がっていきます。
これは医者でもなくても当麻の姿勢には見習うべきところがあります。
あと最近表面的な事象・発言だけを見たり聞いたりして「ブレてる」とか「ブレない」とかみなさんよく評しますが、まず表面的なものではなくその人の真意・志を見てくださいと言いたい。
ほんとに信念がある人ならば、その人の意志はまた誰かに確実に繋がっていきます。
周囲の反応に惑わされず、もの言わずに信念を貫き行っていく人が孤高の人なのでしょうね。
サッカー全日本の岡田監督なんかは孤高な感じがするなあ。
勝っているから急にみんな褒めそやすけれど、あれで負けてたらけちょんけちょんだったろうに。
でも彼の信念はチームに伝わっているんでしょうね。
岡田監督は勝っても負けてもワールドカップが終わったら、当麻のように潔く身をひくような気がします。
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