本 「1968年」
タイトルの「1968年」が自分が生まれた年であったので、それだけの理由で手に取ってみました。
内容は日本の新左翼についての話で、1968年という年がその思想・活動においての分水嶺であったということ、そしてその考えが現代の日本にも影響を与えているというような内容でした。
正直言って、僕自身はあまり新左翼といった内容については詳しくはありません。
大学が千葉であったため、成田も近いせいか、大学時代にもヘルメットをかぶった中核派は構内にいましたが、ほんと2、3人でシュプレヒコールをあげているだけであったのを、冷めた目で見てたような感じです。
世の中的にはバブル期でもあったわけで、あまり誰もそのような活動に興味を示さなかった時代なのでしょう。
本著では1968年を気に、日本の新左翼の思想、行動が変わったということが書いてあります。
しかしどうもしっくりとこない。
その時代に活動をしていた方には申し訳ないのですが、その頃の新左翼の熱狂については彼ら自身のナルシシズムを感じてしまうのです。
戦後のアメリカに押し付けられた民主主義への反発、社会が固定化されていくことへの若者らしい反発といったものはわからなくもないですが、なにかとても子供ぽさも感じます。
本著でも1968年の新左翼で革マル派が華青闘から「革命ごっこ」と指摘され、その後過激化していく様子が書かれていますが、このあたりについてもなんとも「ガキっぽい」。
以前これも1968年に起こった三億円事件を題材にした「初恋」という映画の記事を書いたとき、主人公みすずの相手役岸に同じようなナルシシズムを感じたということの述べました。
まさにこの時代の青年というのは頭はとても知識を詰め込んでいますが、以前の60年安保のような華々しいこともできず、行動が伴わない、変えられないというもどかしさがあったということなのでしょうか。
それは自暴自棄のような行動、過激な行動へ進んでいくというきっかけになったのかもしれません。
これは先日読んだ奥田英朗さんお「オリンピックの身代金」にも通じるものがあるような気がします。
冷めた目でみればそれ自体が非常に「ガキっぽく」、僕としてはまるで共感を持つことができません。
しかし戦後の日本という社会がまだ青年期であったということなのかもしれません。
その後の日本は高度経済成長期を謳歌し、バブル期で頂点へ、その後は現在に至る低迷の道に入っています。
まさに人生に例えると老年期なのでしょうか。
現在就職活動をしている世代は非常に安定志向だということ。
若者をみているとその時代性というのが表れているのかもしれません。
映画「初恋」の記事はこちら→
奥田英朗「オリンピックの身代金」の記事はこちら→
「1968年」絓秀実著 筑摩書房 新書 ISBN4-480-06323-4
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