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2010年1月 3日 (日)

本 「世界の中心で、愛をさけぶ」

はい、いわゆる「セカチュー」です。
僕は純愛ものとか、難病ものっていうのはちょっと偏見を持っていまして・・・。
お涙頂戴的な企画というのは、観客や読者にわかりやすい分、とても安易ではないかという不純さを感じてしまうのですよね。
ですので、映画の「世界の中心で、愛をさけぶ」も公開時には観なかったのです。
で、たまたまDVDで観たら、号泣してしまいまして・・・。
なんというかとても良かったんですよね。

でも相変わらず、純愛・難病ものアレルギーみたいなものはありまして。
原作小説もやはり避けていたのですが、今回読んでみました。
結果的には、やはり良かったのです。
映画は大人になったサクが、あの頃を思い出すという構成でしたが、原作小説はサクとアキのその頃をほぼリアルタイムで描いています。
片山恭一さんの文体は、とても映像的でその情景が目に浮かぶようです。
それもリアルさというよりは、なんだか輝かしい青春時代を観るようなキラキラしたイメージなのですよね。
だから是定監督も、青春時代を思い返すという構成にしたのかもしれません。
サクがアキを、アキがサクを、心の底から思い合い必要としていることが伝わってきます。
それは少年期・少女期だからこその純粋さなのかもしれません。
けれどそれはほんとうに思い合うと大事なときで、この経験を経たことというのはサクの人生をとても意味あるものとしているように思います。
また本作は人の死というものに、想像していたよりも真摯に向き合っていることに感銘を受けました。
サクがアキを失い、未来への希望を失っている時に、サクの祖父がこう言います。

「好きな人を失うのはなぜ辛いのだろうか。それはすでにその人のことを好きになってしまったからではないかな。別れや不在そのものが悲しいのではない。その人に寄せる思いがあるから、別れはいたたまれなく、面影は懐かしく追い求められる。また、哀惜は尽きることがないのだ。すると悲哀や哀情も、人を好きになるという大きな感情の、ある一面的な現れに過ぎぬとは言えないかな」

愛と死というのは様々な物語で語られますが、この一文は真正面にこのテーマに向き合っているという気がします。
「愛」という言葉は、あまりに使われすぎていて、その本当の意味に比べとても陳腐なイメージを持っているような気がします。
ですので、「愛」とかタイトルをつけている作品はどうもうさんくささを感じてしまうのです。
けれども「世界の中心で、愛をさけぶ」というド真正面なタイトルをつけたというのは、「愛」と「死」に真摯に向き合おうという著者の意志の表れであったのかなと読み終えて思いました。
いわゆるお涙頂戴ものと思っていたのが、たいへん失礼だったなと反省する次第です。

「世界の中心で、愛をさけぶ」片山恭一著 小学館 文庫 ISBN4-09-408097-X

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