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2010年1月 2日 (土)

「仮面ライダー555(ファイズ)」<平成仮面ライダー振り返り-Part4>

「ディケイド」放送をきっかけに平成仮面ライダーを総括しようと始めた企画「平成仮面ライダー振り返り」ですが、一年間でやっと4シリーズ目「仮面ライダー555」を観賞をし終えました(555はファイズと読みます)。
一年で4シリーズですから、これは3年以上にも及ぶ企画になりそうです。
長い目で見てやってくださいね。
そして平成仮面ライダーが終わったら昭和仮面ライダーにいきますから!
いつになるのだろう・・・(遠い目)。

前回の「龍騎」のときに「1、2を争うほど好きな作品」と書きましたが、実はその相手というのが、本作「仮面ライダー555」になります。
この企画を書いてきた当初より平成仮面ライダーのポイントは「革新性」と「継承性」という相反することだと書いてきましたが、本作はまさにそれが出ていると思います。

「革新性」について一番大きな点は「誰でも変身できる」という点でしょう。
本作では変身するためには「ファイズギア」「カイザギア」と呼ばれる変身ベルトを装着し、専用の携帯電話に変身コード(ファイズなら555、カイザなら513)を入力し、ベルトに装填するという手順を踏みます。
それを行えば、誰でも変身できるのです。
正確に言うと「誰でも」ではなく、その素養があるものだけなのですが、そのことが本作のストーリーに大きく関わります。
昭和仮面ライダーも含め、それまでの仮面ライダーは改造手術なり、何かしらの力を与えられたなりということで、ライダー=主人公という図式がありました。
けれどもそれが本作ではなくなり、それが故に前半のベルトの争奪戦みたいなものが大きくストーリーを動かします。
前作「龍騎」が13人ライダーという飛び道具を持ち出しましたが、同じ路線を行くのではなくそれとは異なった点で再びライダーの常識を破るという試みを本作では行っています。
そのときのファイズが誰だかわからないというのは、仮面の中の人間がわからないということになり、登場するキャラクター同士に疑心暗鬼を起こし、ドラマに緊張感を持たせることに成功しました。
そしてこのアイデアを成功させた一つの要因としてはスーツアクター高岩成二さんの力も大きいかと思います。
スーツアクターとは仮面ライダーに入り演技をしている俳優さんです。
本作の場合は前述したとおり、見た目は同じファイズでもストーリー上は別の人間であるというシチュエーションがなんどもあります。
ですのでスーツアクターには、見た目は同じだけれども別の人間に見えるという演技力が必要になるのです。
高岩さんはそれぞれの俳優、キャラクター性を取り入れ、同じビジュアルにも関わらず見事に演じ分けを行いました。
例えば主人公、乾巧(いぬいたくみ)がファイズになっているときの、キック前のポーズや手を振る仕草等は高岩さんの工夫だと思います。
スーツアクターの演技力というのはその後の平成仮面ライダーでは、そもそものプロットを考える際の必須事項となっていて「電王」などではそれが究極に達しました。

あと「革新性」という点では、敵方についてもとても細かく描くということがあります。
昭和仮面ライダー、そして「クウガ」「アギト」までは敵といのは問答無用に人類では敵でした(「龍騎」は相手も仮面ライダーなので違う)。
本作での敵方というのはオルフェノクという怪人ですが、彼らは普通の人間が死に際し、甦った者たちなのです。
彼らは普段は人間として生きているのです。
巧に対して置かれているキャラクターとして、オルフェノクになりながらも人間として生きたいと願っている木場勇治については、主人公と同様に深く描かれます。
つまりは敵だから倒さなくてはいけないというヒーローものの基本構造自体を本作は揺るがす作りになているのです(これは「ウルトラセブン」の名作「ノンマルトの使者」にも通じるかもしれません)。
そして主人公、乾巧自身もオルフェノクであった事実が判明した中盤で物語は俄然ドラマチックになります。
この点は「革新性」であると同時に「継承性」であるとも言えます。
そもそも最初の「仮面ライダー」というのはショッカーに改造された男、本郷猛の物語です。
彼は脳手術を受ける前に脱走したために人間の心を持っていますが、彼が戦う相手というのは改造人間で、いわば彼の同族なのです。
同族同士が戦い合うというプロットというのは石ノ森作品には多く出てくるものですが、「555」という作品はその意味で石ノ森作品を「正統に」継承していると言えます。
最初の「仮面ライダー」では描かれなかった同族同士で戦い合うことへの、悩み・葛藤というものが本作では深く描かれます。

本作で出てくるキーワードとして「夢」という言葉があります。
乾巧は物語に登場してきたときは、あてもなく旅を続けている青年と描かれます。
自身の夢を語る真理や啓太郎に対して、非常にシニカルな態度をとるヒーローものの主人公としてはあまりいないタイプの人間として描かれます。
けれどその態度というのは、中盤で語られるように自身がオルフェノクであるという事実に基づいたものであるのがわかります。
自分がいつ人間を襲うようになってしまうかもしれないという恐怖、人間でなくなってしまうという恐れ、そのために巧は「夢」を持つ資格がないと思っているのです。
けれども巧は真理や啓太郎、木場などと交流し、さまざまな戦いを経るうちに、彼自身の夢を持つようになります。
最終回のラストシーンはとても切ないながらも、とても暖かい気持ちになれるものであったと思います。

本作は年間50話分を、井上敏樹さんがたった一人で脚本を手がけています(加えて劇場版も担当)。
一年間に及び一人のライターでシリーズを書き上げるというのはなかなか例がないと思います。
もともと井上さんはそういう馬力のある方ですが、一人で書き上げたからこそキャラクターにブレがなく、まれに見る名作に仕上がったのだと思います。
また台詞も素晴らしいものがいくつもありました。
第8話で乾巧と木場勇治がそれぞれに「夢」について語る台詞がすごく好きなんです。

 巧「おい、知っているか。夢を持つとな、時々すっごい切なくなるが、時々すっごく熱くなる、らしいぜ。俺には夢はない。だけどな夢を守ることはできる」

 木場「知っているかな、夢っていうのは呪いと同じなんだ。途中で挫折した者は、ずっと呪われたまま、らしい。あなたの罪は重い」

夢を持っていなかった巧が語る言葉、そして夢を失った木場が発する台詞、それぞれの夢についての想いが表れ、その後の二人のスタンスを暗示している名台詞であると思います。
ご本人も本作は気に入っているのか、後に小説版をオリジナルで書いています。

次はシリーズ第5作「仮面ライダー剣(ブレイド)」を取り上げます。
さてさて次はいつに記事にできることやら・・・。

「仮面ライダークウガ」<平成仮面ライダー振り返り-Part1>の記事はこちら→
「仮面ライダーアギト」<平成仮面ライダー振り返り-Part2>の記事はこちら→
「仮面ライダー龍騎」<平成仮面ライダー振り返り-Part3>の記事はこちら→
「仮面ライダー剣(ブレイド)」<平成仮面ライダー振り返り-Part5>の記事はこちら→

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長男(小5)が最近はまっているのが以前紹介した野球マンガ・アニメの“メジャー”と“仮面ライダークウガ”です。“クウガ”は知っている人は知っているかもしれませんが、1999年から2000年に放映された平成仮面ライダーシリーズの第一弾で主演はかのオダギリ・ジョーで彼の出世作に当たります。また、この後仮面ライダーシリーズはイケメン俳優を続けて輩出していくことになります。さらに、この作品は大人向けドラマがメインという特撮ヒーローものにはあるまじき作りになっていて毎回変身・アクションシ...... [続きを読む]

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