「機動戦士ZガンダムⅢ 星の鼓動は愛」 「ガンダム」と「イデオン」の狭間で
もともとの「Zガンダム」のテレビシリーズも乗り切れず、映画版のⅠ、Ⅱともこれまたあまりはまれませんでした。
ですので強い期待をせずに、30周年のご祝儀と言った感じでⅢを観に行ってきました。
Ⅲでは、エゥーゴとティターンズとの戦いに、ザビ家の忘れ形見ミネバを擁立するアクシズが参戦し、三つ巴の戦いが描かれます。
3つの集団が、それぞれの意図を持ちながら、敵対し、また連携し、戦争が動いていく様子はテレビシリーズの時を観ていた時ですら複雑怪奇であったため、映画で100分程度と尺に限りがある本作では、やはり展開が忙しい感じは否めません。
そのあたりの権謀術数については説明するのを諦めているのか、Ⅰ、ⅡよりもよりMS戦などの戦闘シーンに時間をさいているような感じも受け、これは潔い割り切りだなと感じました。
「Zガンダム」はファースト・ガンダムほど強いテーマ性というのは感じないのですが、3作を連続して観てみて感じたのは以下のようなことです。
エゥーゴ、ティターンズ、アクシズという3つの集団はそれぞれに主張があります。
いずれかが正しいのかということは別にして、それらの集団、そしてそれを率いる者たちは自分の主張を心底正しいと思っています。
いずれも自分たちこそが地球、そして人類の未来を考えていると思っているわけです。
正義は我にあり、と考えているわけです。
それはイデオロギーと言ってもいいかもしれません。
それらイデオロギーが正しいと信じている者たちは、それを実現するために障害となるものを取り除くこと、それも正義なのです。
本作で描かれる三つ巴の戦いは正義と正義と、そして正義のぶつかり合いなのです。
けれども指揮者たちが正義だという戦いの、現実の現場にはそこには人がいます。
「Zガンダム」で描かれているのは、正義の名のもとに、個人の思いや人生が簡単に翻弄され踏みにじられていく様子です。
カツとサラの間の感情。
ヘンケン艦長のエマへの想い。
またレコアがエゥーゴからティターンズに寝返ったのは、イデオロギーというよりは自分が必要とされる場ということを実感したかったからでしょう。
そういった個人それぞれにとって大切な思いがいかに簡単に、正義によって散っていってしまうのか。
正義とは何なのかということを語っているように思います。
シロッコは、その正義というなの不正義を表したキャラクターであろうと思います。
これは富野監督は「伝説巨神イデオン」で試みているテーマでもあります。
「イデオン」で人類の業を一人の人間として象徴したのが、ドバ・アジバでした。
ドバの存在をイデオンのゲージは赤い光点で指し示していましたが、Zガンダムでシロッコの登場するジ・Oが赤いライトを目印としていたのに共通点を感じます。
「イデオン」ではその人間の業、すなわち主義にとらわれ戦いをやめることができず、そして自滅していくという業の象徴である、ドバもろとも人類をリセットすることにより、新しい世代がよりよい人類として再生することが描かれます。
テレビシリーズの「Zガンダム」は「イデオン」の映画公開後に作られています。
「イデオン」がまだ最後の最後に人類への希望を残していたのに比べて、テレビの「Zガンダム」はドバと同様に人類の業の象徴であるシロッコを倒したあと、カミーユも人格崩壊を起こし、より悲劇的な結末になっていました。
このあたりは監督の人類感の変化があったのかもしれませんが、僕としてはあまり好きなラストではありませんでした。
本作の新訳版ではこのラストが180度変わり希望の残るものに変化しています。
これ自体は歓迎したいと思っています。
ただ何故Zガンダムが人の心を乗せて力に出来るマシンであるのかという説明は映画でも一切なく、ややもするとご都合主義的なものになっている感じも受けます。
ファースト・ガンダムのアムロはニュータイプとは言っても、一人で戦争の行く末を決められる力を持っているわけではありません。
だからこそ物語はホワイトベースの乗組員たちの物語になっていて、人類の業と言ったものは物語の全面に出てきているわけではありません。
逆に「イデオン」は人類全体を含んだ壮大な叙事詩となっています。
それだからこそ人間の感情、そして生命をとりこんでより強大な力をもっていく”イデ”という存在も違和感なく成立するのです。
「Zガンダム」はファースト・ガンダムと「イデオン」の狭間に陥ってしまい、どっち付かずになってしまった居心地の悪さのような感じがします。
もしかすると玄人受けする「イデオン」がそれほど一般的には受け入れられなかったため、よりメジャーである「ガンダム」という素材で同じテーマをやりたかったのかもしれません。
ですが、それは「ガンダム」の世界観とマッチングするテーマであったのかどうかというのは疑問が残ります。
「Zガンダム」という作品は、この一作を観て評価をするというよりは、他の富野監督作品の中での位置づけという点で評価してみるというのがおもしろいかもしれません。
「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」の記事はこちら→
「機動戦士ZガンダムⅡ 恋人たち」の記事はこちら→
「伝説巨神イデオン<接触篇><発動篇>」の記事はこちら→
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コメント
メビウスさん、こんばんは!
僕も久しぶりにZガンダムを観て、「イデオン」との類似点、相違点に気づきました。
「イデオン」はテレビシリーズより映画の方がその思想みたいなものがわかりやすくなっていると思います。
「接触篇」「発動篇」あわせて観ると3時間越えですが、見応えはあります。
特に発動篇は今観てもかなりアニメーションとして出来がいいと思います。
新作のカットはかなりよく出来ていましたよね。
Zガンダムのテレビシリーズは作画監督によってかなりクオリティがバラバラだったので、そのあたりはよくなっていたかなと。
ダブルゼータですかー、あれも180度雰囲気違いますからねー、繋がるかなあ。
投稿: はらやん(管理人) | 2009年10月10日 (土) 21時27分
はらやんさんこんばんわ♪TB有難うございました♪
う~む、イデオンとゼータって実はかなり似通った点があったんですねぇ・・。自分はアニメのイデオンは未見で、スーパーロボット大戦っていうゲームの方でイデオンの存在やストーリーをちょこっと把握したくらいだったんですよねぇ。印象に残ってるとすれば、イデオンがちょっとジムっぽい顔をしてるとか、コスモのアフロだったりとかしょ~もない所しか覚えてなかったり・・(滝汗
でも3部作の完結編だからか、前の2作と違ってかなり力が入っているのを感じました。MS戦が凄く多くなったのは自分もかなり嬉しかったですし、ゼータとジ・Oのラストバトルとかも大部分が新規だったから迫力があったと思いますね。
テレビ版と違うラストも救いがあって良かったですけども、逆にああなっちゃった事で淡い期待を込めてたダブルゼータ3部作とかは無いよって事も分かっちゃいましたね~(笑
投稿: メビウス | 2009年10月 6日 (火) 20時30分