本 「吾輩は猫である」
「吾輩は猫である。名前はまだない。」
との著名な書出しで始まる本小説、実の所今の今まで読んだことはない。
それは国語や歴史の授業で登場する本作であるからして、その存在を認知していなかったとは毛頭言う気もない。
試験等にもその一部分はでたかもしれないが、定かではあらぬ。
ただそれは知識として知って居るのであつて、読んだことがあるという実績にはほど遠い。
ただ吾輩もこのブログにおいて、小説の感想などを書いていると言って居るのであれば、古典についても経験がないというのは甚だ格好が悪い。
このような理由により本著を手に取った次第である。
とは言っても古典と言ふものは、取っ付きにくい印象があるのは仕方がないものである。
それは何故かと問われれば、先にも触れたやうに、授業などでお仕着せで読まされたという印象から来ている物と思はれる。
人間、意志とは関係なくやらされる事には、とかくあまり良い印象を持たないのが真理であるのである。
多分にそういう者もいるであろうと吾輩は類推する次第である。
実を申せばかくいう吾輩もそうである。
しかし本著を手に取り読み始めて驚いた。
面白いのである。
確かに文体は古くさく、またペエジにみっちりと文字が埋め尽くしているので読みづらいところがあるのは否めないであろう。
けれども奇妙な登場人物の珍妙な会話と、語り部であるところの猫君の人間観察が、絶妙な滑稽さを生み出しており、それがおもしろいのである。
諸君にも一読することをお薦めしたい。
また読んでみて、どこかで読んだことがあるやうな気分にもなったのである。
それは年少の折の授業で読んだ記憶では無論ない。
つい々々最近の事である。
なんであろうと首をひねった所、やつと閃いた。
夏目漱石氏の文章は、吾輩が好む作家の一人である京極夏彦氏の文体に似ているのである。
というよりも京極氏が似ているという方が正確であらう。
考えてみれば京極氏の京極堂シリイズという作品群は、やはり奇妙キテレツな人物の会話の面白さというのが魅力の一つである。
吾輩が思うに、京極氏は本著を始めとする夏目漱石氏の著作にインスパイアされておったのではなかろうか。
確かに文体もレトロな雰囲気が漂つて居る。
登場人物を比べてみれば、京極堂シリイズに現れる榎木津探偵は、言動も行動も突飛なこと甚だしいが、これは「吾輩が猫である」の迷亭の性格にそつくりである。
また作品中で神経衰弱と揶揄される関口先生においては、本著の猫の主人をモチイフにしているのではないかと思はるる。
その他にも京極堂シリイズに登場する人物の原型が、本著にも散見されているのだ。
京極堂シリイズを好んで読書する諸兄は、夏目漱石作品に触れてみるのも一興だと思ふ。
吾輩もこの後、読破しく所存であるので、またこちらでレビュウをするので、其の時はまたおつき合い頂きたい。
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上でも書きましたが、本著を読んでみて京極夏彦さんが夏目漱石氏の影響を受けたのではないかと思いました。
ユニークな登場人物や軽妙な会話、文体はまさに「吾輩は猫である」と共通しているように思われます。
オマージュを捧げていると言ってもいいかもしれません。
ですので、今回は僕も夏目・京極風の文体で記事を書いてみました。
不慣れな文体なのでどうかとも思いましたが、書いてみるとけっこうおもしろかったです。
夏目漱石作品「こころ」の記事はこちら→
夏目漱石作品「坊っちゃん」の記事はこちら→
「吾輩は猫である」夏目漱石著 岩波書店 文庫 ISBN4-00-310101-4
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