「母なる証明」 ミステリーとして、人間ドラマとして第一級
ミステリーとして、そして人間ドラマとして第一級の作品として仕上がっています。
ミステリーの醍醐味というのは、誰が(Who?)どうして(Why?)どうやって(How?)行ったのかという事件の謎を解き明かしていく過程にあります。
読む者、観る者の予想をいかに裏切り、その結末にて事件の全貌を明らかにできるのか、ミステリーの評価になると言っていいでしょう。
かつてコナン・ドイルやエラリー・クイーンなどの時代においては、事件の種明かしのプロセスの一番の注目点は、「How?」でした。
そう、「トリック」ですね。
普通だと成立しない事件(密室とか、アリバイがあるとか)の謎を徐々に解き明かしていくプロセスにミステリーの魅力がありました。
しかしミステリーというジャンルができてから、様々な人が数々のトリックを考えてきたため、「トリック」の種明かしというだけでは、読者や観客に驚きを与えることができなくなってきたのです。
本作もミステリーと言っていいと思います。
誰も殺人事件の記憶がないほどに小さな町で女子高生が殺害される事件が起きます。
その犯人として、トジュンという青年が拘束されます。
彼は知的障害があるのか無垢と言っていいような心の持ち主。
現場の近くにいたという状況証拠があり、また自白を本人が認めたため、犯人として逮捕されます。
トジュンを溺愛する母は息子が犯人ではないということを証明するために、独自に真犯人を探そうとします。
本当にトジュンが犯人なのか?
そうでないならば、真犯人は誰なのか?
どうして被害者は殺されたのか?
いくつもの謎が提示されます。
トジュンの母が真犯人を探す過程で、次第にその謎が明らかにされていきます。
ここの過程で明らかにされていくのは、さきほど書いたような「トリック」ではありません。
明らかにされていくのは、人間というものの内面、それは自分でも気づかないような奥の奥にある記憶。
そのプロセスにおいて、犯人の内面、被害者の内面、そして犯人を追うトジュンの母の内面が、タマネギの皮が剥けていくように一枚一枚はがされその芯が明らかにされていきます。
かつてのミステリーの探偵(シャーロック・ホームズなど)はある意味、部外者であり、事件に対しては超越的な視点持っていました。
ミステリーという物語においては、探偵はミステリーを解決する「装置」と言ってもいいのです。
本作においては、謎を明らかにしていこうとする者は、自分の内面に抱えているものも解き明かしていくのです。
つまりは本作においては謎を明らかにする者は「装置」などではなく、確かに「人間」として描かれているのです。
そういう意味で冒頭で書いたように本作は第一級の「ミステリー」であり「人間ドラマ」であると思うのです。
さすが、ポン・ジュノ監督といったところでしょう。
ミステリー好きにも、ヒューマンドラマ好きにもお薦めできる作品です。
主演のキム・ヘジャは韓国では有名なベテラン女優さんとのこと。
僕は初めて観ると思うのですが、一見普通のおばさん(失礼!)に見えるのですが、やはり存在感が違います。
またトジュン役のウォンビンの作品も観るのは初めてでした。
ただの甘いマスクで韓流おばさまの好きなイケメンだと思っていたのですが(これまた失礼!)、かなり難しい役柄をとても上手に演じていました。
これから要注目したいと思います。
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