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2009年10月14日 (水)

「ギャラクティカ シーズン3」 人類の自分探しの旅

「ギャラクティカ」のシーズン3は、冒頭では人類はようやく発見した安住の地「ニューカプリカ」で暮らし始めています。
しかしそこを敵であるサイロンに発見され、たちまち占領されてしまいます。
そしてその後はバルターを傀儡政権の大統領としたサイロンが人類を支配する政治体勢となってしまいます。
サイロンに逆らうものは投獄され、またサイロンと戦うためのゲリラも組織されます。
からくもギャラクティカ、そしてペガサスが大救出作戦を展開し(ペガサスはその際に失われてしまう)、犠牲を出しながらもニューカプリカの人類を救い出し、再び地球を探す旅を始めます。

シーズン3はスペースオペラというよりも、限定された船団という中での空間に住む人間同士の諍い、確執などが主に描かれます。
いわゆるSF作品というよりは、そのような設定をベースにしたポリティカル・サスペンスといったような趣もあります。
サイロンとの戦いというものがほとんど描かれない代わりに、人間と人間との間のぶつかり合いが主に描かれます。
アダマ総督と、息子リーとの間にある信頼と確執。
裏切り者であるバルターに対する裁判。
ここでは正義とは何なのかというテーマが掲げられます。
またシーズン3で描かれるのはサイロンとは何なのかということです。
ただの機械とは到底思えなく、ある種の感情を持っているように見える人型のサイロンたち。
愛情や執着といったような人間らしいものを彼女たちは持っているように見えます。
人間を超えた完璧さというよりは、人間と同じような弱さ、醜さを彼女たちは持っています。
まさに人型サイロンは、鏡に映し出された人類の姿と言っても良いかもしれません。

シーズン3のラストはシーズン1にも劣らない衝撃のラストが待っていました。
これが意味するものは何なのか。
それは人類とは何なのかという、人類がずっと追いかけてきた謎に直面するということに繋がるような気がします。
かなりシーズン4は哲学的な領域にも踏み込んでいくのではないのでしょうか。
まさにギャラクティカの地球への旅とは、人類の自分探しの旅とも言えるでしょう。

「ギャラクティカ シーズン1」の記事はこちら→
「ギャラクティカ シーズン2」の記事はこちら→

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