「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」 キレやすい子供、カミーユ
お台場ガンダムは撤去されてしまいましたが、最終週ようやっと観てきました。
僕はファーストガンダム世代なので、実物大のガンダムが目の前に立っているというのは、やはり感激してしまいました。
というような思い入れが合ったため、その続編である「機動戦士Zガンダム」が作られると聞いたとき、やや微妙な心持ちであったのを覚えています。
その頃は確か高校生でしたが、「宇宙戦艦ヤマト」が続編が作られるたびにどんどんオリジナルが汚されていくような気分も知っていたので、同じようなことになるのではといった気持ちであったと思います。
とは言いつつも、やはり「ガンダム」であったので、オンエアをしっかりと観てしまっていたのですが。
そのとき感じたのはやはり違和感のようなものでした。
ファーストガンダムがオンエアされた当時、アムロというちょっと根暗な少年が主役ということが新鮮でした。
それまでのロボットアニメというのは熱血正義漢というのが定番でありましたが、ステレオタイプではないうじうじしている少年として描いたのが画期的であったのです。
今、観直してみると、それほどアムロは暗くないと思うのですが(碇シンジなどはもっと暗い)、「ガンダム」以降アニメはそういうリアルな感情を持ったキャラクターで、共感できるドラマを描くというのが、一つの定番になっていったのだと思います。
それで「Zガンダム」の話になります。
主人公のカミーユ・ビダンは親にも相手にされず孤独に暮らしており、また女のような名前をつけられたことを強いコンプレックスを持っている少年と描かれています。
親から突き放された少年という点ではアムロと共通していますが、鬱積した感情によりアムロがうちに入っていくタイプだとすれば、カミーユはそれが外側に爆発するタイプの少年になります。
このカミーユ像というのが、僕は最後まで共感できず、放送中ずっと「Zガンダム」に違和感を感じてしまっていたのです。
「女みたいな名前だな」と言われて、いきなり見ず知らずの人を殴ってしまう人に共感できるでしょうか?
まだ当時はそのような言葉はなかったとは思いますが、まさに「キレやすい子供」といった感じです。
それ以外にも「粛正してやる!」などと自分の考えに合わない人に対して、力づくで挑もうとする態度が、敵方である連邦軍にも、主人公側であるエゥーゴにも見えます。
観ている自分としては、どっちもどっちだと思ったりしました。
ぐたぐだとテレビシリーズの「Zガンダム」について当時思っていたことを書いてしまいました。
つまりはこの作品により僕の「ガンダム」離れは始まってしまったわけです。
ですから本作が「A New Translation(新訳)」というサブタイトルで公開されたときも、まったく興味がわかずスルーしておりました。
で、今更ながら何故観たのかというと、やはり今年「ガンダム」30周年ということでファースト・ガンダム3部作を劇場で久しぶりに観たこと、それと冒頭の原寸ガンダムを観たおかげで「ガンダム」熱が再び上がってきたということがあります。
高校生の頃には、いろいろわからなかったことが、今だったらわかるかもしれないと思ったりもしました。
ようやく感想です。
前段に書いた僕が違和感を感じていたカミーユというキャラクターですが、ずいぶんとソフトになっていたと思います。
知らない人にいきなり殴り掛かるシーンはカットされていました(回想では入っていたけれど)。
やはりこのシーンは評判悪かったのかしらん。
けれどもやはりカミーユというキャラクターが何故に戦っていくのかというのは、やはりしっくりとこなかったのです。
アムロが戦争に巻き込まれ嫌々ながら戦っていくうちに、次第に大人として、男として、新しい人類として目覚めていくというような感じがありません。
カミーユだけではないのですが、少年少女の登場人物がしばしば「子供だから」という言葉を口に出すのも気になります。
これが子供であることを免罪符にしている、そしてそれができるということを知っているイヤな子供の言葉に聞こえました。
たしかに変に頭のいい子供、また先ほど書いたキレやすい子供というのは現在ではいよいよ多くなってきている感じもします。
現代の人間からすると、アムロですら、素直な子供にみえます。
そういう意味では「Zガンダム」というのはそのような少年少女像というのを先んじて捉えていたとも言えるのかもしれません。
映画「機動戦士ガンダム」の記事はこちら→
映画「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編」の記事はこちら→
映画「機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編の記事はこちら→
映画「機動戦士ZガンダムⅡ 恋人たち」の記事はこちら→
映画「機動戦士ZガンダムⅢ 星の鼓動は愛」の記事はこちら→
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コメント
私はカミーユの性格や気持ちがよく分かるタイプの方ですね
人気は出にくいと思います、どちらかと言えば男版の"メンヘラ"なのだと思います
女の名前はただ当人の地雷を踏んだ、くらいにしか思わなかったです
そもそも他人をバカにする言動だからそれを擁護はできませんが、相当な地雷だったんだなと
現実社会でも思わずいった言葉が相手を深く傷つけること有ると思います
アニメでも誰かが悪意なく言った言葉に手は上げずとも相当傷ついてしまう人は描かれている気がします
そこで手を出す、手を出さないで恐らく上記が同じシーンのはずなのに同じと思えなくなるのかもしれません
投稿: | 2024年10月25日 (金) 23時52分
Agehaさん、こんばんは!
新解釈という触れ込みであったので、もっと全然違う結末かと思ったら、それほどスゴいことにはなっていなかったですね。
確かに新解釈で何を目指していたのかがちょっとわからないところもありました。
テレビ版の方はそれがさらに強くて、最後のラストは監督自身がまとめきれずに、放り出した感じもちょっとしていました。
絵はこれまたテレビ版の作画監督のタッチがあまり好きではなかったので、今回の新作カットではずいぶん変わっていて、これはこれで好ましい感じがしました。
欲をいえば全部書き直してほしかった・・・。
カミーユは、そう鬱陶しいという言い方が合っているかもしれませんね。
すごいわがままな印象があるのと、シリーズを通して性格がつかみきれず、あまり印象が良くないんですよ。
3部作観ても、なぜ今これを作ったのかがよくわからなかったです。
投稿: はらやん(管理人) | 2009年10月16日 (金) 20時55分
ファーストガンダムが高校に入ったばかりのころ。
コレは相当学校での話題として
仲間内では盛り上がったアニメだったんですが
さすがに、卒業とともにアニメそのものから
遠ざかってしまって、ゼータ以降のガンダムは
まったく見てないんですよ。
と、言いながら結婚してから「逆襲のシャア」と「F91は
なぜか劇場へ足を運んでますが。(!!)
新解釈・・・はエンドの部分だけで
正直何がやりたかったのかようわからん総集編3部作でした。
それでも3つ見ないと何も語れない、
何かココがよかったといえるものがあるかもしれない、
・・・なかったけどね。(笑)
バッドエンドでも私はもともとのテレビ版エンドの支持者で。
戦闘シーンの美麗な映像とスピード感、
そこは確かに格段によくなってたかもしれませんが
振り向けば別人の顔にはちゃぶ台ひっくり返したくなったし。(笑)
碇シンジのほうがよっぽどウジウジなんだけど
なんなんでしょうね、カミーユの持つ暗さって
前者の情けない、ってのとはまた違う独特のうっとおしさが
ありました(むちゃくちゃ言うてるな~・・・)
投稿: Ageha | 2009年10月16日 (金) 01時11分
メビウスさん、こんにちは!
僕もあまりカミーユは好きになれませんでした。
アムロには自分でも共感できる部分があったんですけどね、カミーユには違和感ばかりで。
ZZガンダムは途中まで観てたんですけれど、脱落してしまいました。
Zガンダムともまた大きく違うトーンで、面食らっちゃいました。
投稿: はらやん(管理人) | 2009年10月 4日 (日) 04時39分
はらやんさんこんにちは♪TB有難うございました♪
ゼータが放映されていた頃だと自分はまだアニメの「ア」の字すら分かんなかった年齢だったのでリアルタイムでは見ていなくビデオで見た世代ではあるのですが、自分もどっちかと言えばカミーユの性格ってあんまり好きな方では無いですねぇ・・。ネガティブよりもやっぱりポジティブな感じが良いですし、そういう点だと自分はその次のダブルゼータの主人公であるジュドーの方が好きかもしれません。
本作も「恋人たち」同様ダイジェスト感も否めませんでしたが、こちらはMS戦や新規のカットも多かったので自分は結構楽しめましたね♪
投稿: メビウス | 2009年10月 2日 (金) 12時58分