「続・夕陽のガンマン」 生まれる前なんだなあ
「3時10分、決断のとき」、「グッド・バッド・ウィアード」と立て続けに西部劇を観て(GBWは西部じゃないですけど)、西部劇にあらためて注目しています。
映画ファンではありますが、映画をきちんと観るようになったのは80年代から。
その頃すでに西部劇全般が衰退していたわけで、観る機会がそもそもなかったわけです。
クリント・イーストウッドの西部劇と言っても観たことがあるのは「許されざる者」だけですから・・・。
ということでマカロニ・ウェスタンの中でも傑作と言われるクリント・イーストウッド主演「続・夕陽のガンマン」を観てみました。
原題は「The Good, the Bad and the Ugly」、すなわち現在公開中の「グッド・バッド・ウィアード(The Good, the Bad, the Weird)」は本作にインスパイアされて作ったものなんですね(いつもお世話になってるノラネコさんに教えていただきました)。
そのまま訳せば「良い奴、悪い奴、厄介な奴」という感じでしょうか。
タイトルのとおり登場するのはクリント・イーストウッド扮する善玉ブロンディー、悪玉エンジェル・アイ、厄介な奴トゥーコで、彼らがお宝を巡って三つ巴での争奪戦となるわけです。
ブロンディーは善玉と言っても、一癖も二癖もある感じでした。
クールで肝が太い。
ピンチになっても焦りがなく動じない。
男はかくあるべしという感じでした。
それにしても若かりしクリント・イーストウッドはカッコいい。
今も渋くていいですが、若い頃もいいですねえ。
三人目のuglyが字幕では卑劣漢となってましたが、どうもしっくりこないです。
どちらかというと、やはり厄介者、鼻つまみ者って感じですね。
「グッド・バッド・ウィアード」だとソン・ガンホが演じていた「変な奴」に相当すると思うのですが、やはりこの手の役はおいしい。
卑怯なところもあったり、コメディリリーフ的な役割もあるのですが、イーストウッドよりも印象深いような感じがしました。
そのような存在感があるキャラだから「グッド・バッド・ウィアード」ではかなりそこを膨らませたキャラクターになっていたのでしょうね。
悪玉のところに乗り込んで行くところとか、最後の三すくみのところとか、ジリジリとした緊張感があります。
特に最後の三すくみのシーンは、アップをこまごまと切り替えていくカット割りが緊張感を醸し出してます(北軍と南軍が戦うシーンも細かいカット割りでスペクタクル感がありました)。
基本的に砂漠や荒野が舞台なので、風景から伝わってくる乾いた感じが西部劇特有のジリジリ感に繋がっているのかもしれません。
本作はそれに加えてトゥーコとブロンディーの絡み(この関係はバディ・ムービーと言えなくもない)がなんとも言えずおかしいところがあります。
騙し騙されのおかしな二人の関係は、「ミッドナイト・ラン」を思い浮かべました。
緩急が丁度いいバランスで配されているので、長尺ながら飽きさせません。
この作品公開されたのは自分が生まれるより前なんですよね。
そんな前に作られた作品とは思えないほど、古さを感じませんでした。
あとテーマ音楽がとても印象的。
繰り返し流れたためしっかり刷り込まれたので、しばらく脳内で再生され続けそうです。
この秋は邦画では時代劇が4本公開されています。
出来は抜群にいいというわけでもないでしたが、それぞれに新しい切り口を提示しているように思えます。
また冒頭にあげた西部劇2作品も観て楽しめる作品になっていました。
時代劇も西部劇もジャンルとしては古いものになってしまいますが、まだまだ新しい切り口は用意できるような気がします。
こういった分野でもチャレンジャブルな作品をどんどん作ってくれないかなあ。
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