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2009年8月10日 (月)

「GODZILLA(アメリカ)」 自然とのスタンス

悪名高きアメリカ版ゴジラ。
監督がアメリカ人よりもハリウッド映画が大好きなドイツ人監督ローランド・エメリッヒなので、大味なのは仕方がないところでしょう。
文句を書こうとするといくらでも書けてしまうので、ここでは別の視点で見てみたいと思います。
本作を観ると、「ゴジラ」という怪獣を通じて、日本人と欧米人のものの見方が異なるということがわかります。
以前「ゴジラ(1954年)」の記事でも書いたように、ゴジラという存在は「荒ぶる神」というイメージがあります。
ゴジラを前にしては、いかに抗おう努力をしたとしても、その勢いを止めることはできません。
もともと日本古来の神は、自然現象を神格化したものです。
「荒ぶる神」というのは、台風や地震等を神格化したものであり、その神々はふいに人々を襲い、それに対しては人はただただ無力で頭を下げてそれが行き過ぎるのを待つしかありません。
そして人はその「荒ぶる神」に畏れと敬いの心を持つのです。
その心は日本人の中に脈々と続いてきていたものであると思います。
だからこそ「ゴジラ」という存在が日本で生まれ、育っていったのだと思います。
それに対して、アメリカ版「ゴジラ」(ここからGODZILLAと表記します)はあくまでも生物であります。
核実験の放射能により生まれたという意味では日本のゴジラと同じですが、それはあくまで突然変異した「生物」なのです。
そしてGODZILLAは物語の中で「生物」としてその生態を解析されていきます。
いわく魚を主食とするのでそれを餌にしておびきだせばいい、両生類の突然変異なので卵を産むのでそれを阻止しなくてはいけない。
つまり、いくら巨大で異質であっても、GODZILLAは「理解可能な存在」であるということです。
そして理解可能であれば、犠牲を払うことになろうとも、必ず克服できると考えるわけです。
これは自然に対しての欧米人の考え方であろうと思います。
自然は解析可能であり、解析できればそれはコントロールできる。
人間の知恵への信望であり、また傲慢でもある考え方。
それが「GODZILLA」という作品には感じられます。
日本人が本作を観たとき、何か違うと感じるのは、やはり自然への見方の違いがあるからだと思います。
日本のゴジラは自然を表した「荒ぶる神」であり、人間はそれをコントロールできるわけがないという精神風土。
そこには自然への敬いがあるのだと思います。
本作でも「GODZILLA」という名前の中に「GOD(神)」とありますが、欧米人の「GOD」とは唯一神であり、日本などの八百万の神という概念は理解しにくいと思います。
放射能の影響によってトカゲが突然変異して生まれたという設定は同じである「ゴジラ」と「GODZILLA」。
けれどもここまでにその存在、つまりは自然への人間のスタンスが違うというのは、やはり民族文化の違いなのでしょうね。

「ゴジラ(1954年)」の記事はこちら→

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コメント

ノラネコさん、こんにちは!

なるほど「原子怪獣現る」ですかー。
こちら、僕は未見なのですが、巨大な怪獣がやはり襲ってくる映画ですよね。
エメリッヒのころですから、巨大怪獣が大暴れっていうの画だけをやりたかっただけかもしれないですね。
デル・トロの「ゴジラ」観たい!!!
これはいい作品になりそうな予感があります。
「ホビット」の次にやってくれないかなあ。

投稿: はらやん(管理人) | 2009年8月14日 (金) 07時24分

この映画、「ゴジラ」と考えるとハテナなのですが、そのゴジラにも影響を与えた怪獣映画の古典「原子怪獣現る」のリメイクと考えるとしっくりきます。
怪獣のデザインや設定、物語の展開もどちらかというと後者に近く、私はエメリッヒは「原子怪獣」のリメイクをやりたくて、より知名度の高い「ゴジラ」の名前を企画に利用したのではないかと思っています。
当て馬にされたゴジラは浮かばれないですけどね・・・
ピーター・ジャクソンやギレルモ・デル・トロあたりにハリウッドで再リメイクを期待したいものです。
確かデル・トロはやりたいって言ってましたよね。

投稿: ノラネコ | 2009年8月11日 (火) 16時56分

hideakifujiさん、こんばんは!

平成ガメラ3部作は文句なしの出来ですよね。
未だにあれを越えられる作品がでてこないところはちょっと残念なところですが。
「GODZILLA」はこの名前を使ったところが敗因であったと思います。
リメイクなのでいたしかたないところはありますが、テーマが変わっていたのは納得できなかったです。
ただの怪獣映画であったならば、看過できたのでしょうけれど。

投稿: はらやん(管理人) | 2009年8月10日 (月) 22時49分

ゴジラに触れたところで 平成ガメラシリーズに言及させてください
こちらは日本のアニメの価値観とハリウッド的ニュアンスを盛り込みながらも
日本映画としてのティストをちゃんと持っています

ガメラを人間たちから理解されない正義の戦士として イリス覚醒あたりVFXも含めてかなりの完成度を持っていました
もうあれから十年経ちます
ゴジラは日本版のは象徴としての存在として独り歩きしています
しかもゴジラに街が壊されている描写自体悲哀と言うよりなんか正当化されでもしているかのような当然といったニュアンスを感じてしまいます
日本人はキャラとしてゴジラといった存在を愛しているそんな感じです
Godzillaは鑑賞後 異端の生物としての存在に対して同情は出来ないが無残に死んでいく様をリアルすぎるほどに描いていました
僕の率直な感想 設定企画自体同一でもあれだけデザインが違うならハリウッドももう少し知恵の絞りようがあったと思います
あの映画をGodzillaとせずよく似た設定の別物としたほうがウケはよかったと思います

投稿: hideakifuji | 2009年8月10日 (月) 21時34分

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受信: 2011年9月13日 (火) 21時15分

» GODZILLA [いやいやえん]
ゴジラではなくGODZILLA。フランスの核実験によって突然変異を起こした俊足で走るNYに上陸した海イグアナ。…なので、みんなの、そして私の「こんなのゴジラじゃない!」というのは正しいのです。 ただ、ゴジラと銘をうつのならば、魚じゃなく核燃料を食べさせて、放射能光線を吐かせて欲しかったですよね。まあ現実的ではないか。 ただ巨大な生物が暴れまわって街を破壊し尽くす娯楽作品として作られているわけですから、日本のゴジラ像との対比で物凄い違和感があって、そこで固定観念が炙り出されているわけですが... [続きを読む]

受信: 2012年6月25日 (月) 09時08分

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