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2009年7月11日 (土)

「機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編」 あらためてニュータイプを考える

三週連続の「機動戦士ガンダム」観賞です。
ほんとは新宿ピカデリーで観たかったのですが、夜しか上映していないので、昼でもやっているマリオンで観ました。
やっぱりデジタル上映の方がきれいだなあ・・・。
残念。

「機動戦士ガンダム」のことを書くとなると、「ニュータイプ」という概念に触れないわけにはいきません。
こちらのテーマについては、今までも様々な方が評論しているので、今更ながらというところも、自分ごときがというところもあるのでなんなのですが、今再び「ガンダム」を観て感じたこと、考えたことを書きたいと思います。
作品中で語られる「ニュータイプ」という概念は、認識力・直観力が今までの人類よりも増している新しい人類だと言われています。
これはいわゆる超能力者(エスパー)のような存在ではありません。
人類という存在が大地に立ったそのときから、人類は重力という力によって縛られていました。
ですので、その認識力というものの基本は二次元ベースであると言っていいと思います。
この世界は三次元ではないかという異論はあるかもしれないですが、地図などを見ればわかるように世界の認識はやはり二次元的であると思います。
そして人類が宇宙に進出したとき、人類は世界を初めて三次元的に認識するようになる可能性はあると思います。
そのような三次元的な世界を見るようになったとき、同じ世界であってもその見え方は変わってくるような気がします。
見え方だけでなく三次元的空間で暮らすことが普通になった時、新たな能力の萌芽が見られるということもあるかもしれません。
それが遺伝的なものになるかどうかはわかりませんが、空間識などの認識力が高い人々が出てくるということはありえるような気がします。
僕たちが二次元的に生きながらも、三次元を認識できるように、三次元的に生きるようになった人々は時間を含め四次元的な認識ができるようになるかもしれません。
それは未来を思い描くということにより長けた人々であるかもしれません。
また本シリーズで言われるスペースノイド(宇宙で暮らす人々)は、日常的に地球を客観的に外から見ることができるようになった人々でもあります。
説明するまでもなく現在の僕たちにとって地球は足下にあるのが普通です。
それはそれこそ空気があるように当たり前のことであるわけです。
けれどもコロニーで暮らすスペースノイドにとって、大地も空気もはかなく貴重なものであるという点で大地というものの捉え方が異なってくると思います。
同じ地球でも、存在することを当たり前と思う人々、それを貴重だと思う人々、価値観が変わってくるということはこれもあり得ることです。

未来をもうすこし認識できるようになる力。
地球を今よりも客観的に見えるようになる力。
「機動戦士ガンダム」で描かれていた「ニュータイプ」というのは、今の時代にこそ必要な概念であるかもしれません。

ジオン・ズム・ダイクンが唱えた「ニュータイプ」というのは極めて概念的であったのであろうと思われます。
もともとは概念であったものが、実際に通常よりもカンの良いタイプの人間(アムロやララァなど)の出現により「ニュータイプ」が概念ではなく、具体的な力として受け止められるものに変容していったのが本シリーズで描かれる一年戦争中であったのでしょう。
ただ能力的な変化がすべての人々に同じように、同時に起こるということはありえないと考えられます。
「ニュータイプ」を「人類の革新」と呼び、以降のシリーズで「オールドタイプ」に反旗を翻すようになるシャアはそのことを認識できなかったのかもしれません。
ものの見方というのはある時期に急激に変化することはあり得ます。
革命やパラダイムシフトというのはそういう変化のことです。
けれども人類総ての肉体や能力というのはそのような急激に変化は起こりません。
概念的な「ニュータイプ」への急激な変化はあり得ても、能力的な「ニュータイプ」へ変化はあり得ません。
「ニュータイプ」と同じ言葉で語られたため、この概念と能力の差が一緒くたになってしまうところに作品中で語られる「ニュータイプ論」の危うさがあるのです。
その危うい罠に、その後のシャアもシロッコもハマーンも嵌っていったと考えられます。
対してアムロはこの概念と能力の差というのをわかっているように思われます。
彼は人類が穏やかに変化していくということを目指していたように思えます。

ふむ、「ニュータイプ」について書きながら、「Zガンダム」がけっこうキーになっているような気がしてきました。
「Zガンダム」のテレビシリーズは、観てなじめずその後の「ガンダム」から脱落していった僕はあまりいい印象がありません。
なので劇場版も未観賞。
やはりメモリアル上映で、こちらも改めて観てみなくてはいけないかな・・・。

「機動戦士ガンダム」の記事はこちら→
「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編」の記事はこちら→
「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」の記事はこちら→

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コメント

madmaxさん、こんばんは!

ネアンデルタール人からしたら、クロマニヨン人など現代人に繋がる人類の系譜はニュータイプに見えたかもしれないですね。
地球環境から出て、宇宙という新しい環境に根付いた時、なにかしらの変化がおとずれるかもしれないという「ガンダム」で描かれているテーマはありえそうな気がします。
そのとき人類が登場するニュータイプに対して思う気持ちは、ネアンデルタール人と同じなのかもしれませんね。

投稿: はらやん(管理人) | 2009年9月18日 (金) 21時02分

多読でらっしゃる上、分野も違ったり、見てない映画があったりで、共通の分野が恥ずかしながら、ここでした。とても面白い解釈で興味ぶかいです。私は純粋にオーソドックスな戦争映画の見方をしてきましたから。進化という問題は実際には難しいのですよね。実際恐竜の絶滅とか自然選択の説とか、案外現在の人が都合良く解釈してしまいます。例えばネアンデルタール人からクロマニオンに至るさいの進化というか変換は謎に包まれてますね。ネアンデルタールはその時代において最高度に進化した生物だと言われています。しかし環境の変化や最高度に発展してしまったが故に落ちいる融通性の無さもしくは限界によって滅亡します。なかなか面白いテーマです。このテーマに興味をもたらしてくれたのはガンダムキャラクターデザインの安彦良和の『クルドの星』や『アリオン』です。神話に登場する超人達はネアン ?それはともかくかれの前者の本の中のセリフが興味深い。『ネアンデルタール人がどんなに進んだ生物だからって、どうして現在の人類より聡明だなんて言えるんだ?!』それに似たセリフが後者の本にもあります。なんだかニュータイプに関して彼なりの考えを述べてるように思えます。アムロさんも似た考えなんでしょう。ぼくも同じです

投稿: madmax | 2009年9月15日 (火) 06時07分

inunekoさん、こんにちは!

Zガンダムの劇場版の方はずいぶん雰囲気違うようですね。
TVシリーズは「修正してやる!」とかが嫌いだったんですよ。
ヒステリックで理不尽な感じがして。
改めて観てみようかなあ。

投稿: はらやん(管理人) | 2009年7月19日 (日) 16時45分

Zのテレビシリーズはキャラもメカもとにかく絵が奇麗で嬉しかった記憶があります。
ブライトさんが冷や飯食いになってたり、いじめにあったりのキツい描写もありましたが、なんかその辺が大人っぽくてヒリヒリして。
劇場版は演出がとてもマイルドにこなれてますので見やすいですよ。トータル5時間てとこですし。
あと「逆襲のシャア」は…わかってはいるんですけど、シャアもアムロも死んでないってどこかで思っていたい…見るたびに自分の弱さを再確認出来る作品ですcrying

投稿: inuneko | 2009年7月19日 (日) 11時41分

hideakifujiさん、こんにちは!

そうですね、作品中でも語られていますが、ジオン・ズム・ダイクン自体の「ニュータイプ論」には選民思想的なところはなかったようですが、ザビ家以降がそれを意識的に曲解していったように思われます。
僕も今回の記事を書くにあたっては、昔読んだアポロの宇宙飛行士の話を思い出しました。
やはり外から地球を眺める体験というのはものすごいインパクトがあるのだろうと思います。
その体験から、人類をそして地球を新たにとらえ直すというのが、そもそもの「ニュータイプ論」であったのではないかと思いました。

投稿: はらやん(管理人) | 2009年7月12日 (日) 07時16分

こんばんわ…はじめまして
ガンダム関連のブログを探していたらここにたどり着きました。

まず富野監督がニュータイプの理屈を構築した大元に
1968年制作の古典SF映画 2001年宇宙の旅 があると思います
人類の進化、それが地球外のアル存在によってもたらされたという伏線はガンダムとは異なるのですが人類が進化の途上にあるという意味においては1980年のアニメージュといった雑誌のガンダム関連の記事で富野監督は語っておられました

ただ ニュータイプといった概念には 進化が早いものと遅いものといった差別化をある意味黙認した部分があって やや考え方的には ナチスドイツのドイツ民族優位思想に近く、 劣ったものと 進んだものといった差別化を生むという意味では大変危険なものがあります
多分、富野監督の意図は宇宙、SFといった伏線によって本来の危険性について富野氏自身が気がついていない可能性があります。


昔 アポロ宇宙飛行士が、宇宙体験をしたことで大いなる宇宙の存在を確信したとかいった発言がありました、それと比べると 宇宙に出てまでまだ戦争をしているといったガンダムの世界観はギリギリのところで正気さを失っている感があります

宇宙って 闘う場所じゃない 進化して共感することによって人類としての進化をしていく
こう考えるほうが自然ですがガンダムはやはりその点マーケティングといったものに縛られたものと実感せざるを得ません

真実を伝えてくれる映像作品、革新的な映像作品としてじき変則的な企画も世のなかに生まれる可能性はありますが
ガンダムにおける富野さんの意図に迷いを感じずにはおられませんでした。
ただ、基本的にガンダムを否定してはいません。

投稿: hideakifuji | 2009年7月12日 (日) 00時37分

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声の出演:古谷徹(アムロ・レイ)、鈴置洋孝(ブライト・ノア)、      井上瑶(セイラ・マス)、白石冬美(ミライ・ヤシマ)、      古川登志夫(カイ・シデン) 監督:富野喜幸 原作:矢立肇/富野喜幸 キャラクターデザイン:安彦良和 音楽:渡辺岳夫/松山祐士 これは1982年の劇場版アニメで、0079ガンダム完結編です。 前作はジャブローでの戦いを終えて再び宇宙へ旅立つところで終わりとなりました。本作では、そのホワイトベースの戦士達を筆頭に連邦とジオンの最終決戦を描いています。反攻の勢いを強... [続きを読む]

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