「機動戦士ガンダム」 アニメを変えた記念碑
エヴァの新劇場版があまりに良かったので、その流れのまま、今年がガンダム30周年ということで有楽町でメモリアル上映をやっていた「機動戦士ガンダム」を観に行きました。
ご存知の通り、エヴァと同じように、というより最もその後の文化に影響を与えたロボットアニメが「機動戦士ガンダム」です。
小中学生の頃の観たり読んだりして、その後の自分の趣味指向に大きく影響を与える作品(映画や小説など)があります。
僕の場合は、本作「機動戦士ガンダム」であり、「スター・ウォーズ」であり、「仮面ライダー」「ウルトラマン」であり、「ドラえもん」であったわけです。
特に「ガンダム」はその頃の小中学生でいわゆる「ガンプラ」に手を出さなかったヤツはいないのではないかと思えるほどに、社会現象化していました。
今回久しぶりに劇場で「機動戦士ガンダム」を観ましたが、ほとんどの台詞を空で言える自分に驚きました。
どんだけ繰り返し観たことか・・・。
記憶力の良い時に覚えていたからでしょうか。
その記憶力を英単語にしておけば、苦労をしなかったのに。
本作が何故社会現象化までいったのかというのは、それこそ「ガンダム論」みたいなものが当時からプロから素人まで論議をしていたのであえてここで書くのもなにかなと思います。
安彦良和さんが描くキャラクターの魅力、大河原邦夫さんのメカのかっこよさ、それまでのロボットアニメにはないリアルな設定等、いろいろその原因をあげることはできます。
でもやはりこの作品が社会現象化となったのは、その物語が持つ解釈の懐の深さであろうかと思っています。
当時の人でもあまり知らないとは思いますが、「Animec」というアニメ誌がありました。
大手出版社ではない(「ラポート」という会社だった)ので(たぶん今は「ふぁんろーど」は生き残っている)アニメブームが沈静化したときに廃刊になってしまった雑誌です。
そこでは読者が「ニュータイプ論」など「ガンダム」の世界について、まじめに語り合っていたのです。
これらはけっこうきちんと書いてある評論が多く、それまで子供向けと言われていたロボットアニメが様々な解釈を持たれ、議論をされる題材になりうる懐の深さを持っていることを示したという点でエポックであったと言えます。
そんな「ガンダム」(あと多分に「イデオン」)の影響をアマチュア時代にもろに受けたのが「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督だったりするわけで、あの作品がさらに様々な解釈を生んでいる話になっているのは、そういう影響があるからだと思われます。
かくいう自分もこちらのブログで書いているレビューが、その物語世界の構造といったものに多く言及してしまうのは、「ガンダム」のときに身に付いてしまった「作品の見方」があるような気がします。
そのように深読みしようとすればかなり読み込める作品というのは「ガンダム」がほとんど最初であり、日本のアニメーションの一つの方向性を作ったと考えられます。
「ガンダム」劇場版三部作のあと、次第に僕はアニメーションから段々離れていきました。
「ガンダム」も「ZZ」以降はまったく観ていません。
けれど久しぶりに本作を観て、あのときのあれほどまでに熱中した気持ちというものを思い出しました。
「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編」の記事はこちら→
「機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編」の記事はこちら→
「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」の記事はこちら→
富野由悠季監督作品「伝説巨人イデオン<接触篇><発動篇>」の記事はこちら→
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