しかし、よくぞこんなにカルトなファンが喜びそうな濃い作品を堂々と作ったなあ。
自分のようなヒーロー好きにはいいけど、一般受けはしそうもないのでちょっと心配。
「ダークナイト」ですら興行的にふるわなかった日本では厳しいのではないかしらん。
けれども「ウォッチメン」は一見ただのダークヒーローもののように見えるけれども、実はかなり奥が深い。
細かな映像・造形・音楽の中に、はたまたストーリーの中に、過去のヒーローものにいうに及ばず様々な映画作品に関する、記号やモチーフに溢れていています。
それはパロディ的な軽いものから、とても深い比喩みたいなものがあります。
例えば、この物語に登場するヒーローは過去のヒーローのイメージを引用してきているものがあります。
「ナイトオウル」は明らかに「バットマン」ですし、「シルク・スペクター」は「ワンダー・ウーマン」あたりでしょう。
「オジマンティアス」は「スーパーマン」「ザ・フラッシュ」的なヒーローのイメージを集約したもののように見えます。
これは「ウォッチマン」と同じ版元であるDCコミックの作品なので、外見上のイメージもキャラクター性もがかなり直接的に反映されていました。
あと「ロールシャッハ」は「ダークマン」、「DR.マンハッタン」は「シルバーサーファー」あたりのイメージでしょうか。
また小ネタ的には、本作でヒーロー(誰だか忘れた)が記者会見する場面に女性カメラマンがちらっと出てきたのですが、この人の衣装はティム・バートンの「バットマン」に登場する女性カメラマン、ビッキー・ベール(キム・ベイジンガー)の衣装とそっくりに見えました。
また映画に限らず、歴史や政治などに関する明らかな比喩、または隠喩があって、それらについては一度観ただけではすべてチェックするのは難しいような気がします。
「DR.マンハッタン」というのはその名前からも連想されるように(アメリカの核爆弾開発計画は「マンハッタン計画」と呼ばれた)、核エネルギーそして世界を支配する力を象徴した存在となっています。
タイトルにある監視者(WATCHMEN)と挿入される時計(WATCH)なども象徴的にリンクされていました。
そういう様々な意味で「濃い作品」であり、掘り下げようと思うととことんまで掘り下げられそうなところがあり、カルト的であるような気がします。
ただ濃いのはそのような点だけではなく、アメリカという国のものの考え方というのを痛烈に風刺しているように思われるところです。
「ヒーローは何のために戦うのか?」
その問いに対する、多くの答えは「正義」のためでしょう。
それでは「正義とは何なのか?」
これに日本人でぴしっと答えられる人は少ないのではないのでしょうか。
日本人は先の戦争で「国のために戦う」ことが必ずしも「正義」ではないと思い知らされました。
だから「正義」が単純に「国家」と結びつくような答え方をする人はあまり今の日本人は多くはないと思います。
なので日本のヒーローは、「平和のため」「人類のため」といった国家よりも高次でちょっと曖昧な概念(というか理念)のために戦うのです。
また日本のヒーローは攻撃・侵略してくる敵に対し、「人を守る」ために戦うのであり、あくまで「専守防衛」なのです。
このあたり日本人の考え方というのが反映されているのかもしれません。
それは日本人に限らずそうじゃないのかということになるかもしれませんが、アメリカはちょっと違うようです。
先日、映画のブログ仲間のみなさんと呑んだときに、第二次世界大戦中のアメリカの戦意高揚のためのプロパガンダ映画の話になりました。
そのとき聞いて驚いたのは、そのプロパガンダ映画でスーパーマンが日本の港まで出張(?)してきて戦艦と戦う話があるということでした。
もともとは日本に来ていたロイズを救うためだったらしいのですが、ロイズを救った後もスーパーマンは日本に残って戦っていたいうことです。
まず驚いたのが、アメリカを代表するヒーローが「一国家のために働く」ということです。
これは日本のヒーローではまずありえません。
日本とアメリカのヒーローは何か大きな違いがあるように感じます。
ヒーローは「正義のために戦う」。
そこは日本もアメリカも同じ。
違うのは、「正義」とは何か、なのです。
アメリカの「正義」は「国家」と強く結びついています。
アメリカが行うことがつまりは「正義」という意識が少なからず、彼の国にはあるように思います。
「世界の警察」という言葉がありましたが、まさにそういう意識があった(ある)のでしょう。
つまり「ウォッチメン」の舞台が冷戦まっただ中の世界であるというのはとても意味があることで、その理由はこのときアメリカという国が世界で最も明白で強いプレゼンスがあったときだからなのです。
この時は「アメリカの正義」が他の国(当然西側諸国)にとっても「正しい」ことであったのです。
当時西側では、敵=共産主義という意識が強く、そのリーダーと言える国がアメリカでした。
そのアメリカという国家にヒーローも管理され、そのために働かされているのが「ウォッチメン」の世界です。
けれどもそのような「アメリカの正義」が歪んだものであることが、この作品の中で明らかになっていきます。
まさにこれは今、現在、世界の人々が「アメリカの正義」が必ずしも「正しい」とは限らないと思い始めていることを表しています。
本作に登場するヒーローたちは様々な概念を表した存在となっています。
「ナイトオウル」は、日本のヒーローにも通じるところがあるような最もわかりやすい「正義」を象徴してといます。
また「シルク・スペクター」が表しているのは「愛」でしょう。
対して「コメディアン」はあからさまに「アメリカの正義」の象徴になっています。
彼のベトナム戦争の行為というのが、まさにそれを表しています。
本作がスゴいのは、「アメリカの正義」の象徴であるヒーローが残客非道なことを行うということ。
それは「アメリカの正義」というものが何か歪んだものであるということを表そうとしているように思えます。
つまりイラク戦争(古くはやはり「ベトナム戦争」なのだろうか)以降、当のアメリカでさえ「アメリカの正義」に対しての疑問が出てきています。
けれどもアメリカ人において、まだアメリカという国家は必ず「正義を行う」ものであるという認識にいる人は多いと思います。
そういう人にとって「コメディアン」というキャラクターの存在はショッキングであろうと想像できます。
また「オジマンティアス」の行為というのは、今の世界の枠組みを変えるにはかなりの荒療治をするしかないという考え方を表していると思います。
平和のためには犠牲やむなしという考え方は、ややもするととても危険なところにいってしまう可能性があり、観る人が感じる彼に対する危うさというのはそのようなところからきているのでしょう。
「ロールシャッハ」の結末は、個々の案件の「正義」では、全体の「正義」は達成できないと言われているようなところもありやや悲しい気持ちにもさせられます。
とはいえ、このような映画をアメリカが作るというのもやはりあの国が懐が深いと思うというところでもあります。
このように深読みしようとすればとことんできる作品であるなというのが、本作の印象でした。
ということでこの作品は、やはり非常にマニアックであり、一般受けはやはり厳しいのであろうなあという感じがします。
僕は好きですが。

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