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2009年3月29日 (日)

「ギャラクティカ シーズン2」 行く先、やや迷走気味?

「ギャラクティカ シーズン2」、やっと見終えました(ビデオだとタイトルは「ギャラクティカ」ですが、スーパードラマTVだと「バトルスター・ギャラクティカ」なんですよね)。
シーズン1のラストはけっこう衝撃的でした。
人類の敵となるサイロンに人型がいるのはシーズン1当初より描かれていましたが、そのサイロンの人型タイプの一つがギャラクティカの女性パイロット、ブーマーであり、彼女がアダマ艦長を撃ったところでシーズン1は終わりました。
シーズン1は謎の存在であり、また圧倒的な戦力差があるサイロンに対して、いかに人類が生き延びるかというサバイバル劇でありました。
宇宙船同士のドッグファイト等特撮シーンにテレビドラマとは思えないほどのクオリティがあり、見応えがありました。
シーズン2は対サイロンとの戦いを描くSFというよりも、どちらかというと人類の艦隊内部の政争のようなポリティカル・サスペンスのような様相になってきました。
政府を引っ張るロズリン大統領と、軍を代表するアダマ艦長の意見の相違。
途中で合流する旗艦ペガサスを率いるケイン提督とアダマの対立。
またロズリンと、彼女を補佐するはずの副大統領ヴァルターは後半、大統領の座を奪い合います。
ややドロドロとした政争劇に、シーズン1を観た後だとやや面食らう感もありました。
またサイロンの目的も次第に明らかになっていきます。
サイロンはロボットであり、死んでもデータさえバックアップがあれば再生できます。
つまりはほぼ無限に戦力が補充されるわけです。
けれども彼らは、なぜか文字通り「産む」ということに執着を示します。
それは単純なコピーではなく、まさに人類のように「産む」という行為への執着です。
それこそが戦いの目的であるように見えます。
その意図はまだ明らかになっていません。
シーズン2ではサイロンと人類の間に子供が生まれます。

シーズン2はどうもキャラクターの人間の描き方のぶれ幅がやや大きかったように感じました。
特にリーなどはそれが如実に表れていたように思えます。
リーが好意を持っている女性が、回ごとに違っていたりするようなところ、どうもキャラクターの描き方が甘いのか突然感があります。
このあたり、シーズンを通して一貫性みたいなものが保たれていないと、やや物語に入り込みにくくなっているような気がします。
特に一話完結方式でない本作のような場合は。
人物だけでなく、設定に関しても、場当たり的な展開もやや見えます。
シーズン1を通して描かれていたロズリンの死期が迫っているということもあっさりと解決してしまいますし、地球へ行くという目的すらシーズン2ではやや薄らいでいるように思えます。
アメリカドラマにありがちの(「少年ジャンプ」の人気漫画もそうですが)でも、シーズンをひっぱるための無理無理感がやや出てきているのが心配なところ。
ギャラクティカの行き先同様、ストーリーもやや迷走気味な感じがします。

本シーズンラストで、曲がりなりにも人類は安住の地を得ますが、それも安泰ではない様子です。
シーズン3も既にスーパードラマTVでは始まっているので、こちらもキャッチアップしていきたいと重います。

「ギャラクティカ シーズン1」の記事はこちら→
「ギャラクティカ シーズン3」の記事はこちら→

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