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2009年2月28日 (土)

本 「南極(人)」

「ナンセンスギャグ漫画というのは存在しているが、ナンセンスギャグ小説というのは存在していない!」という義憤(?)にかられたかどうかは知らないですが、こちらはあの京極夏彦さんが書いたギャグ小説「南極(人)」です。
京極夏彦さんというと「京極堂シリーズ」が有名で、その分厚さ、作品の中の情報の濃密さといったとても濃いイメージがあるかと思います。
本作は別の意味で「濃い」。
「京極堂シリーズ」しか読んだことがない方は本作のテイストは意外かと思いますが、京極さんは今までも「どすこい。」では同様のギャグ小説に挑んでいます。
「どすこい。」は電車の中で読んでいて笑いをこらえるのがたいへんなほどおかしい小説でした。
「京極堂シリーズ」においても榎木津が出てくるシーンは、けっこう彼がとるナンセンスな行動に、京極さんのこういうギャグに対する思い入れを感じることができます。
オバカなギャグといっても、小説でそれを行うのは実はけっこうたいへんです。
本作のラストの「巷説ギャグ物語」でも京極さんは書かれていますが、漫画と違い小説は文字だけでそのおかしさを伝えなくてはいけません。
漫画では「ドカーン」とふっ飛ばされる画が一つあれば説明できてしまうようなシーンでも、小説はきちんと説明しなくてはならないのです。
ただこれをいちいち細かい文章で説明すればギャグ漫画にあるようなテンポの良さは失われてしまいます。
これを小説でやろうとするのですから、なかなかに京極さんはチャレンジャーです。
とはいっても小説が全く不利かというとそうでもありません。
画で説明しなくても、文字でもともと読者の中にあるイメージを想起させてしまえばいいということもあります。
それぞれの読者が思い描く具体的イメージは厳密には異なりますけれども、最も適切なイメージを思い浮かべてくれるわけですから実はそれでいい。
例えば、「理想的な美女」という描写があった場合。
人によっては派手な顔つきのグラマラスな女性を思い浮かべるでしょうし、また別の人は幼い顔のスレンダーな人を思い浮かべるかもしれません。
けれど読者にとっての最も適切なイメージが惹起されるわけですから、それはそれで文字での表現というのは便利なものだったりもするのです。
そのような漫画、小説という表現方法の違いをわかったうえで、京極さんはギャグ小説を書こうと試みています。
なにぶん実験的なところも多いので、すべてが成功しているとは言いがたいですけれども、僕はとても楽しめました。

「南極(人)」京極夏彦著 集英社 文庫 ISBN978-4-08-771274-2

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