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2009年1月25日 (日)

本 「宗教vs.国家 -フランス『政教分離』と市民の誕生-」

政教分離というと、戦後の日本で暮らす僕たちにとっては、当たり前の大原則のような気がします。
確かに総理大臣の靖国参拝が賛否両論を巻き起こすことはありますが、それも政教分離が原則として皆に認識されているから。
けれどもこれは世界全体で見ると、共通した原則であるかというとそうではありません。
例えば先日就任したオバマ大統領の宣誓を見てもわかるように、歴代のアメリカ大統領というのはそのとき聖書に手を起きながら行います。
宗教の自由が保証されているアメリカではありますが、この宣誓式は政教分離という視点からいうと不思議なものがあります。
またアメリカでは聖書の考えに基づき、進化論を否定した教育を学校で行っているところもありますし。
ヨーロッパで見ると、イギリスは国教会ですから、王と国境の最高指導者が同一となっているわけです。
そういう例をみると政教分離という考えはそれほど一般的ではないというのがわかります。
その中で最もその考えが根付いているのが、フランス。
もともとフランスはカトリックの国でした。
そのためユダヤ教徒やプロテスタントはしばしば迫害をうけました。
けれども市民というものが次第に台頭し、やがて王権に対しての革命を起こします。
これは人間が自由に考え、そしてその考えに基づき行動することを求める運動と言ってよいでしょう。
それは既存の王権に対してだけでなく、宗教的権威、すなわちカトリックに対しての運動でもありました。
これは後の社会主義国家にあるような無宗教ということではありません。
カトリックが国教であったときのフランスは、国と宗教というものが不可分のものでした。
国の政策のベースにあるのはカトリックの教えです。
例えば教育などもそうです。
フランス革命後、フランスが模索したのは宗教からの自由です。
けれどもある種、そこでは不自由さを伴うものでした。
つまりは今までカトリックの教育を普通に行っていた学校では、その宗教教育を行うことを制限されていきました。
これはある種の不自由さです。
これをライシテ原則というそうです。
日本では政教分離という概念は戦後完成された形で持ち込まれたため、その意味合いを深く考えることはあまりありません。
けれどもそれは普遍化された概念というわけでもなく、ほんとに最近になって作られたものであることがわかります。
靖国問題などを論じる時に、政教分離という概念を作ったフランスの歴史を学ぶということは一つの方法のような気がします。

「宗教vs.国家 -フランス『政教分離』と市民の誕生」工藤庸子著 講談社 新書 ISBN978-4-06-149874-7

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