「マグノリア」 人は自分本位でしか生きられないのか
ポール・トーマス・アンダーソンの作品を観たのは「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」が初めて。
こちらの作品を観て人間というものを描く力に圧倒され、すごい監督だなと思いました。
本作「マグノリア」は彼の代表作とも言える作品というのは知っていましたが、3時間にも及ぶ長尺、そして主要な登場人物が10人以上という群像劇ということで、観るのにはなかなかにエネルギーがいりそうということでややためらっていましたが、本日DVDで観てみました。
本作も人間という存在を深く描いている作品です。
怪しげなSEX伝導師、末期がんに侵されている彼の父親、そしてその若い後妻。
クイズ王としてもてはやされている少年、以前同じように天才少年と呼ばれた中年男、クイズ番組の司会者、ドラッグに溺れる彼の娘、彼女に心を惹かれる信心深い警察官。
主立った登場人物をざっとあげてもこのくらいはいて、彼らのある日の出来事が錯綜しながら進んでいきます。
登場人物たちがそれぞれ絡み合う場面がずっと続くのですが、中盤くらいまでの彼らの会話がまったくかみ合っていないことに気づきます。
だいたい会話している場面では、どちらか一方が自分の考えというものをずっとまくしたているだけなのです。
最もわかりやすいのがトム・クルーズ演じるSEX伝導師ですけれども、他の登場人物も多かれ少なかれそういうところがあります。
一見彼らが話している場面は会話のようにも見えるのですが、注意をして観てみるとお互いに相手が言っていることを聞こうとしているのではなく、自分のことをただ主張しているだけということがわかります。
彼らの生き方は自分自身のやりたいことをやるというものであります。
登場人物が10人以上に及んでいますが、老若男女に問わず、そのような人間の自分本位なところが描かれています(唯一違うのは警官のみ)。
これだけ様々な登場人物を配したのは、人間というものは所詮自分本位にしか生きられないというようなことを表したかったのでしょうか。
そしてまた彼らは自分本位でありながらも、その行動が他人を騙している不幸にしているということの自覚も持っています。
それが罪の意識となり、彼ら自身を苛んでいます。
特に自らの死や、身近な人の死を感じた者たちは、それまでの自分本位だった人生を悔いているように見えます。
それもまた人間なのでしょう。
それがわかっていても人というのは自分本位で罪を犯し、そしてまたそれを悔やむものなのでしょうか。
唯一希望のかけらがあったのは警官の物語。
彼のエピソードから、隠し立てなく正直に生きるということが最後には人生を幸せに送れるのだなということを感じました。
ラストの蛙の雨は突然のことで驚きましたが、なんだか聖書でそのようなエピソードがあったようなと思い出し、検索してみると出エジプト記にありました。
それは第8章第2節ということで、本作に頻繁にでてくる82という数字はそこにかけていたのでしょうか。
ふむー、なかなかに深い作品です。
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