« 「ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル」 子供の頃の夢が実現 | トップページ | 「その日のまえに」 残す人、残される人、互いに想う »

2008年10月25日 (土)

本 「反米主義」

アメリカが好きか嫌いかと言われると、ちょっと答えに悩みます。
現政権のやっていること(イラク戦争や環境問題などへの積極性の無さなど)は、世界全体のことではなく一国のみの利益を追求しているようで、指示しがたい。
自由や人権などは大事なことだけれど、片方ではアメリカ自体が他国への介入などでそれらを侵害しているようにも見える。
いわゆる二枚舌、ダブルスタンダードなところがどうにも鼻持ちなりません。
とはいえ、嫌いな国かというとそうではなく、映画に代表されるようなアメリカ文化みたいなものにはやはり魅力を感じるわけです。
イラク戦争後、世界各国でアメリカを嫌いという人が増えているということですが、上に書いたように嫌いと好きが混在するアンビバレントな状態であると言えます。
この著者はこのアメリカに対するアンビバレントな気持ちというのを、冷静に細かく分析しています。
まず経済の側面。
90年くらいよりグローバル・スタンダードという言葉がよく聞かれるようになりました。
グローバル・スタンダードというのは世界基準ということですが、アメリカでのスタンダードがそのままそうなることが多いわけです。
経済のアメリカ一国支配みたいなものに、世界の人々は何かしら不安のようなものを感じているわけです。
というのもアメリカ的な経済というのは問題がないわけではなく、環境問題の深刻化、あと現在世界中を席巻している金融危機もアメリカ的な経済が万能ではないということを表しているのだと思います。
けれども共産主義がほぼ崩壊した現在、我々は資本主義に変わるような経済システムを持っていません。
アメリカ的な経済の方法論に対しての反発というのは、「よりましな資本主義」「品位のある資本主義」というのを模索している「自分探し」であると著者は言います。
次に文化の側面。
世界各国にアメリカの文化が流入しています。
ここで問題になるのは各国、各地域の伝統文化が失われていくのではないかという不安。
昔の日本のように、海外の文化は排斥しようという反応も起こるわけです。
でも著者は単純に文化的な侵略というのはそう簡単には起こらないと言います。
圧倒的なパワーで文化が押し寄せてきても、それを取り入れるか否かというのはやはりその国に暮らす人々の選択なのです。
確かに明治の時代に西洋文化が入ってきた時も、日本人はその一部分を取り入れたり、捨てたりしています。
例えば靴は履くようになりましたが、家の中までは入らないといったようなことです。
文化というのはそもそも純粋というものはありません。
日本の文化というのも、各時代に中国や朝鮮半島その他から入ってきた文化が多層的になったものです。
そのように今まで海外の文化をとりいれてきたわけなので、一概にアメリカの文化が蔓延するといたずらに危機感を持つのもおかしいわけです。
ただ自国の文化が失われ、なんとなくアメリカに従属していってしまうような不安感もまたあるのです。
たぶん「反米主義」というのは対アメリカという「主義」「イズム」ではなく、世界が「込み合った場所」になってきているという新しい世界においての、新しいシステムを生み出そうとしているあがきなのかも知れません。
昨今の金融危機に関しても、アメリカ以外の国が危機感を持ち話し合いながらこの苦境を乗り越えようとしています。
先は見えないですが、これらを乗り越えたとき、アメリカだけに頼るのではない新しいスタンダードができているのかもしれません。

「反米主義」近藤健著 講談社 新書 ISBN978-4-06-287956-9

|

« 「ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル」 子供の頃の夢が実現 | トップページ | 「その日のまえに」 残す人、残される人、互いに想う »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/186553/42901401

この記事へのトラックバック一覧です: 本 「反米主義」:

« 「ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル」 子供の頃の夢が実現 | トップページ | 「その日のまえに」 残す人、残される人、互いに想う »