こうやってブログで映画の話を書いていますが、基本的に良くても悪くても観た作品については何かを書くという方針でいます。
そのため心がほとんど動かなかった作品というのは、何を書こうかなぁと悩んだりするものですが(おもしろくない映画は逆に書きやすい)、観たあとすぐに感じたことを書き留めておきたいと思う作品もあります。
本作はいろいろ感じたので、忘れないうちに書いておきたいと思った作品のひとつです。
劇中で医師の浅野(上川達也さん)が、大貫(役所広司さん)に言う台詞でこういうのがありました。
「強くなくてはいけないんですか?」
大貫は小さな会社をはじめて、それを一人の力で大企業に育てていきました。
たぶんその過程ではたくさんの困難があったのでしょう。
その中で大貫は「周りの者はすべて敵、だから強くなくてはいけない、負けてはいけない」という風に思うようになっていったのだと思います。
これはたぶん大貫だけの話ではなくって、今、大人になっている人、いやもしかすると子供でさえも強くなくてはいけないって思っているのではないでしょうか。
「勝ち組」「負け組」ととかく言われますが(僕はこの言い方がスゴく嫌い)、「勝ち組」に残るためには強くなくてはいけないと多くの人は思っています。
けれど、たぶん人間ってそんなに強くはないんです。
僕も一時期いろいろたいへんな時期があり、強くならなくては、がんばらなくてはと必死になっていたときがあります。
けれどもそんな心身ともに疲れがたまったのか、寝込んでしまいました。
そのとき自分の中には「負け組」になってしまったような、「弱虫」になったような呆然とした思いがありました。
けれどしばらくするうちに、別に負けてもいないし、当然勝ってもいないし、そもそも勝つとか負けるとか、どうでもいいと思うようになりました。
自分は弱いんだなと認められたんですよね。
正確には弱いところもあるし、強いところもあると自覚したということでしょうか。
大貫という男もずっと自分は強いと思って生きてきたと思います。
けれど体をこわし、会社から必要とされなくなった自分はなんなのだろうと思うようになったのでしょう。
妻夫木聡さんが演じていた室町も同じようなキャラクターだと思います。
子役のときの演技では評価されたけれど、大人になってからは誰にも注目されなくなった彼も自分は何なのかと思い悩んでいたように思えます。
たぶん強いとか弱いとかということの前提というのは、「一人で」周りの者と戦わねばならないという思い込みなのですよね。
「一人で」戦うのだから、強くなければならないと考えるのは道理です。
でもその前提が間違っているのだとしたら。
なにも「一人で」戦う必要はないんです。
大貫が、病院のみんなの力を借りてパコのための演劇を行ったように。
ガマ王子が、池のみんなの力を集めてザリガニ魔人と戦ったように。
みんなで戦うんだったらそれぞれ弱いところなんてあっていい。
必要なのは誰かのこと、お互いのことを思って力を合わせられるということ。
それが結局は強いということなのだと思います。
僕は自分が弱いと自覚してから、周りの人の力を借りることに素直になりました。
そして一人でしゃかりきにやっていたときよりも、結果的にはいいものができるんですよね。
周りのこともよく見えるようになりました。
大貫もパコと出会った時、内向きにしか向いていなかった自分の目線が、外に開いていくのを感じたのではないでしょうか。
大貫の目を開くパコ役のアヤカ・ウィルソンちゃんは天使のようにかわいらしかったですね。
大きな声でガマ王子の絵本を読んでいる姿がとても天真爛漫で。
あの無邪気な笑顔を観るたびにパコが背負っている大きなものを、少しでも肩代わりしてあげられたらと思ってしまいました。
登場人物たちもみんなそんな風に感じていたのでしょうね。
中島哲也監督の作品は「下妻物語」も「嫌われ松子」も観ておらず、初めての観賞でした。
独特の色使い、そして後半の演劇に入ってからの現実と物語世界の行き来の表現はうなってしまうほど巧みだったと思います。
久しぶりに心の琴線に触れる作品でありました。
不覚にも中盤からは目と鼻は壊れた水道状態でした・・・。

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