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2008年8月13日 (水)

本 「疑似科学入門」

タイトルにある「疑似科学」というものをこの本では下記のように定義しています。

<第一種疑似科学>
現在当面する難問を解決したい、未来がどうなっているか知りたい、そんな人間の心理につけ込み、科学的根拠のない言説によって人に暗示を与えるもの。これには占い系、超能力・超科学系、「疑似」宗教系などがあげられています。

<第二種疑似科学>
科学を援用・乱用・誤用・悪用したもので、科学的装いをしていながらその実体がないもの。
例えば科学的根拠が不明確なのに効果があるように見せる健康食品のたぐいなどはこれになります。
第二種疑似科学には他にもいろいろなタイプがあります。

疑り深く理屈っぽい性格のためか、僕はこの手の「疑似科学」にどっぷりはまってしまう気持ちがあまり想像できません。
もちろん映画や小説が好きなので、お話としての「疑似科学」というのは嫌いじゃない(むしろ好き)なのですが、それに怪しげなもの人生やお金をかけてしまうことはないと思います。
けれどこの本であげている<第三種疑似科学>という視点は、新鮮で自分でも陥ってしまう可能性があると思いました。

<第三種疑似科学>
「複雑系」であるがゆえに科学的に証明しづらい問題について、真の原因の所在を曖昧にする言説で、疑似科学と真正科学のグレーゾーンに属するもの。

こちらの場合、科学的にはっきりと結論が下せないのだから、一方的にシロとかクロとか決めつけると疑似科学に転落してしまう危険性があります。
これは自分でもそうなってしまう可能性があると思いました。
大切なのは、結論を出せる材料がないのだったら、あえて判断を保留すること。
確からしさが低いのに、あせって仮説を結論だと思ってしまうことは危険性があります。
ただそれが思考停止になってしまってもいけません。
判断を保留にするにしても、その際は最も安全だと考えられる方法を選ぶことが大事。
そこにはしっかりとものを考えるという力が必要になります。

著者がこの本で、最近の世の中を心配しているのは、人々が判断を他人に委ねてしまうことが多くなっていないかということです。
テレビなどで訳知り顔のコメンテーターやもっともらしい番組で言っていることを信じてしまう人が多くないか(テレビの健康番組で紹介した食品が売り切れるといったことですね)。
また聴きさわりのよい単純化した中身のない政策を言っている政治家ばかりが選挙で勝ってしまうこと。
なにかわかりやすい単純な説明に一足飛びに飛びついていないか、それは結果的に自分たちにとって良くないことではないかと。
たぶんこれだけ情報が増えてくるとそれを処理する力が必要なのだと思います。
けれどもそれにはそれなりのスキルもいりますし、かなりたいへん。
だから人は楽な方へ、人に判断を委ねてしまう方向へ動いてしまうのでしょう。
けれども乗せられて踊ってしまっても、騙されては後の祭り、自己責任というものになってしまいます。
やはり自分を守るのは、自分自身で考える力なのでしょうか。

「疑似科学入門」池内了著 岩波書店  ISBN978-4-00-431131-7

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